湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

こころの状態と分離してしまうのではなく/ともあれ歩をつめて歩くこと

2007-01-16 07:08:12 | 引きこもり
始末書を書いた。規約違反だからだが、これを出せば親子が問われる。先方の名前は出していないが、大所帯ではないから誰なのかは、わかる。

担当の**さんは頭を抱えた。規則違反だが救急対応であり、人道上からは違反が問えない。結局、聴かなかったことになった。私は即座に頭を下げたが、すれすれの勝負でもあった。後から、親御さんから教室に感謝の電話が入っていたことがわかった。私が申し出なければ、親子は除籍となっていた。苦い勝利でもあった。

Q子は糸が切れたように眠り続けている。親はその分、まんじりともせぬ二日目の夜を迎えていた。今日、私は地元でも用事が重なっていて、さすがに東京のはずれまででかけるわけには行かなかった。電話で話し込んだが携帯電話の電池が切れてしまうほど、綿々と続く語りきれない親御さんからの話が、堰を切ったように続いた。

なんとも不器用、あの困った嘘つきは悲しいほどに正直である。今抱えているもうひとりの彼もまた過剰防衛の陣の中で彼自身が凍てついているのが見えてしまう。「そういうものなのだ」ということではなく、会えばわかる、「そうなのだ」。彼らの心を暖めるなどという不遜なことはできない。ただ地獄の釜の中であろうと連れ添うこと、ひとりにはしない。それが私の役割だと思っている。試してやろうじゃないかというなら、私はさっさと逃げ出す。しかし彼がののしり終わったら戻ってくるだろう。

「ICF国際生活機能分類」の考え方をエジソンクラブの高山さんはよく啓蒙しているが、障害を機能障害と考える従来の考え方から、環境とのミスマッチング、生き難さ・生き辛さが障害である(「障害は人と環境との相互作用である」)と、WHOの基準をシフトしたものとして基準が整理されたことは、個人に還元してみれば、変化しうる状態へと障害観が移ったことになり、お互いに結びつく絆を見出すことになった。ICFの定義によって、インクルーシブな社会が拡がった。

今、私と接点を持ちながら話しているふたりは、抱えるものがまったく違うがなぜか似ている。大きな出来事・事情に翻弄されながら、舵を取るべき舟が浸水しているから舵とバケツのどちらを取ることも出来なくなっているからだろう。私はバケツを持って隣に舫う小舟に突っ立っている。彼の舟の水をバケツでかき出しながら、奔流の活路を探る彼の舵取りをじっとみている。

ICF流ならば彼の困惑を正すのではなく、奔流の活路を求め治水を行うだろう。私にとってそれは「ヤングジョブスポット湘南」作りであり、若年者就労探索誌「わーく」の発刊活動だ。落差がきつい。しかし困難を固定せず変容可能性を孕んだそういう活動が必要なのだと思う。

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昨日は1/27の連続講演会のポスターを持って巡回していた。茅ヶ崎養護学校では今回の講師薮内さんに玄関で偶然面会でき、打ち合わせをすることが出来てしまった。リハビリテーション専門学校では、講師のSさんがお仕事中、時間を割いて話を聴いてくださった。翔の会「空と海」の本部ではこれまた偶然にSSさんと会うことが出来た。藤沢市保健所は時間切れだったが、今回の巡回では、伝えたい方々に内容を使えられたという感じがしている。

手をつなぐ育成会関係と藤沢市保健所を明日は回り、あとは本業の巡回。どうどうめぐりの彼にも会いたいのだけれど…。

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夜明けのコーヒーを飲んだ話/SNSの研究者の集まりで/北稜倶楽Vインタビュー

2007-01-15 00:00:53 | 引きこもり
昨夜、東京から帰宅して資料を整理しているところに、ブログを読んでいたらしい私の生業の方の子から、突然電話が飛び込んだ。生業の方の子には、私の個人の活動は一切語っていない。公私混同すれば私も首になるからだった。

この間の経過を読んでいたらしい。10時少し前だったが、ファミレスにいて声が聴きたくなったという。様子がおかしいので話を聴いていると、家に帰れないという。女の子がこの時間ファミレスでひとりぽつねんとしていることは危険だったが、思い詰めているような口調ではない。なんとも奇妙な時間が過ぎていった。正直困ってしまった。

おそらくこの文章も読んでいると思う。Q子くんとしておこう。

Q子くんは、私の家を鎌倉と勘違いしていた。東京から鎌倉に出てきているという。これには少々焦った。理由は言ってくれなかったし、学校筋にはこの時間誰もいない。私には親御さんの連絡先もわからなかった。その場に長く居させるのは危険と判断し、所持金のあることを確認して、私の教えた(教えられた)子がバイトしている横浜の某ファミレスに移動させた。残念なことにバイトの子は非番だったが、彼の友人だと教えてくれたのでその言葉に頼って、事情を話した。警察に保護してもらったほうがいいのではないかという勧めもあったが、奇妙にあっけらかんとした口調に、逆に不自然なものを感じたので、Q子くんに会うことにした。私が到着するまでの間、見守っていてほしいと頼んだが、さあ、彼にQ子を伝える方法がない。

そこで店員の出入り口に近いカウンター席に座らせることを思いつき、その席を確保してほしい旨伝え、Q子くんからの最連絡を待った。…かかってこないのである。終バスに乗って東海道線に乗ることができた。

1時間後、私がファミレスについたところ、頬杖をついたQ子くんが待っていた。こういうとき、必ず第三者をはさまなくてはならない。Q子くんに会ってすぐ、バイト君にお礼を言って、彼の名前と連絡先を聞き、証人になってもらった。

Q子くん、幸い彼のような協力者がいたからよかったものの、他の場合だと、君が嘲る大人の常識では、警察に保護してもらうことになる。そこに私が行く形だ。私の身を守るためかと君は尋ねた。勿論それもある、否定はしない。しかし私といれば、君も偏見の渦中に飲み込まれる。大人社会は甘くはない。私の家に預かることも不可能ではない。しかし君を一時ではあれ、警察の保護下におくことになる。引き取ることも、警察の事情調査があるので難しい。幸い24Hファミレスだったからこの場にいられたので、Q子くんと夜明かしすることになった。

