樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

往年のトップスター

2006年12月04日 | 木と歌
『帰ってきたヨッパライ』を大ヒットさせたフォーク・クルセイダーズは京都出身のグループ。そこから独立した端田宣彦&シューベルツも『風』という歌をヒットさせました。その2番は、「プラタナスの枯葉舞う 冬の道で プラタナスの散る音に 振り返る・・・」。
この歌を聞くと、私は京都の烏丸(からすま)通りを思い浮かべます。最初に就職した会社がこの通りのビルにあって、プラタナスの並木をよく見ていたからですが、端田宣彦も烏丸通りをイメージして作詞したはずです。

      
         (プラタナスの枯葉舞う冬の道で・・・)

プラタナスが街路樹に使われたのはかなり古く、古代ローマですでに使われていたという説があります。日本では、明治43年に東京の御徒(おかち)町通りに植えられたのが最初です。
プラタナスが増えたのは、大正12年の関東大震災がきっかけ。25,000本あった東京の街路樹が震災で10,000本に減ったため、復興事業として成長の早いプラタナスを7,000本、イチョウを5,000本植えたそうです。
その後、昭和14年の調査によると、6大都市(東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)の街路樹を合計した樹種別本数では、プラタナスが第1位で約84,000本。2位がイチョウの約37,000本、3位がサクラの約17,000本ですから、ダントツのNo.1です。
昭和の後半になるとイチョウが第1位になるのですが、戦中から戦後にかけてはプラタナスが街路のトップスターだったのです。

           
            (黄葉する前のプラタナス)

『風』で歌われた烏丸通りのプラタナスも徐々に姿を消しつつあります。前にも書きましたが、枯れたり、倒れたプラタナスの代わりにユリノキが植えられています。
震災や戦争の後は復興を急いだために成長の早い樹種が選ばれたのですが、現在はその性質が逆に剪定の手間やコストアップなどのマイナス要因になって、管理者側から嫌われているようです。街路樹も時代と共に変遷するんですね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする