前々から気になっていたのがこれです。ここは東急東横線の日吉駅。通路のど真ん中に鎮座ましますのは通称「銀玉」と呼ばれるオブジェです。正式名称は「虚空自像」というらしいのですが制作者や経緯については知りません。
通勤や通学でこの駅を利用されている方ならよくご存知と思いますが、この銀玉はとりわけ存在感があります。何しろ駅の前を通る綱島街道からも、また駅の反対側の商店街から見てもコイツの存在はわかるほどだからです。
気になっていたのにご紹介できなかったのには理由があるんです。しばしば綱島街道を走行する際これを目にしていたのですが、街道沿いには駐車スペースがほとんどありません。そのため停止できずに通過したことが何度もありました。それに早い時間だと周囲に人がいて撮影しているのを見られちゃうでしょ? いやはや、それは何とも恥ずかしいわけですよ。
しかし今回は何とか駐車可能な場所を確保できたため撮影することができたというわけです。
でも、なぜ虚空自像というんでしょうね。虚空とは仏教用語では「すべてのものの存在する空間」を意味します。とすれば虚空自像とは虚空そのものを表す姿ということなのでしょうか。この銀玉おやじが虚空を象徴しているのか?。もしそうなら何だか深いですね。
いや、なぜ疑問に思ったのかというと、虚空「地蔵」でもいいんじゃないかと思ったからです。ことによると、もしかしたら誤植じゃないか…と。地蔵と表記するところを「自像」と打ち込んでしまったのでは…。
あ~、嫌ですね。なんと俗っぽい発想でしょうか。編集者的というか校正者的な目線になってます。
でもですよ、地蔵とはそもそも地蔵菩薩の略ですよね? 地蔵菩薩は釈迦が入滅し、やがて弥勒の世が現れるあいだ人々を教え導く役割を持つ菩薩のこと。ということからすると、一切の存在空間を支配する地蔵菩薩という意味で捉えるなら、虚空地蔵という名称であってもあながち間違いじゃないじゃん、なんて思ったわけです。
もっとも、一般に地蔵さんといえばは右手に錫杖をそして左手に宝珠を持つのがノーマルな形とされています。ところが上のオブジェにはそもそも手がありません。そうか、これだと地蔵必携のアイテムがないではないか。となれば地蔵としての条件を満たさないので失格なんですね。
というわけで、やはりこのオブジェは「自像」が正しいのでしょう。