時間が経つにつれ、君はやっと事情を話してくれるようになった。勿論内容はここに書くことはない。結論は大丈夫、ひとは善悪だけで生きているのではないということだ。君が親を選べないのと同じように、親も子を選べない。行使できる力は不平等だが、君の悲しみは親に伝わっている。大人は慣れているのだ。通じないわけではない。君がこうして一夜帰らなかったことを親御さんはきつく叱るだろう。そんなことが予測されない君ではないではないか。叱らない親がほしいかな。

君は朝、親御さんの連絡先を私に告げた。駅前に迎えにいらした親御さんと私が話しているとき、私は君の視線が親御さんを睨んでいたことが気になった。大人を一面的に見るなと私は叱ったね。少なくとも私は君を「若者」と、ひとくくりにはしない。始末書も書くつもりでいる。君の行動は軽率だが、君の抱えていたことは君と同世代も大人とおなじことをして流しているだろう。すべての問いに答えがあるわけではない。ただ君の考えていることは、少なくとも私は知っている。私に連絡してくれたことは大げさだが光栄に思う。同意はしないが、問いは分かち合っている。忘れない。

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一昨日、上記の事情で書き込みできなかった。

一昨日はベネッセの協力の「オンライン環境と子ども」関連の集いが東大工学部を会場にしてあり、SNS関連の話を聴いてきた。会員のリクエストに応えたテーマ設定だったので従来の会の目的とはすこしずれた設定だった。

SNSが急激に普及している状況や、そのネットワークが寡占状態にあること、いままでのインターネット掲示板や2チャンネルと異なり、「実社会の交友関係を豊かにする目的」で広がってきていることなど、いままで指摘されてきたことをまとめる形で情報を得ることができた。いわく、昔の「パソコン通信の雰囲気」に似ているという、なるほどと思うところが大きい。

私が利用しているプロバイダの担当者の方と話すことが出来た。セキュリティが子ども向けを意識していることがあってきつい。掲示板に不登校・引きこもり関連の話を書くと、あちこちで不適切用語で遮断されてしまい、使い物にならないことや、広告が二次リンクが危ういサイトであることが多く、逆にここに誘導するように一次HPが無難なスタイルを取っている作為を感じることを告げた。

結局、ネットリテラシーを育てることなくして管理しても、つまらないサイトになるだけではないかという私の意見と、プロバイダの環境の認識の差異がぶつかってそのまま終わった。そのプロバイダの会員年齢最年少は8歳。最高齢は(社長らしいが)59歳で、私は第三位数名の年齢層なのだそうだ。平均は20代前半。ちょっといわれて口ごもってしまった。

そのあと短時間のバズセッションが行われ、私と組んだふたりの若い方はなんとも迷惑そうだった。白髪染めても若くはなれないし、堪忍してもらう以外はなかった。白髪頭は3人かな。ひとりはそのプロバイダの社長らしい方、あとはベネッセの**さん。

SNSの特徴を活かしたネットつくりの狙いは、間違っていないという確信は得た。ただマイクロソフトの@@さんは現れなかった。助成金の話を打診したかったので残念。

(帰宅は本郷三丁目から。本郷の古書店がどんどん閉鎖している。悲しいものがある。)

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糖尿病を意識して、まぐろ市場の閑散とした本郷店で海鮮丼を食べて帰宅。Q子くんの件でそのまま、コーヒー詰めで夜明かしだったので、朝の立ち食いそばの美味いこと。

昨日は「北稜倶楽V」の加藤先生にインタビューをした。はつらつとした方とよれよれおじさん、徹夜の眼で話し合った。サッカーチームを作って、養護の生徒さんたちといっしょに試合をしたり、出かけたりしている。養護学校の余暇支援活動が始まっていて、そこにも参加しているようだ。この手の活動はハプニング多い。そのハプニングを楽しんでいる話は共感、共感。

一度プレイを拝見しにいこうと思っているが、サポセンのニューズレター発行に間に合うか?

遅ればせのヤングジョブスポットのミニ講座1月予定表を図書館まわりしつつ配布。1/27の連続講演会のポスター(添付画像)を依頼して、3箇所まわってもどってきたら日没。さすがに疲れて、夕食の片づけを終えてから1時間ほど仮眠を取った。どうか今夜は無難でありますように。今夜は「わーく」の説明書つくりである。

(つづく)
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「わーく」のスタッフ固め再開/彼へ伸縮の利く自習コースを探すために

2007-01-13 07:16:14 | 引きこもり
やっと話が一区切りかと、彼の次の仕事の準備をしていると、生業の方で呼び出しがかかり、一方で1/27の連続講演会ポスター配布をしていたので、昨日は一日中歩いていたような…糖尿病のリハ省略できるとはいうものの。

中国語を始めたいから、お勧めを紹介せよという御達し。なぜ今かという問いをさぐって、しんどい淵に。ここ数日の彼のことを思えば、それでも呆気ない。

寒川・藤沢半分のポスター配布。帰宅したらすぐに茅ヶ崎サポセンから電話。
タウンニュース茅ヶ崎版に、私が提案した「The Big Issue」の路上販売員さんとの懇談を企画したものが載った。ところが重箱の隅は突きすぎて穴が開いているのに、また突く騒ぎ。どこもかしこも、形式論議に振り回される。これもすれすれセーフ。

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今日これから東大工学部のIT関連の集まりがあって出かけます。「わーく」の環境を支えてくれる若手探しと、スポンサー探し。

