ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

原型は平安美人も見た?…鳥田目頭首工

2022-07-22 06:54:17 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県由利本荘市鳥田目川原(ゆりほんじょうし とりため かわら)にある子吉川(こよしがわ)水系の鳥田目頭首工を訪れます。アクセスは国道107号沿いにある「石沢保育園→」の看板のあるT字路を入り、石沢川に沿ってそのまま行くと到着します。

右岸から見た「横顔」。管理橋と屋根の空色が爽やかに映えます。



石沢川の右岸、下流側から見ると、こんな感じ。



石沢川の下流方向の様子。



右岸、頭首工の横には管理棟と思しき建物があり、



その壁には水利使用標識が貼られています。



そこから頭首工を見ると、こんな感じです。



頭首工の上流側にあるこれは取水設備。



石沢川の上流方向の様子。



右岸の上流側には「水勢滔々」と題された鳥田目頭首工竣工記念碑。



そこに記されているものを転記します。

「延喜時代(901-923)のころ大場弥惣左エ門という豪族が鍔出川(つばいでがわ)の水系を横揚げして笹井を通し諏訪神社の下の崖に堰を設け鳥田目部落の人家を保食神社(※)の付近に移し部落の屋敷全部を開墾かんがいを計画したのが鳥田目堰の始まりである。その後江戸時代現地点に頭首工を設けたが当時の頭首工は杭を打ち川石で堰止めたものにすぎなかった。昭和18年(1943年)戦時中の物資不足の折、頭首工は粗石コンクリートに改良されたが、その後頭首工と幹線用水路の老朽化が激しく特に近年は漏水が著しく到底近代的な農業施設として機能を果たすことが不可能となり石沢地区県営圃場整備事業を計画するに当たり関係各方面へ陳情。昭和48年(1973年)県営かんがい排水事業に採択され昭和55年(1980年)3月に完成の運びとなった。これにより水利の不安が解消され農業の振興に寄与するところ計り知れず国県の支援のもと関係各位及び組合員の協力のたまものであることを録してその恵沢を後世に伝える。
  昭和58年(1983年)9月24日 本荘市東由利町土地改良区」

※:保食神社…「ほしょくじんじゃ」もしくは「うけもちじんじゃ」。保食神(うけもちのかみ)は『日本書紀』の神産みの段に登場する神のこと。それによると、天照大神(あまてらすおおみかみ)は月夜見尊(つきよみ)に葦原中国(あしはらのなかつくに)に保食神という神がいるので見て来なさいと命じた。月夜見尊がそこへ行き保食神と対面する。すると保食神は陸に向くと口から米を吐き出し、海を向いては魚を吐き出し、山に向かっては獣を吐き出し、そうした吐き出したもので月夜見尊をもてなした。しかし月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとはけしからん」と腹を立て保食神を斬ってしまう。この話を聞いた天照大神は怒り、月夜見尊とは金輪際会いたくないと絶好宣言する。それ以降、太陽と月は昼と夜に分かれて出るようになったそうな。そんなわけで、保食神社は食物の神を祀る神社として日本各地に存在します。

いやいや、記念碑を読んでビックリですね。鳥田目頭首工の元になる鳥田目堰はなんと平安時代前期の終わり頃には存在したんですから!
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