再会君が切れてしまい、飛び出した駅前から怒りを持て余して電話をかけてきた。以前会ったことのある祖父の□さんに電話。相手からも事情を聴く。結局世間体論が再び彼を追い詰めたことがわかり、□さんの言動に歯止めをかけた。
大人の価値観は、そう簡単には変わらない。彼から連絡が途絶えて一年。順調だと思っていたら、また同じ構図。今回違うのは、再会君が一年のキャリアを順調に積んでいること。電機メーカーの工場再編で遠方に送られることになり、それで転職を考えていることを、祖父の□さんは、「また飽きて引きこもるつもり」と先手を打ったという話。再会君と近々新宿で会うことにした。社会体験はひとを変える。再会君はぶれていない、大丈夫。
昨日の親御さんは、愛知県の豊川の方。さて…私の知人は京都・大阪なので、少々困っている。公的ルートからのほうが無難ということで、連絡を取り始めた。もう少しお待ちを。よい相談者をご存知の方は、コメントにてお知らせください。公開しませんが。公開希望のコメントは、別に書いてください。
午前中に訪問予約電話をする。明日1件決定。主夫業、昼食にありあわせの焼きうどんを作って親に食べさせて外出。相模大野で今年初の打ち合わせ。茅ヶ崎に戻って食事の買い物。新年会をしている茅ヶ崎サポセンに顔を出して挨拶。家に戻り、早めに買ったパンを玄関に置いて、その足で海老名に出て授業。非効率だ。車がほしい。相模大野を経由して帰宅。外勤講師はいわば補完役。窓際講師を使いまわすのだが、私の目的には近いものがあるから、時間の間が空くのはやむ終えないものと思って続けている。
しかし新年会に出て、またまた違和感を感じてしまった。私の立場が、皆さんの休暇が逆に忙しいということもある。これは仕事を説明すれば納得してくださる。しかし障碍の話や、教育の話、そして地域のライフスタイルの話と交差するような厄介な私の活動の説明は、樹木の先端から次の枝に移らないと樹木が描けないように、その飛躍の部分で先方の気力が途切れてしまう。解決すべき実情が共有されていないから、なおさらのこと。提案の目的がなかなか先方の理解につながらないのだ。
実は今日は、視覚障碍の領域の方にはお馴染みの石川准さんの講演記録を相模大野のPCで集めていた。「わーく」が、活動の枠組みの中にさまざまなコミュニケーションツールを使う。中邑賢龍さんや、河村宏さん、石川准さんというビッグネームをたどっているのは、システム論の目で活動環境をフィットさせたいと思うからなのだ。対象の引きこもり青年が動き出していない状況では、わかりやすさ・面白さ・有益性が直感的に見える状態を作ると同時に、機械苦手・IT難解・機械非人間的論の煙幕で、活動の不安定化回避に回っている諸団体の代表者のバリアに対し、何らかの契機をつかみ、その心を開きたいからだった。
昨年の行政との協働プラットホームでは、補完提案が「わーく」と「携帯ネット」となり、資金源に「裏面企業広告」と「アフェリエイト」と言った瞬間に、「インターネットは信用できない」となったり、一方、「発刊資金確保の範囲」でオンラインショップ販売可能な商品の例を12月例会で語った瞬間に、団体関係者が媒体の異なる従来のコーナー展示販売やフリマ販売実績を連想してしまうという具合に、販売市場の状況が両極端の常識のレッテルが貼られて、即座に放棄されてしまう。一発千金もオタクの世界のレッテルも無縁な、そこそこのリアルなオンライン状況が伝わらない困難をどうするかという難題が、どこにも控えていた。
現状の範囲で、かつ見通しのある活動にすること。領域を超えた交流を媒介する場の特性を利用することに、「インターネット媒体の有効性」をどう伝えるかという課題がのしかかっていた。私がマルチメディア媒体の解説を書くに踏み切ったのは、文字はすでに読む前に、文字数の多さに敬遠されていたからだった。勿論、よりまし策でしかないことは、わかっている。
引きこもりの当事者の現状は、相変わらず抜き差しならない状況を続けている。これを打開するには、対症療法ではなく、場面転換を図る大きな流れを作り出す必要がある。これにはネットビギナーではなくて、ネットワーカーの支援がいるのだ。