帰りに、某専門学校教員と会って、この間の彼の仕事探しの下準備情報を集める予定。

会議は14時からなので、これにて。




(補)図書館取り寄せ注文済み

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書名   :チャレンジする心
副書名  :知的発達に障害のある社員が活躍する現場から
著者名  :箕輪優子/著
出版者  :家の光協会
出版年  :2005.9
目次(BOOK):視察の方々の驚き;特例子会社を立ち上げるまで;六名の社員とともにス
      タート;自尊心を傷つけられた過去;コミュニケーションによる成長;
      知的障害者の多様な能力;家族との連携;企業の一員となるために;
      全員がパソコンにチャレンジ;査定による動機づけ〔ほか〕
要旨(BOOK):働く社員と企業の双方が満足の得られる、そんな障害者雇用を目指す
      横河電機株式会社。障害とは何か、人間の可能性とは何か、仕事とは、
      そして、自己実現する喜びとは何かを、根本から問いかける貴重な
      ドキュメント。
著者紹介(NS):横河電機(株)・人財労政部所属。1999年「横河ファウンドリー」
      設立、取締役。厚生労働省が主催する障害者雇用研究会のメンバーを
      務めるなど、社外での活躍も多い。
ISBN :4-259-54680-5

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以上
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1/27就労支援講演会のポスター作成中/明日はこの間の青年の出発に連れ添います

2007-01-11 05:02:30 | 引きこもり
今夜は飛び込みの傾聴は、緊急のもの以外遠慮してもらいました。たまっていた自宅作業を昨日は集中。結局生業の作業で時間切れ。ポスターに移っています。チラシは間に合わないかな。

昼に茅ヶ崎カトリック教会のひとたちと会います。いくつかの用があって、その最後が「The Big Issue」誌販売活動の件。1/26の19時から茅ヶ崎サポセンで茅ヶ崎駅の路上販売員さんとの懇談の話です。

その後、ある子の自立支援に連れ添います。

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何時に終わるかわかりませんが、ポスター(1/27)を印刷配布します。

茅ヶ崎市との協働プラットホームの話は、「わーく」が始まってからでないと、また頑迷な厄介払いの壁が待っています。どんな構想もはじめはひとり。しかし2年の活動が関係者の心を動かさないのなら、現状を切る構想という武器を持ちます。それが「わーく」。皆がそれなりの力量ではじめられ、伸縮自在かつ採算の見通しのある有効な活動。誰もが夢を読み込める活動。それをぶつけます。あとはトンネルを掘り進めるだけ。反響を「やりながら」、苔の一念、待ちます。

「わーく」は当事者・地域支援者の活動。しかしそれを見守り支援するサイドガードの実務者ネットとそこに触発される就労しゃべり場を抱えた就労支援窓口は行政との協働の仕事です。その三種のからみをそれぞれ第三セクタをより柔軟に体現した社会的企業を私的経営を越えて立ち上げていかないと、大きな力にはならないのです。

さて講演会のデザインが決まったので、仕上げていきます。印刷が間に合えばいいんですが。(ある青年の自立支援がまず優先です。)

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今夜はここまで。

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1/27茅ヶ崎養護学校進路担当の立場から就労を考える講演決定/また介入を

2007-01-10 06:38:07 | 引きこもり
海老名の訪問が退塾のため中止になって、次のところに親御さんが子を送り込んだことで、またこの子はもうひとつの負い目を背負わされていることに。親御さんが気づいていない不幸があります。次が鍛錬系のところなので、気になります。

話は変わりますが、昨日、私の旧知のKさんのお店に、今回介入した彼を連れて行ったとき、私がその場で「引きこもり」と紹介したことにがつんと一発ありました。自分は「引きこもりではない」と。これはそのとおり。彼が抱えている肉体的なハンデがあって、気持ちがあっても採用されないということです。しかし「引きこもり」の特徴の2つの山、ひとつは親の所得が平均以下の階層で起きている勤労価値の衰退をかかえた山、もうひとつは、専門性を身につけたが社会にその受け入れの枠がないために無業状態でいるもうひとつの山。彼はこの後者に接しているように思います。前者ではないという意味で撤回させてもらいます。

Kさんは突然の訪問に何事かという狼狽ぶり。彼には複数の世界があった方がいいという蛸壺化阻止方策を打った結果、私と意見が違うが、信頼できるひとのところに彼の道をひとつひらいたのです。自傷的な狭い世界から、彼の世界をはみださせていきたいと考えたからです。幸いKさんが受け入れてくれたので、彼は息抜きに使えばいい。Kさん、見返りに賛助会員募集のチラシをばさりと私の目の前におきました。ご安心あれKさん、チラシはサポセンに置きますぞと、束を受け取りました。

そんなわけで、Kさんに会わせた彼とは意識的に、窮屈な話をしませんでした。駅前で別れた後、帰宅して私の親に食事を作り、海老名が抜けた分、ともあれ臨時爆睡。これがいけなかった。実は睡眠中、彼から警告サインのメールがきていたのに、全く気がつかなかったのです。

22時過ぎ、問題が起こり、電話が鳴りました。父親からの援助依頼の電話でした。彼に確認を取って、彼の自宅に急行しました。前回書いたとおり「暴力行為」が認められたからです。話し合って午前2時半頃に帰宅しました。しかし対策本番はこれからです。

海老名の例と違い彼は主張できます。その大きな力は他者に対してのみならず、自分に向けられるからです。ひとを呪わば穴ふたつ。彼はそれに気づいていない。シビアな状態がここ数日続きます。

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茅ヶ崎養護学校の進路の薮内先生に1月27日(土)の講演懇談を御願いした。快諾感謝です。「障がい者の就労について(養護学校の立場から)」ということで、地域連携できることをさぐっていきます。茅ヶ崎市役所コミュニティホール5FのA会議室にて19時からです。

今回はここまで。

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山場を越えました、すみません

2007-01-09 06:59:18 | 引きこもり
一昨日の夜から、引きこもり青年の家族間の危うい状態が始まり、暴力行為に移行する寸前に介入しました。悲しいことですが、彼が自分を追い込んだ結果でした。投薬し、落ち着きを取り戻しています。

親御さんからの介入要請があり、23時をまわりつつありましたが、お宅に向かいました。私の介入基準は命に関わる暴力の阻止の一点です。むやみに行ってよいものではありません。幸い車内からの当事者説得が効き、途中でUターン出来ました。私の担当する若者の場合、支援者をまわりめぐって紹介されている場合が多く。今回のように、介入が必要になったりする深刻な事例もあります。

