ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

2つの古代地名の間に…岩井川ダム

2022-05-12 14:08:22 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は奈良県奈良市白毫寺町(びゃくごうじちょう)にある大和川水系の岩井川ダムを訪れます。アクセスは岩井川沿いに走る県道80号を走って行くと到着します。

【白毫寺町について】(参考
さて、当該ダムの右岸側の地名は白毫寺町と言うのですが、気になったので調べてみました。白毫寺は当該ダムの下流にある真言律宗の寺院で、715年に天智天皇の第7皇子である志貴皇子(しきのみこ:不詳-716)の山荘として建てられたもののようです。そして後に三論宗の僧、勤操(ごんそう:754-827)が開山したと言われます。開山の時期は明確ではありませんが、白毫寺が高円山の麓の石渕寺(いわぶちでら)の子院であること、そしてその石渕寺は796年に勤操が開山したことから考えると白毫寺の開山もその頃と考えられます。

その後室町時代の1497年に兵火により焼失。翌年修理されます。ところが『続南行雑録』によれば1520年に再び兵火に遭遇し焼失したそうな。そして江戸時代の寛永年間(1624-1645)に興福寺の学僧、空慶により復興されますが、『東大寺年中行事捷覧』によれば1757年に失火により焼失し、当時の建物は残っていないそうです。とにかく、ここに白毫寺があったことからここの地名が白毫寺町になったようです。ちなみに「白毫」とは仏の眉間にある白い巻毛のこと。

岩井川の右岸から見た「ご尊顔」がこちら。治水ダムのようですね。



もう少しダム横近くから見ると、アーチ式のようにも見えます。



しかし、実際にはそうではなさそう。



これがダム上です。進んでみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。向こうに見える建物(写真左)が管理センター。



ダムの真下は、こんな感じ。



そして、下流側の遠景。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じです。



左岸の貯水側から見たダムの様子。



非常用の洪水吐。



左岸、下流側から見たダム。



【鹿野園町について】
ところで、岩井川ダムの左岸の地名は鹿野園町(ろくやおんちょう)と言います。これも調べてみると起源は奈良時代に遡ります。736年にインドから来日した菩提僊那(ぼだいせんな:704-760)がこの地を鹿野園と命名したのだそうな。鹿野園とは釈迦が悟りを開いたとされる聖地「サルナート」(鹿が多く集まるところ=鹿野園)に由来しています。

右岸に戻り、県道を上流方向へ行ったところに岩井川ダム管理センターがあります。





そこからダムを見ると、こんな感じ。



古代からある2つの地名の間に築造された岩井川ダム。ダム建設のための予備調査が開始されたのは1967年で、実際の建設が始まったのが1985年。そして完成したのは何と2008年。築造は困難を極めたんでしょうか…。
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