2024/05/11〜13 記
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ハッカーさん、こんばんは。
静岡から帰宅したら夜、コロナからの復活をした母が、夜間トイレ通勤も復活させました。いやになってしまう。睡眠不足が更にひどくなり、12日は13時までへたばっていました。母の日ですよね。弟がカーネーションの絵を貼り付けた養命酒を持ち込んできて、あちおち寝ていられない状況に。
12日はなかなか弟が、ボランティア余興説を下ろさず、気まずいまま、母と食事をしようとの話に流されて、外食。騒がしいファミレスで、コロナ明けというのに、個室予約だから大丈夫という間違い意見に押し切られた形。ずっと甥と姪の新婚話をきかされ、彼の車で帰宅したら21時をまわっていました。母には好物の赤福で誤魔化していたのに、思わぬ出費となりました。
そしてトイレ通勤を経て、13日。ひどい雨なので県教委訪問は中止。母をリハ通所を復活させ、生協の配達を待ちながら、平塚市教委と県教委に電話。平塚の高浜高ボラ紙芝居の史料調べ。阪神淡路大震災後の防災紙芝居が小低学年対象で行われた記録を探してもらったが、さすがに30年近く過去の話なので、頼んであったとはいえ無理。
今は、11日に語られた「つなみてんでんこ」批判の考察をかいている。
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まずは、11日の続きから。
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5/11
以下は「高校生の防災紙芝居会議室」から「つなみてんでんこ」論議関連を引用して、静岡で語られた話に代えます。
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「避難所はめざす唯一の解決先なのかという議論があります。
中越地震のときは、豪雪地帯の避難行動について、能登半島地震では高齢者避難について議論があるのです。
「つなみてんでんこ」は、東日本大震災のとき、避難訓練をしっかりやっていた小学生たちが、地震直後自主判断で津波避難をし、出会った皆も助かった「釜石の奇跡」と呼ばれる出来事がありました。これがきっかけで、自分の安全は自分で守るというところでも、引用して使われています。
まず一つ目の議論は、自主判断・自主行動が無理なひとが避難者の1/3を超えるから、自主避難を強調しすぎないで、このひとたちの対策も考えるべきという意見です。高齢者•乳幼児•妊産婦•傷病者•障害者•外国人、路上生活者、最近は遠方からの訪問者•観光者も含みます。要配慮者といいます。
もうひとつは、発災時の外環境、避難路の危険判断が一般人には難しいというもの。いつも訓練で慣れたコースではない状態、例えば遠方外出時の地下街のような場面もあるから、自主避難強調は危ないではないか、というもの。
私たちのように幼児対象の防災活動では、まず保護する大人と出会うことが目標です。だから、紙芝居作品は、自主安全確保に留まり、そこから先を描くものはすくないのです。これも避難所に向かう「つなみてんでんこ」とは、様子が違います。
(つづく)
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5/12
母の夜間トイレ通勤復活によるねぶそくが、弟訪問による母の日外食セレモニーが割り込んで解消できない、不毛な一日。
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5/13
阪神淡路大震災後の防災紙芝居活動の調査、高浜高迷宮に入る。
(校正1回目済み)