私が行ってきた活動は、もともと学齢期のお子さんの自立支援でした。復学か自学かは、お子さんの場合によって異なります。前者のお子さんにバイパス学習指導をしたり、後者のお子さんにゼミ形式のフリースクール的学習支援を行っていました。そこに学習困難な子たちとの接点が生まれ、そのお子さんの成長に伴い、引きこもり青年の支援が始まって行ったのです。

この関係で私の関係した子たちは、拠点の塾の関係で、東京と神奈川の県境の東京側の子たちが多かったのですが、次第に湘南の地元の子の相談が入るようになりました。私の勤務との両立の関係もあって、皆がやらない「夜間傾聴」を始めたことから、家族の寝静まった家の自室から携帯電話を使って相談が飛び込むようになりました。この時間帯当人は自分に向かい合って、その孤独と不安を乗せてきますが、思いつめたものが多くなります。夜の明けるまで、事務作業をやりつつ対話を続けていることも増えました。

当事者からの申し込みの場合、ある程度納得がいくと、自然にかけていくる回数が減っていきます。私が必要ではなくなっていくのです。私も昼間相談すべき方を紹介していくので、その枠に移行していくというのが正しいと思います。つまり「わーく」の候補になってほしい青年は、私のところに残らず、去っていくのです。この辺が矛盾なのです。

他の支援団体や、私の知人の地元団体の紹介から、親子参加してくる事例もあります。それはプレ就労的な活動への期待や、心理カウンセリングに限界を感じた深刻な状況を抱えた方が飛び込みます。夜間の救急絆創膏のような役割への期待です。私の睡眠時間との戦いがありますので、私の側にも限界があります。しかし破局寸前のところには警察の介入のようなことでは済まないことが多いのです。

事態を回避した後のフォローの方が大切ですし、ここは支援者の分担が効きます。「わーく」のような活動は、こうした繰り返しの振り子運動の振幅が収まった若者たちの再出発の企画なのです。だから渦中の方には疎遠な響きがあります。しかしここをきちっと整えておかないと、社会復帰と就労はうまくいかないことが多いのです。仕事マナーの技術的なことに押し流されやすいことですが、働くことの意味を各人が紡ぎだしていくところまで高めたとき、彼は困難に向かっていく構えができあがります。社会は一見つまらない挨拶(私も実は苦手です)や、マナーによって、先が開けることも事実です。しかしそれはその後の人間関係や価値観のもつれに答えをだしてはくれません。

まず隗より始めよなのですが、「わーく」は対策から早く脱皮してそれ自身の魅力を語り始めない限り当事者の参加はないでしょう。支援者はその後に危うさを疑いながら重い腰を上げるということ、それまでは無謀でもトンネルを掘りぬいていかなくてはならないのです。

今日は午後から茅ヶ崎養護学校にお邪魔し、1月27日(土)夜の就労支援講演会の講師依頼をしてきます。その足で今回の当事者くんをもうひとりサポーターを増やす意味で、旧知のKさんにつなぎます。終わってから海老名で訪問で終わり。

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緊急の対応をしています

2007-01-08 06:10:37 | 引きこもり
継続して関わっている家庭に問題が起きて、先ほどお宅まで出かけました。車内で親御さんの当座の解決連絡を受けて帰宅。電話サポート中です。

今回の記事はお休みします。

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冬期講習終了/多様な見方に出会うこと

2007-01-07 06:28:04 | 引きこもり
講習に年度切り替えの会議があって、少々ばてています。嵐が駆け抜けています。この程度では出席率が落ちることはありませんが、雪だと、がくりと落ちます。日本海側と北海道は雪ですね。受験のハンデになるだろうなと、友人のいる有珠山の裾野の風景を思い浮かべて電車でうとうとしていました。辻堂で降りる予定が茅ヶ崎で、まあ寝過ごしてもセーフ。

昨日の彼と話しました。在日であったわけではなく、韓国から親の仕事の関係で日本に住むようになったとのこと。授業時、言葉のハンデがあるようなら、担当者に仲介するから言うようにと説明し、彼と別れました。私の授業は今回が最後ですが、しゅっちゅう顔を合わせるので、少しは意味があるでしょう。

私の勤務しているところは、三流進学予備校で、比較的年齢が揃っているのですが、私の担当するクラスは引きこもり復帰組が入っていて、そこだけが年齢がずれています。私がやっているのは学力回復授業なので、トピックを語る以外は各自の取り組みは、ばらばらで、一斉授業は一部分の形です。生徒数が多いときは時間講師となりますが、他は非常勤の不安定な勤務です。そこで外勤講師という苦情係兼学習カウンセラー・派遣講師という役割がついたり、業者からの学力回復教材の指導研修をしたりしています。いわば雑務便利屋。もうひとつのところは進学塾で小中重点の大手の番外編のような学力回復クラスで、子どもが多かったころは切り捨てられてきた子が、方針もなく抱え込まれているところです。足の怪我で入院する前は、この後者の塾は入っていませんでした。

傾聴に電話してきたり、私の学習通信指導に答案ファイルを送ってきたりする子たちは、今は教室縮小してしまった友人の塾の、もと塾生が大半です。軽度障害を抱える子が多く、不登校や引きこもっている子でもあります。経営難で教室縮小した関係で、紹介者数が減ってきたこともあって、新年度からは通信塾は休み、夜間傾聴だけにするつもりです。オンラインフレネが、地域学習活動から「『わーく』発刊活動」の実践研究へとシフトするのです。

昔、東数協にいたころ、茶碗を置いて、さあ調べなさいとやることがはやったことがありました。重さを量ったり、持ち主を調べたり、地肌から焼き物の種類を探したりと、同じ対象を見ていても、観点が違えばさまざまな「探究」と「見え方」があるわけです。しかもその見え方には観察者の経験が重なってくるので、例え「重さ」という観点でも比較であったり、精度差があったりとさまざまな出てきます。これが他者と話すときのずれ、創造の源泉になっていくのです。

私が家庭や喫茶店・図書館・公民館をまわって、引きこもっている子の学習指導をしているときは、私と当人のふたりの間でしか、対話をつくることがありませんから、従来の暗記と応用のシュミレーションとなります。この辺はいつも豊かさでは、少人数ゼミ型に届かないと思うところなのです。だからむしろ余談脱線を使い、オタク的好奇心を煽って大学に行けとそそのかすことにしているのです。大学にそれがあるかどうかは別として、蛸壺状況よりはいいと思うのです。

