一昨日の夜から、引きこもり青年の家族間の危うい状態が始まり、暴力行為に移行する寸前に介入しました。悲しいことですが、彼が自分を追い込んだ結果でした。投薬し、落ち着きを取り戻しています。
親御さんからの介入要請があり、23時をまわりつつありましたが、お宅に向かいました。私の介入基準は命に関わる暴力の阻止の一点です。むやみに行ってよいものではありません。幸い車内からの当事者説得が効き、途中でUターン出来ました。私の担当する若者の場合、支援者をまわりめぐって紹介されている場合が多く。今回のように、介入が必要になったりする深刻な事例もあります。
私が行ってきた活動は、もともと学齢期のお子さんの自立支援でした。復学か自学かは、お子さんの場合によって異なります。前者のお子さんにバイパス学習指導をしたり、後者のお子さんにゼミ形式のフリースクール的学習支援を行っていました。そこに学習困難な子たちとの接点が生まれ、そのお子さんの成長に伴い、引きこもり青年の支援が始まって行ったのです。
この関係で私の関係した子たちは、拠点の塾の関係で、東京と神奈川の県境の東京側の子たちが多かったのですが、次第に湘南の地元の子の相談が入るようになりました。私の勤務との両立の関係もあって、皆がやらない「夜間傾聴」を始めたことから、家族の寝静まった家の自室から携帯電話を使って相談が飛び込むようになりました。この時間帯当人は自分に向かい合って、その孤独と不安を乗せてきますが、思いつめたものが多くなります。夜の明けるまで、事務作業をやりつつ対話を続けていることも増えました。
当事者からの申し込みの場合、ある程度納得がいくと、自然にかけていくる回数が減っていきます。私が必要ではなくなっていくのです。私も昼間相談すべき方を紹介していくので、その枠に移行していくというのが正しいと思います。つまり「わーく」の候補になってほしい青年は、私のところに残らず、去っていくのです。この辺が矛盾なのです。
他の支援団体や、私の知人の地元団体の紹介から、親子参加してくる事例もあります。それはプレ就労的な活動への期待や、心理カウンセリングに限界を感じた深刻な状況を抱えた方が飛び込みます。夜間の救急絆創膏のような役割への期待です。私の睡眠時間との戦いがありますので、私の側にも限界があります。しかし破局寸前のところには警察の介入のようなことでは済まないことが多いのです。
事態を回避した後のフォローの方が大切ですし、ここは支援者の分担が効きます。「わーく」のような活動は、こうした繰り返しの振り子運動の振幅が収まった若者たちの再出発の企画なのです。だから渦中の方には疎遠な響きがあります。しかしここをきちっと整えておかないと、社会復帰と就労はうまくいかないことが多いのです。仕事マナーの技術的なことに押し流されやすいことですが、働くことの意味を各人が紡ぎだしていくところまで高めたとき、彼は困難に向かっていく構えができあがります。社会は一見つまらない挨拶(私も実は苦手です)や、マナーによって、先が開けることも事実です。しかしそれはその後の人間関係や価値観のもつれに答えをだしてはくれません。
まず隗より始めよなのですが、「わーく」は対策から早く脱皮してそれ自身の魅力を語り始めない限り当事者の参加はないでしょう。支援者はその後に危うさを疑いながら重い腰を上げるということ、それまでは無謀でもトンネルを掘りぬいていかなくてはならないのです。
今日は午後から茅ヶ崎養護学校にお邪魔し、1月27日(土)夜の就労支援講演会の講師依頼をしてきます。その足で今回の当事者くんをもうひとりサポーターを増やす意味で、旧知のKさんにつなぎます。終わってから海老名で訪問で終わり。
親御さんからの介入要請があり、23時をまわりつつありましたが、お宅に向かいました。私の介入基準は命に関わる暴力の阻止の一点です。むやみに行ってよいものではありません。幸い車内からの当事者説得が効き、途中でUターン出来ました。私の担当する若者の場合、支援者をまわりめぐって紹介されている場合が多く。今回のように、介入が必要になったりする深刻な事例もあります。
私が行ってきた活動は、もともと学齢期のお子さんの自立支援でした。復学か自学かは、お子さんの場合によって異なります。前者のお子さんにバイパス学習指導をしたり、後者のお子さんにゼミ形式のフリースクール的学習支援を行っていました。そこに学習困難な子たちとの接点が生まれ、そのお子さんの成長に伴い、引きこもり青年の支援が始まって行ったのです。
この関係で私の関係した子たちは、拠点の塾の関係で、東京と神奈川の県境の東京側の子たちが多かったのですが、次第に湘南の地元の子の相談が入るようになりました。私の勤務との両立の関係もあって、皆がやらない「夜間傾聴」を始めたことから、家族の寝静まった家の自室から携帯電話を使って相談が飛び込むようになりました。この時間帯当人は自分に向かい合って、その孤独と不安を乗せてきますが、思いつめたものが多くなります。夜の明けるまで、事務作業をやりつつ対話を続けていることも増えました。
当事者からの申し込みの場合、ある程度納得がいくと、自然にかけていくる回数が減っていきます。私が必要ではなくなっていくのです。私も昼間相談すべき方を紹介していくので、その枠に移行していくというのが正しいと思います。つまり「わーく」の候補になってほしい青年は、私のところに残らず、去っていくのです。この辺が矛盾なのです。
他の支援団体や、私の知人の地元団体の紹介から、親子参加してくる事例もあります。それはプレ就労的な活動への期待や、心理カウンセリングに限界を感じた深刻な状況を抱えた方が飛び込みます。夜間の救急絆創膏のような役割への期待です。私の睡眠時間との戦いがありますので、私の側にも限界があります。しかし破局寸前のところには警察の介入のようなことでは済まないことが多いのです。
事態を回避した後のフォローの方が大切ですし、ここは支援者の分担が効きます。「わーく」のような活動は、こうした繰り返しの振り子運動の振幅が収まった若者たちの再出発の企画なのです。だから渦中の方には疎遠な響きがあります。しかしここをきちっと整えておかないと、社会復帰と就労はうまくいかないことが多いのです。仕事マナーの技術的なことに押し流されやすいことですが、働くことの意味を各人が紡ぎだしていくところまで高めたとき、彼は困難に向かっていく構えができあがります。社会は一見つまらない挨拶(私も実は苦手です)や、マナーによって、先が開けることも事実です。しかしそれはその後の人間関係や価値観のもつれに答えをだしてはくれません。
まず隗より始めよなのですが、「わーく」は対策から早く脱皮してそれ自身の魅力を語り始めない限り当事者の参加はないでしょう。支援者はその後に危うさを疑いながら重い腰を上げるということ、それまでは無謀でもトンネルを掘りぬいていかなくてはならないのです。
今日は午後から茅ヶ崎養護学校にお邪魔し、1月27日(土)夜の就労支援講演会の講師依頼をしてきます。その足で今回の当事者くんをもうひとりサポーターを増やす意味で、旧知のKさんにつなぎます。終わってから海老名で訪問で終わり。