私がサポセンで感じている違和感は、私の活動が社会運動であり、解決の必要性を活動の背後に突きつけていること。従来の「有益な日常活動」という域をはみ出していることだ。このセンスのすれ違いが言葉の齟齬を生み出している。お互いの常識が違っているということなのだ。
夜間、切々と生きる痛みを語る青年の言葉は、一方で同僚がもてあまして送り込んだ者の追い込まれた言葉でもあるのだ。だからなおさらに傾聴は、やめてはならないと思う。
私は不登校の子どもたちとの活動を作りつつ、そのOBが社会の中で再び孤立していることに、自前のフリースクールをつぶしてきた人間として、他人の土俵の中でしか受け止めきれないふがいなさを感じつつも、反面、受け皿フリースペース論の限界も見てしまう。開かれたひとのネットワーキングのなかに道を開くには、キャッチボールが一人でなりたたないように相手がいる。ここで私がテレコムの有効性の説得の空転に悶えているが、それはそれ。現在続けている傾聴と支援の活動はやれる範囲、踏みこたえて、続けていかねばならない。
おそらく「わーく」の誕生は、この状況を突き崩す流れになるだろう。その前の産みの苦しみなのだと思う。2006/12/19の毎日新聞には「企業と障害のある方の仕事を結ぶHP開設へ」と題して「今年3月、北海道障害者保健福祉課のホームページに『ジョブチャンスボード』」という職業求人情報交換ボードが開設されるという踏み込んだ試みが始まっている。こういう新たな動きは各地にある。行政すら改善に動き出さねばならない重い時代だ。だから当事者が職業を手探りで考える試みを就労と結びつける複合した試みが、私のHPから伝染していくなら、当事者を無視しない限り、私は盗んで実現してくださいと願う。そういう真似のできる活動でなければ、私の活動は広がっていかないだろう。なしうるところがはじめればいい。
さまざまな思いが時間と用事に寸断されてしまう。しかし「わーく」は登場させたい。状況を拓きたい。価値を認知してほしいと願う。
今日は訪問1件、面談1件、本校夜の冬期講習。間があるのでPC持参で「わーく」マニュアル作りをする予定。
Z君、携帯は「19~22時」はだめ。前後の時間帯はかまわないよ。
大人の価値観は、そう簡単には変わらない。彼から連絡が途絶えて一年。順調だと思っていたら、また同じ構図。今回違うのは、再会君が一年のキャリアを順調に積んでいること。電機メーカーの工場再編で遠方に送られることになり、それで転職を考えていることを、祖父の□さんは、「また飽きて引きこもるつもり」と先手を打ったという話。再会君と近々新宿で会うことにした。社会体験はひとを変える。再会君はぶれていない、大丈夫。
昨日の親御さんは、愛知県の豊川の方。さて…私の知人は京都・大阪なので、少々困っている。公的ルートからのほうが無難ということで、連絡を取り始めた。もう少しお待ちを。よい相談者をご存知の方は、コメントにてお知らせください。公開しませんが。公開希望のコメントは、別に書いてください。
午前中に訪問予約電話をする。明日1件決定。主夫業、昼食にありあわせの焼きうどんを作って親に食べさせて外出。相模大野で今年初の打ち合わせ。茅ヶ崎に戻って食事の買い物。新年会をしている茅ヶ崎サポセンに顔を出して挨拶。家に戻り、早めに買ったパンを玄関に置いて、その足で海老名に出て授業。非効率だ。車がほしい。相模大野を経由して帰宅。外勤講師はいわば補完役。窓際講師を使いまわすのだが、私の目的には近いものがあるから、時間の間が空くのはやむ終えないものと思って続けている。
しかし新年会に出て、またまた違和感を感じてしまった。私の立場が、皆さんの休暇が逆に忙しいということもある。これは仕事を説明すれば納得してくださる。しかし障碍の話や、教育の話、そして地域のライフスタイルの話と交差するような厄介な私の活動の説明は、樹木の先端から次の枝に移らないと樹木が描けないように、その飛躍の部分で先方の気力が途切れてしまう。解決すべき実情が共有されていないから、なおさらのこと。提案の目的がなかなか先方の理解につながらないのだ。