昨日巡回する予定だった子は、風雨を理由に日延べして、もっぱら自分の席のない職員室で「わーくマニュアル」を作っていました。タイムカードを通していないので、文句はなし。会議も私は直接関係ないことばかり。外勤報告は誰も聞いていないという…こういうとき偏屈の虫が騒ぐので、ごりごりと話をするのですが、会議の結論は終バスがなくなるからという「たれパンダ」状の結末。期待していないからしょうもなし。

今日は休み。しかし巡回が2件ある。原当麻と相模大野。バス路線がわからないなあと思案中。

●「就職迷子の若者たち」小島貴子著・集英社新書 ISBN:408720359X Sep.'06刊

上記購入。
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冬期講習フィニッシュ!/ひとの存在感ということ

2007-01-06 05:52:21 | 引きこもり
台風が近づいたり、気圧の谷が通過すると、体調に異変が出てくるということがあります。四肢の冷えとか、古傷の痛みというような症状ですが、私もまたそれが出てきます。台風が通過してしまえば、何事もなかったように消えるのですが、子どもの頃からの嫌なサインです。

冬期講習があって、机間巡回の最中に生徒(といっても年齢は成人ですが)の携帯がバイブレーターサインを出し、彼が急に立ち上がって廊下に出ました。授業中はオフにするという規則があるのですが、彼はマナーを守ったつもりですが、間が悪いことに生徒指導が電話中の彼を発見して、廊下で注意したという事件が起きました。私が驚いたのは、彼が電話の応対や、生徒指導への反論が激しい朝鮮語だったということです。授業中無口な落ち着いた子という印象だったのです。このクラスは講習用に組み替えられたクラスで、初対面の子も多いのですが、彼もそのひとりでした。予備校の授業には、2箇所別経営の非常勤で掛け持ち担当しているのですが、激しく食い下がる彼が見えていなかったということが衝撃でした。

授業終了後、生徒指導の注意が私に対してあったのですが、私は「断りなく席を立ち去ったことへの注意」を当人にしたので、それで今回は一件落着にしたと生徒指導に切り替えしたのですが、彼の日常語の理解はどうなっているのかと、これまたお馬鹿な質問をだしてしまいました。当人に語り、話せばわかることなのです。まずいなと思ったあと、帰宅してから罰のように古傷と四肢が痛み始めました。体調は行動の微妙なところに出てきます。

沈黙している子の中には、事情があって沈黙している子がいます。彼の場合、在日というより日本語のネイティブ・スピーカーなのですが、同時に朝鮮語の方がスムーズな母国語というバイリンガルなのでした。言葉がどの程度理解できているかは、話せばすぐにわかります。しかし私は彼を目の前にしていながら、「話をよく聴きおとなしい」という基準で、彼の固有名詞を奪っていたのでした。「生徒」というそれです。彼の激論は「おとなしくしている」彼の事情が浮かびあがるものでした。昨夜は、やきが回っているなと、ため息をつきながら終バスにかけこみ、帰宅したのでした。

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サポセンを受託運営しているNPOの会員のひとりに、郷里の親御さんが亡くなるというご不幸がありました。非科学的な話ですが、人には輝き(アウラまたはオーラ)のようなものがあります。本当に微妙なところなのですが、その方の表情の弾力が失せて見えていたのでした。表情がくすみ、存在を消している瞬間があるというか…。

私は仕事がら、私には深い事情がわからないが、問題を抱え込んでいる子と会い、その悩みや、学習のつまづきを話し合う場面が多いのです。しかしそれは、別に彼が私を呼んだわけではないのです。私の場合、彼が引きこもり状態に入り通級しなくなったという親御さんからの相談がまず本校にあって、担当から依頼の形で話が持ち込まれるのです。偶然出席した日の授業前後とか、親御さんに席をはずしてもらった先方のお宅で話をします。ですから、その子のくすみ具合は重要なサインなのです。ところが今回の彼には全く危なさがない。その意味で日常の授業レベルでは、すっかりクラスの個々人に対し、対話をとることについて油断していたのでした。


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先ほどまで、厚労省と文科省の関連ページのチェックをしていました。「わーく」の資料です。好景気と団塊の世代退職の補充の追い風が吹き始めているから、ニートは解決していくだろうという世間話を信じるほど甘くはないのですが、厚労省の資料を見ていて、それがやはりわかります。

さて不要部分を切って、もう少しマニュアルの文を書いて、今夜の作業を閉じます。

あとで、文を追加します。

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「オンライン環境」は難解ではない/愛知県豊川市周辺の相談機関は?

2007-01-05 08:07:11 | 引きこもり
再会君が切れてしまい、飛び出した駅前から怒りを持て余して電話をかけてきた。以前会ったことのある祖父の□さんに電話。相手からも事情を聴く。結局世間体論が再び彼を追い詰めたことがわかり、□さんの言動に歯止めをかけた。

大人の価値観は、そう簡単には変わらない。彼から連絡が途絶えて一年。順調だと思っていたら、また同じ構図。今回違うのは、再会君が一年のキャリアを順調に積んでいること。電機メーカーの工場再編で遠方に送られることになり、それで転職を考えていることを、祖父の□さんは、「また飽きて引きこもるつもり」と先手を打ったという話。再会君と近々新宿で会うことにした。社会体験はひとを変える。再会君はぶれていない、大丈夫。

昨日の親御さんは、愛知県の豊川の方。さて…私の知人は京都・大阪なので、少々困っている。公的ルートからのほうが無難ということで、連絡を取り始めた。もう少しお待ちを。よい相談者をご存知の方は、コメントにてお知らせください。公開しませんが。公開希望のコメントは、別に書いてください。

