湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

合羽橋は夕闇の中

2005-03-31 03:40:38 | 引きこもり
 東海大学代々木校舎で「第7回 コミュニケーション・フォーラム」に参加してきました。チューターの発言は新味の無いものでしたが、早大の山西優二氏の地域教育作りの話を議論してきました。また、その場で神戸の初日だけで帰ってきた集まりの第二・三日の情報収拾をして、協力人材確保のダメ押しを参加した知人にしてきました。

 前者の議論は山西氏のインド・ジャガルティスクールの生活を基軸にした教育の実践の様を例に取り、日本の地域の学びと生活課題を取り上げることの重要性、地域の課題をともに解決していくことを提案されていました。

この地域の「課題」なるものに感じる「しらけ」をQ&Aで僕が指摘。

 「心身障がい・不登校・引きこもりというマイノリティの領域は

「自分たちは、どう生きて行ったらいいのか」

という問いかけの中に「地域」が意味を持ってくる。ところがいままで語られた地域の課題は、万人にとって重要な課題、皆が取り組まなければならない課題。実はここに大きな溝があるのであって、私たちの立場から、その課題は「個別性」を剥ぎ取った「匿名」の語りに聞こえる。茅ヶ崎市民活動フォーラムを先日やったが、心身障がい・不登校・引きこもりという領域/環境保護の領域/地域医療の領域/地域通貨の領域が「地域協同」の形で一括された。行政にとっては「市民活動」であろうが十把ひとからげの「しらけ」があるわけで、この問題の立てかたには「トップダウン」の視座が隠されている。同様のものを感じるのですが、自覚されていますか?

と問いかけました。

 山西氏はそれぞれの活動の進展と拡張の中に、相互に触れ合うバウンダリーが浮かんでくるのであって、一見関係の無い活動も根のところでつながっているという内容の応答をされた。僕は領域によって親和性の差があることは認めるが、この「しらけ」は、「べき」の課題、「個別の閉じ込め」の影の機能が働くことを忘れたくないと思いました。

 「まちづくり」といわれると、「あんた何者?」と問いたくなる、そういう感覚を忘れたくないと思っていたのですが、時間切れ。山西氏も溝の存在自身は気づいていたということのようでした。ただし、相互はやがて接点が出来てくるという立場です。山西氏は政治を行い、僕は生活を突き出したということです。

-----

 会の終了後、「田原町」ドトールで合流したOTのHさんは、僕が年なのにびっくり。事情を説明し、すぐに夕方の合羽橋商店街を散策しました。しかし渋谷から銀座線を使ったのが祟り、時間切れで商品に出会うことが出来ませんでした。しかし関連カタログは入手。高価なのを覚悟しないと煎餅は焼けないようです。Hさんに付き合わせたことを詫び、銀座でおしゃべりをして帰りましたが、スペーススタッフとして合流するのは、主婦としてきつそう。ただ、月何回か湘南に出ることは可能ということで、再会を約束してもらいました。次の問題は引きこもり青年への呼びかけと説得です。

-----

 東京駅でパンを買い込み、おっさん不自然とは思いつつ、ソフトクリームを食べつつ一休み。携帯電話でメールを打っているうち、居眠りをしていました。ウェイトレスさんに起こされるまで40分近く爆睡。初めてのこと。怖かっただろうなと謝って店を出ましたが、年を取ると数日後に疲れが出てくるようです。いやだなあとおもいつつ、東海道線を1本待って座って帰ってきました。なにやら、カウンター席の居眠りおじさんの恥が頭から離れないで、落ち着かない帰宅でありました。

-----

 明日はリロードに電話。話が行き違って誤解が出てきているので調整予定。4月6日の夜食会参加は僕だけの可能性も…。共稼ぎ兼活動リーダー集団の日程調整は地獄です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ここ数日間の協力者網の変化から | トップ | 懇談会MLに参加申込がありま... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

引きこもり」カテゴリの最新記事