台所で火柱を上げて料理していた瞬間、地震が起きた。
いやー、本当にビックリしたわ。
火柱を何とかしなくちゃいけないし、揺れを気にしなくちゃならんし。
やれやれと思っていたら、数分後、もう一度グラグラと揺れ始めた。
それも、振幅の大きい揺れだった。
「うわっ、これはマジでヤバいかもしれんな」と思ったさ。
幸い、ここではドカーンという揺れじゃなかったので、山のように積まれた資料やCDなどに「被害」はなかった。
しかし、しばらくの間は弱い余震が続いていた。
ともかく作ってしまったメシを何とかしなくちゃならん。
速攻で完食。
フツーの人なら、こんな時にメシなんてノドを通らんのかもしれん。
「不安で、不安で、ごはんなんて食べられないよ」
まあ、そうかもしれんね。
本当に不気味にユラーリ、ユラーリ揺れていたもんな。
だが、食欲には屈してしまうワシであった。
我ながら神経の太さに驚く。(泣)
食後にテレビを見ていると、新潟の惨状が次々と伝えられていた。
東京でこれだけ揺れたのだから、新潟はさぞかし凄い揺れだったんだろうなと想像がつく。
矢継ぎ早の報道を見ていたら、突然の睡魔に襲われる。
そして爆睡…
気づくと2時間が経過。
携帯のメールに着信が3通。
マナー・モードにしてないのに…気づけよ、ワシ。
あぁ、睡眠中に地震があっても、きっとワシは眠ったまま死ぬんだろうな。
確信した。(笑)
目覚めてから思ったのは、無力な人間の存在ということ。
子供の頃、小さな虫を意味もなく虐めたことがある。
虫にしてみれば、青天の霹靂だ。
慌てふためく虫たち。
なにせ、とてつもなくデカイ何かが襲ってきたわけだからねえ。
そもそも子供なんて非情な生き物だから、情け容赦ない。
だから、虫たちは無惨に「あの世」行きとなる。
彼らは、「なんでワシらは殺されなければならんのか?」と思いつつ死んで行ったに違いない。
我々人間を虫に置き換えてみれば、同じこと。
自然の力に抗おうったって、そうはいかない。
地殻変動を前に我ら人間なんて、まるで虫けらなんだよ。
今回の地震で亡くなった人には酷かもしれないが、敢えて言いたい。
自然のレベル、つまり創造主レベルで見たとき、人間の存在なんてどーでもいいほど「ちっこい」のさ。
亡くなった人に対して悲しいと思うのは、人間レベルで考えるからにほかならない。
自然レベルからすれば、人間なんて虫みたいなもんだからねえ。
人間が天災に対して文句を言わないのも、実は自然に対する畏敬の念があるからではないか。
「いやー、自然さんには敵いまへんわ」と思うからこそ、口惜しいと思っても黙って耐えているのだ。
でも、これが人災だということになれば、態度は一変する。
法律という楯を用いて、人間は堂々と武装できるからだ。
もちろん、それがイカンとは思わんよ。
権利を主張するのは悪いことじゃないからね。
でもさ、その争いを創造主のレベルから見てごらんよ。
「なんや知らんが、虫どもがゴチャゴチャ言うとるな…」ぐらいにしか見えんよな?
そう考えると、ワシらの争いとか悩みなんて、どーでもいいことのように思えてくる。
たとえ、何かの「はずみ」で命を失ったとしても、「しゃーないわなあ」と諦めもつく。
ワシの周囲の人がどう思うかは知らんけどさ。
少なくとも、ワシ自身は「しゃーない」と思うね。
つまりはだ、泰然自若の構えでドーンとしとればいいのである。
所詮、人生なんて、なるようにしかならんし。
そんなもんさ。
いやー、本当にビックリしたわ。
火柱を何とかしなくちゃいけないし、揺れを気にしなくちゃならんし。
やれやれと思っていたら、数分後、もう一度グラグラと揺れ始めた。
それも、振幅の大きい揺れだった。
「うわっ、これはマジでヤバいかもしれんな」と思ったさ。
幸い、ここではドカーンという揺れじゃなかったので、山のように積まれた資料やCDなどに「被害」はなかった。
しかし、しばらくの間は弱い余震が続いていた。
ともかく作ってしまったメシを何とかしなくちゃならん。
速攻で完食。
フツーの人なら、こんな時にメシなんてノドを通らんのかもしれん。
「不安で、不安で、ごはんなんて食べられないよ」
まあ、そうかもしれんね。
本当に不気味にユラーリ、ユラーリ揺れていたもんな。
だが、食欲には屈してしまうワシであった。
我ながら神経の太さに驚く。(泣)
食後にテレビを見ていると、新潟の惨状が次々と伝えられていた。
東京でこれだけ揺れたのだから、新潟はさぞかし凄い揺れだったんだろうなと想像がつく。
矢継ぎ早の報道を見ていたら、突然の睡魔に襲われる。
そして爆睡…
気づくと2時間が経過。
携帯のメールに着信が3通。
マナー・モードにしてないのに…気づけよ、ワシ。
あぁ、睡眠中に地震があっても、きっとワシは眠ったまま死ぬんだろうな。
確信した。(笑)
目覚めてから思ったのは、無力な人間の存在ということ。
子供の頃、小さな虫を意味もなく虐めたことがある。
虫にしてみれば、青天の霹靂だ。
慌てふためく虫たち。
なにせ、とてつもなくデカイ何かが襲ってきたわけだからねえ。
そもそも子供なんて非情な生き物だから、情け容赦ない。
だから、虫たちは無惨に「あの世」行きとなる。
彼らは、「なんでワシらは殺されなければならんのか?」と思いつつ死んで行ったに違いない。
我々人間を虫に置き換えてみれば、同じこと。
自然の力に抗おうったって、そうはいかない。
地殻変動を前に我ら人間なんて、まるで虫けらなんだよ。
今回の地震で亡くなった人には酷かもしれないが、敢えて言いたい。
自然のレベル、つまり創造主レベルで見たとき、人間の存在なんてどーでもいいほど「ちっこい」のさ。
亡くなった人に対して悲しいと思うのは、人間レベルで考えるからにほかならない。
自然レベルからすれば、人間なんて虫みたいなもんだからねえ。
人間が天災に対して文句を言わないのも、実は自然に対する畏敬の念があるからではないか。
「いやー、自然さんには敵いまへんわ」と思うからこそ、口惜しいと思っても黙って耐えているのだ。
でも、これが人災だということになれば、態度は一変する。
法律という楯を用いて、人間は堂々と武装できるからだ。
もちろん、それがイカンとは思わんよ。
権利を主張するのは悪いことじゃないからね。
でもさ、その争いを創造主のレベルから見てごらんよ。
「なんや知らんが、虫どもがゴチャゴチャ言うとるな…」ぐらいにしか見えんよな?
そう考えると、ワシらの争いとか悩みなんて、どーでもいいことのように思えてくる。
たとえ、何かの「はずみ」で命を失ったとしても、「しゃーないわなあ」と諦めもつく。
ワシの周囲の人がどう思うかは知らんけどさ。
少なくとも、ワシ自身は「しゃーない」と思うね。
つまりはだ、泰然自若の構えでドーンとしとればいいのである。
所詮、人生なんて、なるようにしかならんし。
そんなもんさ。
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