午前中に訪問予約電話をする。明日1件決定。主夫業、昼食にありあわせの焼きうどんを作って親に食べさせて外出。相模大野で今年初の打ち合わせ。茅ヶ崎に戻って食事の買い物。新年会をしている茅ヶ崎サポセンに顔を出して挨拶。家に戻り、早めに買ったパンを玄関に置いて、その足で海老名に出て授業。非効率だ。車がほしい。相模大野を経由して帰宅。外勤講師はいわば補完役。窓際講師を使いまわすのだが、私の目的には近いものがあるから、時間の間が空くのはやむ終えないものと思って続けている。

しかし新年会に出て、またまた違和感を感じてしまった。私の立場が、皆さんの休暇が逆に忙しいということもある。これは仕事を説明すれば納得してくださる。しかし障碍の話や、教育の話、そして地域のライフスタイルの話と交差するような厄介な私の活動の説明は、樹木の先端から次の枝に移らないと樹木が描けないように、その飛躍の部分で先方の気力が途切れてしまう。解決すべき実情が共有されていないから、なおさらのこと。提案の目的がなかなか先方の理解につながらないのだ。

実は今日は、視覚障碍の領域の方にはお馴染みの石川准さんの講演記録を相模大野のPCで集めていた。「わーく」が、活動の枠組みの中にさまざまなコミュニケーションツールを使う。中邑賢龍さんや、河村宏さん、石川准さんというビッグネームをたどっているのは、システム論の目で活動環境をフィットさせたいと思うからなのだ。対象の引きこもり青年が動き出していない状況では、わかりやすさ・面白さ・有益性が直感的に見える状態を作ると同時に、機械苦手・IT難解・機械非人間的論の煙幕で、活動の不安定化回避に回っている諸団体の代表者のバリアに対し、何らかの契機をつかみ、その心を開きたいからだった。

昨年の行政との協働プラットホームでは、補完提案が「わーく」と「携帯ネット」となり、資金源に「裏面企業広告」と「アフェリエイト」と言った瞬間に、「インターネットは信用できない」となったり、一方、「発刊資金確保の範囲」でオンラインショップ販売可能な商品の例を12月例会で語った瞬間に、団体関係者が媒体の異なる従来のコーナー展示販売やフリマ販売実績を連想してしまうという具合に、販売市場の状況が両極端の常識のレッテルが貼られて、即座に放棄されてしまう。一発千金もオタクの世界のレッテルも無縁な、そこそこのリアルなオンライン状況が伝わらない困難をどうするかという難題が、どこにも控えていた。

現状の範囲で、かつ見通しのある活動にすること。領域を超えた交流を媒介する場の特性を利用することに、「インターネット媒体の有効性」をどう伝えるかという課題がのしかかっていた。私がマルチメディア媒体の解説を書くに踏み切ったのは、文字はすでに読む前に、文字数の多さに敬遠されていたからだった。勿論、よりまし策でしかないことは、わかっている。

引きこもりの当事者の現状は、相変わらず抜き差しならない状況を続けている。これを打開するには、対症療法ではなく、場面転換を図る大きな流れを作り出す必要がある。これにはネットビギナーではなくて、ネットワーカーの支援がいるのだ。

私がサポセンで感じている違和感は、私の活動が社会運動であり、解決の必要性を活動の背後に突きつけていること。従来の「有益な日常活動」という域をはみ出していることだ。このセンスのすれ違いが言葉の齟齬を生み出している。お互いの常識が違っているということなのだ。

夜間、切々と生きる痛みを語る青年の言葉は、一方で同僚がもてあまして送り込んだ者の追い込まれた言葉でもあるのだ。だからなおさらに傾聴は、やめてはならないと思う。

私は不登校の子どもたちとの活動を作りつつ、そのOBが社会の中で再び孤立していることに、自前のフリースクールをつぶしてきた人間として、他人の土俵の中でしか受け止めきれないふがいなさを感じつつも、反面、受け皿フリースペース論の限界も見てしまう。開かれたひとのネットワーキングのなかに道を開くには、キャッチボールが一人でなりたたないように相手がいる。ここで私がテレコムの有効性の説得の空転に悶えているが、それはそれ。現在続けている傾聴と支援の活動はやれる範囲、踏みこたえて、続けていかねばならない。

おそらく「わーく」の誕生は、この状況を突き崩す流れになるだろう。その前の産みの苦しみなのだと思う。2006/12/19の毎日新聞には「企業と障害のある方の仕事を結ぶHP開設へ」と題して「今年3月、北海道障害者保健福祉課のホームページに『ジョブチャンスボード』」という職業求人情報交換ボードが開設されるという踏み込んだ試みが始まっている。こういう新たな動きは各地にある。行政すら改善に動き出さねばならない重い時代だ。だから当事者が職業を手探りで考える試みを就労と結びつける複合した試みが、私のHPから伝染していくなら、当事者を無視しない限り、私は盗んで実現してくださいと願う。そういう真似のできる活動でなければ、私の活動は広がっていかないだろう。なしうるところがはじめればいい。

さまざまな思いが時間と用事に寸断されてしまう。しかし「わーく」は登場させたい。状況を拓きたい。価値を認知してほしいと願う。

今日は訪問1件、面談1件、本校夜の冬期講習。間があるのでPC持参で「わーく」マニュアル作りをする予定。

Z君、携帯は「19~22時」はだめ。前後の時間帯はかまわないよ。

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かじかさん、賛成/傾聴には正月が無いのかな

2007-01-04 07:02:34 | 引きこもり
かじかさん、お騒がせしました。

私は若者の労働意欲の衰退の幹は、自分が社会の部品化していることに敏感に反応しているのだと思っています。西欧の個人意識は日本では明確な形で確立されていないし、今後もそんじょそこらでは成り立たないと思っています。

社会は厳然としてあり、そこに如何にはまるかという発想に、産業社会の成熟の病根と言ってもしょうがないわけで、社会を平板に見ないで、まず面白そうなことに取り組んでみて社会に根を張る方法を考えていく方が立ちはだかる問題も具体的に見えるし、方策も見通しが手に入ると思うのです。この社会参加の企ての中で、社会の一員という発想が育ってくるし、個人が社会と取り結ぶという関係も育ってくると思います。