実は今日は、視覚障碍の領域の方にはお馴染みの石川准さんの講演記録を相模大野のPCで集めていた。「わーく」が、活動の枠組みの中にさまざまなコミュニケーションツールを使う。中邑賢龍さんや、河村宏さん、石川准さんというビッグネームをたどっているのは、システム論の目で活動環境をフィットさせたいと思うからなのだ。対象の引きこもり青年が動き出していない状況では、わかりやすさ・面白さ・有益性が直感的に見える状態を作ると同時に、機械苦手・IT難解・機械非人間的論の煙幕で、活動の不安定化回避に回っている諸団体の代表者のバリアに対し、何らかの契機をつかみ、その心を開きたいからだった。
昨年の行政との協働プラットホームでは、補完提案が「わーく」と「携帯ネット」となり、資金源に「裏面企業広告」と「アフェリエイト」と言った瞬間に、「インターネットは信用できない」となったり、一方、「発刊資金確保の範囲」でオンラインショップ販売可能な商品の例を12月例会で語った瞬間に、団体関係者が媒体の異なる従来のコーナー展示販売やフリマ販売実績を連想してしまうという具合に、販売市場の状況が両極端の常識のレッテルが貼られて、即座に放棄されてしまう。一発千金もオタクの世界のレッテルも無縁な、そこそこのリアルなオンライン状況が伝わらない困難をどうするかという難題が、どこにも控えていた。
現状の範囲で、かつ見通しのある活動にすること。領域を超えた交流を媒介する場の特性を利用することに、「インターネット媒体の有効性」をどう伝えるかという課題がのしかかっていた。私がマルチメディア媒体の解説を書くに踏み切ったのは、文字はすでに読む前に、文字数の多さに敬遠されていたからだった。勿論、よりまし策でしかないことは、わかっている。
引きこもりの当事者の現状は、相変わらず抜き差しならない状況を続けている。これを打開するには、対症療法ではなく、場面転換を図る大きな流れを作り出す必要がある。これにはネットビギナーではなくて、ネットワーカーの支援がいるのだ。
私がサポセンで感じている違和感は、私の活動が社会運動であり、解決の必要性を活動の背後に突きつけていること。従来の「有益な日常活動」という域をはみ出していることだ。このセンスのすれ違いが言葉の齟齬を生み出している。お互いの常識が違っているということなのだ。
夜間、切々と生きる痛みを語る青年の言葉は、一方で同僚がもてあまして送り込んだ者の追い込まれた言葉でもあるのだ。だからなおさらに傾聴は、やめてはならないと思う。
私は不登校の子どもたちとの活動を作りつつ、そのOBが社会の中で再び孤立していることに、自前のフリースクールをつぶしてきた人間として、他人の土俵の中でしか受け止めきれないふがいなさを感じつつも、反面、受け皿フリースペース論の限界も見てしまう。開かれたひとのネットワーキングのなかに道を開くには、キャッチボールが一人でなりたたないように相手がいる。ここで私がテレコムの有効性の説得の空転に悶えているが、それはそれ。現在続けている傾聴と支援の活動はやれる範囲、踏みこたえて、続けていかねばならない。
おそらく「わーく」の誕生は、この状況を突き崩す流れになるだろう。その前の産みの苦しみなのだと思う。2006/12/19の毎日新聞には「企業と障害のある方の仕事を結ぶHP開設へ」と題して「今年3月、北海道障害者保健福祉課のホームページに『ジョブチャンスボード』」という職業求人情報交換ボードが開設されるという踏み込んだ試みが始まっている。こういう新たな動きは各地にある。行政すら改善に動き出さねばならない重い時代だ。だから当事者が職業を手探りで考える試みを就労と結びつける複合した試みが、私のHPから伝染していくなら、当事者を無視しない限り、私は盗んで実現してくださいと願う。そういう真似のできる活動でなければ、私の活動は広がっていかないだろう。なしうるところがはじめればいい。
さまざまな思いが時間と用事に寸断されてしまう。しかし「わーく」は登場させたい。状況を拓きたい。価値を認知してほしいと願う。
今日は訪問1件、面談1件、本校夜の冬期講習。間があるのでPC持参で「わーく」マニュアル作りをする予定。
Z君、携帯は「19~22時」はだめ。前後の時間帯はかまわないよ。