その意味で、かじかさんのお話賛成です。常識は空気みたいに見えないから、可視化しながら取り組んでいくのです。

かじかさんのような方が参加されているのですね。またふらりフレネ研を覘いてみようかなという気になりました。出くわしましたらよろしく。ため息ついている、見慣れない白髪のおじさんが私ですので。(笑)

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例年に無く、正月早々、傾聴満員御礼です。というより、親戚が集まるから矛盾が掻き立てられるのですね。何歳には何々を成し遂げていなくてはならないという発想が、逆に自分の内側の毒のように自分を縛っているように感じてなりません。レギュラー君はひとり、あとは再会君がひとり、新しい方(問い合わせのみ)と、別の親御さんがそれぞれひとり。昨日は珍しい状態でした。

半数の方は、「しんどいねえ」と、まさに「傾聴」以外に私のできそうなことがない、継続再会の約束しました。対策が出てくるには、まだまだ時間がかかります。親御さんは愛知県の方。地元の関係者とも連絡を取るようにと、私も適任者を探すことに…。

ごめんなさい、ボランティアなので時間的に限界。お断りすることも出てきます。今は大きな流れを作る方に重心をおきたいのです。

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親戚が2日にやってきて、3日には寒川神社に来た東京の友人が、私が「帰れ」というのに、居座って世間話をしている最中に、割り込むように昼間から傾聴希望者の電話。年賀状をもらったのでと、その電話のあとに、引き続き知人から電話が入る。これが幸いして、呆れて寒川神社君たちが車で帰って行ったという経過。

今日(4日)は冬期講習再開。夜ですが一こま。サポセンの初顔合わせ(16時~)に出てから回ります。窓際族なので、若手みたいに三賀日返上などと、しないですむからその辺は楽。「わーく」の昨日の続きは、また昼間に。


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「わーく」は活字を拾いませんが…(『いま・ここ』に根ざす学び)

2007-01-03 07:06:05 | 引きこもり
かじかさん、コメントありがとうございます。

フレネ研には10年来の外野で、たまに何回か、お邪魔していました。スタンスが学校現場なので、物足らなさを感じていたのです。今進めている「わーく」にもフレネの影があります。社会教育フレネに近いところがあります。しかしずれてきているのは、模擬体験の場として「わーく」を位置づけているのではなく、苗場とでもいうか諸活動の萌芽形成の場として、よりアクティブに考えているのです。社会なるものを「理解するための」探索ではなく、「住み着くための」探索なのです。

さまざまなひとと、就労関連マスコミの発刊活動をすることで、私と私たちが社会に結びついていく活動なのです。これ自身が社会的企業の要素を持ち、ここから生まれた着想は周辺に移植されていく活動です。この意味で公共性をもち、私たちが主張している「YJS湘南のミニ講座部分」の委託業務を支える活動です。YJSと関連づくことで、私たちは自分に合った仕事を求める若者と出会い、活動を返すことでさまざまな体験や着想をYJSに返します。またYJSと結びつくことで、私たちは就労の現場、職場見学やさまざまな分野・領域の先人たちとよりスムーズに出会います。社会的な保障をいただくのです。

ですから活動は、より公共的に展開されなくてはなりません。私企業やNPOが委託業務を展開するという形を脱し、同時に「わーく」の活動から生じるさまざまな問題に支援を提供できる経験者の見守り(実務者ネット)連絡会と関連づいた社会的企業として、「わーく」は形づくられるのです。

私は茅ヶ崎市との協働をこの枠組み形成提案としてトップダウン的に作ってきたがゆえに、それぞれの立場で活動されている方の現在の必要とずれて、差し伸べる互いの手が接しない、やるせない思いを重ねてきました。

しかし「わーく」から形作る、いわばボトムアップの活動ならば、身の丈なりの活動と背伸びの可能性を得ることができます。しかし「わーく」がその機能を十全に果たすのは、公共性の枠組みを獲得したときです。就労活動が経験者による指導紹介活動からはみだして、当事者が探りつかんでいく活動になるのです。

フレネに触発された活動ということは事実です。デューイやニイルの社会体験やベンポスタの生活共同体とも違う、私たちの営んでいる社会に根付いていく活動です。

かじかさん、フレネの活動が、フランス政府から国の文化資産として評価されていることを昔、若狭さんの講演で知りました。「探索による就労」ということが長い目で見たとき、企業という宝くじを引き当てる構造を突き崩す内容を孕んでいることが見えるなら、日本政府ではなくとも、関連公共団体行政が手をぽんと打つ内容だとは思いませんか。

勿論、賛同当事者が作っていく活動には、違いないのですが。

いま、冊子を常設してくれるお店の店長さんや、裏面を広告に買い上げてくれる企業の関係者の方に向けた解説CDと、設置お試し号0号「わーく」を準備しています。今月下旬には街に登場させたいのですが。

蛇足>「裏面を広告に買い上げて」という部分は、
   「The Big Issue」誌のポリシーに感化されています。

かじかさん>以下に「協同学習のヒント集」があります。これは高校生学齢のかなり要求度の高かった不登校の子たち数名とゼミナールを行ったときの教材です。ただ、ここは導火線。

●湘南オンラインフレネ
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2
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年賀状の向こうに思いを馳せつつ/The Big Issue 茅ヶ崎支援団体からメールが

2007-01-02 07:36:04 | 引きこもり
年賀状が届いた。大半がレギュラー。教えた子たちは一日には来ない、いつも遅れてくる。全体のスリム化も心がけて、できる限りe-mail化しているが、どうもe-mailは評判がよくない。だんだん遠方のNPO関係からの連絡が減ってきているのは、私が遠方に出かけなくなっているからだが、そうした私自身の状態も敏感に反映してくるのがわかる。

「『わーく』解説CM冊子」と「同誌0号店頭ご挨拶号」は両方とも並行して出すが、前者は店舗開拓と参加者・支援者拡張が目的となっている。この解説誌にDAISY版を添付して、読み上げ解説を入れようとしている。忙しい店舗の店長さんには、文字羅列より説得力があるだろうと思う。

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解説誌の構成には、木構造を育ててトップダウン型に文章を作っていくフリーソフトを使っている。小見出しのあとは、KJ法アイデアプロセッサでざっとまとめ、トップダウン型のアイデアプロセッサに流し込む方法で作業を進めている。

全体が仕上がったら、これをDAISYのシグツナに吹き込んでいく。今は見出しが完備して、その中身を作っている最中だ。カラー印刷の費用がかかるが、茅ヶ崎サポセン印刷機の2色刷りを考えているが、果たしてコンビニの片隅に置いたとき、若い人たちが手に取ってくれるかがかなり怪しいと見ている。先々はこのデザインも当事者が開発することになる。

流れには3つの系統がある。ひとつは「YJS湘南(または類似機関)をつくろう」という流れ。もうひとつは「『わーく』編集部と参加者の活動を」という根から二股に分かれ、「『わーく』発刊活動を進めよう」と「『わーく』オンライン携帯ネットを作ろう」という呼びかけ。

今はまだ「YJS湘南(または類似機関)をつくろう」を書き進めているところだ。

2日、今日は、親戚関係が集まるので、先に進めにくいので、3日はどっぷり作業に当てる。

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「The Big Issue」誌のネットワークから、地元協力者のEさんのメールが届いた。茅ヶ崎販売員の方と一緒に懇談に参加してくれそうだ。全国状況は東京事務所のスタッフの方に御願いして、私たちは福祉ネット促進PJらしく、引きこもり・ニート青年とのつながりや、生活保護との関連を求めたり、その方法の特徴である自立支援の考え方を論じていこうと考えている。

メールをくださったEさんは、カトリック教会の活動家の方。これもいままで接点のなかった活動でもある。布教活動ならお断りするが、社会活動の範疇を逸脱しない範囲で、お互いの交流を考えている。

数日中に、会うことができないかと、応答を書いている。

----- 今日は、ここまで。

(注)YJS >ヤングジョブスポットの略
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年賀状を書きながら/千両一輪正月がやってくる

2007-01-01 07:13:43 | 引きこもり
遅ればせの年賀状を先ほど書き終えた。ひとり名前が消えた。塾屋仲間で昨年来喉頭がんを患っていた。転移があって命を閉じた。娘さんがカナー型の自閉症で、娘さんとの時間を作るために小学校教員をやめて、塾屋に転身した。ところが奥さんがプルーンが万能薬と信じる新興宗教に入信したために、娘さんの教育にひどく苦労をしていた。

塾の授業の教室の隅で、お気に入りのメタルテープを巻き取る作業を、延々としている娘さんを、メガネの隙間から眺めている彼が印象に残っていた。毎年12月には彼と一杯やるのだが、私がII型糖尿病と成人病検診で発見されてから、やや疎遠にしていた。その関係か、彼ががんを発症、入院し、他界されるまで、私は彼が元気であると思い込んでいた。喪中の葉書が飛び込み、彼の逝去を知ったのだった。宗教嫌いの私を奥さんは警戒していたので、闘病中の彼にわたしを引き合わせるのを疎んじていたのだろうと推測する。娘さんは奥さんの実家のご両親が当座の引き受け先になり、塾もまた廃業するとの電話先の奥さんの話を聞いて、実は言葉の響きに封じられた彼の無念さを感じ取っていた。

私と同世代の知人・友人がぽつりぽつり去っていく。そんな年齢に差し掛かったという実感がある。立ち入ることのできない家庭の壁、親権の領域に手をこまねいているわけではないが、娘さんに誤った治療を施しかねないことに対し無力感を感じている。

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細木数子がまたろくでもないことを言っていた。「いじめは、いじめられる側にも問題がある」という主張。この手の論理は、場の文脈から切り離されて語られる。いじめられた当人が、いじめられていることを告白する状況は、当人の心をオーバーフローする限界の状態で語られることが多く、この主張は告白を受け止めることを忌避する文脈で使われるため、字義通りの解釈を論じても意味を持たないことや、言葉の影響が当事者にとって谷間に落ちるに等しいことすらあること。またいじめは力関係の圧倒的な非対称性の中に生じるために、この言葉がいじめの助長の政治的な言葉に利用される現場の影響の軽視が潜んでいる。まずは「いじめの停止」「いじめの回避」から始めるべきなのだ。そこが軽視されてはならない。さらにこの手の論議が、大人の側、社会を仕切る側からの論議であり、当事者・同世代の発言がきれいに掻き消えていることに注意を促したい。

教育の論議の穴であるのだが、大人はいつまで経っても保護者という横暴を子どもに向けている。子育てという仕事の中に、子ども当人の育ちとの交流の結果が意識されていないのはなぜだろう。これは療育の場でも共通の匂いがある。小学生はいざしらず、中高生が語る言葉を持たないのは異様ではないか。ここに場の仕切りの抑圧が働いている。その中で「いじめは、いじめられている側にも問題がある」という言葉をおいて考えてみてほしい。

百歩譲ったとして、この論理はどこかで聞いたことがあるのだ。レイプである。レイプされた側は、犯人を挑発するような服装や態度を取っているのだという論理がある。いじめが集団への組み込みと排除という文脈や、不満による理不尽な破壊と被害の文脈を背景に抱えている中で、それを抑え除外した話としても、酔客の横暴はされる側が近くにいるという非があるというに至る論はおかしい。いじめられる者がいじめる、関係の泥沼も真実だ。だがそのことがいじめることを正当化することにはかけらにもならないだろう。こういう論理が平気で横行する空気に私は違和感を感じる。暴力に鈍感になっては、ならないと思うのだ。

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年賀状を書き終えて、最後の投函を済ませた。明け方の4時にポストに投函に出た。珍しい光景に出会った。公衆電話に若者が小銭を入れて使ってるただそれだけの光景だった。携帯の普及している現在、公衆電話の数も少ないが、それを明け方、若者が携帯電話ではなく公衆電話を使っていたというつまらない話なのだが、おやっと思ってしまった。

パトカーが年末年始警戒に、ゆっくりと通り過ぎていくのを見ながら帰宅した。夕方に大晦日の買出しの山の上にのせて、赤い千両の小枝を買った。これで正月がやってくる。新年を前に玄関先に一輪、赤い実を差した。

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