湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

日本理化学工業大山会長の講演を拝聴しつつ他

2009-07-31 13:27:06 | 引きこもり
夏期講習の応援が入り、昨日は書きこみのタイミングを失しました。31日巡回予定者も30日に登校してきたので,今日は夜の分のみとなりました。

29日(水)、「あすなろ会」の会合を持ち、Big Issue 販売の件でTさん、Nさんと話し合いました。Tさんの大阪行きは、東京事務所に佐野代表が8月初めに上京するとの情報で中止。私たちが東京事務所に行こうということになりました。Tさんの誤解を解くためにも、会わねば事は動かないということ。

中途から飛び込んだNさんについては話は別ですから、湘南販売が可能なら「あすなろ会」としてTさんと組んで、手分けして湘南販売を行い、もし認可が下りなかった場合は、横浜・寿町のNPO「さなぎ達」さんに、引き取ってもらうという段取りを確認しました。販売したいという意欲をTさんとの話に巻き込んで、つぶしてしまうことを避けるためでした。

前日28日、横浜の「さなぎ達」さんにお邪魔し、代表のSさんからNさんの販売研修を8月始めに2回、実地経験させていただけること、「あすなろ会」承認失敗のときは、Nさんを預かっていただけるとの了解をいただいたので、この2点をNさんに確認。これらの研修と東京事務所訪問の交通費を、大阪派遣分の旅費の一部1万円を振り当てることにしました。

しかし彼らとの話は、「捨てるものは命ぐらいのもの」という底にたどりついている若者の「明るさ」があります。彼らが気付いていない「若さの力」です。私は、昔、山谷に流れ着いたものの、日雇い労働が出来ない体力の無い若者の、運転免許を取るための支援や路上見回りを短期ですがした経験があります。底辺の中でさえ腕力と健康という宝を持つているか否かという格差があるのです。具体的には、住所を獲得すること・取得費用を捻出すること、そして学習支援でした。いまから思うとディスレキシア(読字障害)を持った方もおり、その方は結局免許を取れなかった苦い経験をしています。障がいであることは、その頃は、まだ知識が広まっていない時代でした。

そのときのことを思い出していました。路上といういわば極限の状態の中でさえ「身体条件」という格差がある。その意味で言えば、Tさん、Nさんの支援は、ゆとりがあるのです。ただ彼らの支援は、サポセンの中でさえ、共用のコップや箸を使うと不快感を押し殺している人が出てしまう。あえて差別とはいいませんが、この慣れのなさが今後の活動が、決してまっすぐな道ではないことを予感させるのです。環境条件といいますか…。私の役割はナンセンスなのですが緩衝材、危ないナビですが。

「道があるならやるよ」と言い切れる歯切れのよさが、Tさんたちにはある。道が開けて欲しいと願う、これは私の立場。

そんなことで、30日は、せっかくの父のショートステイ二泊三日の二日目の貴重な休息日でしたが、朝からの夏期講習授業代行(演習)を引き受けて、なんとかこなしてくることが出来ました。19年の自営塾を閉じ、完全に契約講師で流れて15年余経ちますが、組織と常道というわからんちんと向かい合ってきたのは、押し出された者の中にある露頭の鉱脈のような屈折した活力に触れることがあるからだと改めて思います。(佐野さんをわからんちんと言っているのではありません。行政や形の決まった支援活動のことを言っています。)

父の部屋と私の部屋の殺虫剤薫煙のために家に戻り、書庫になっている離れに久々に風を通しました。父が宗教の集会場に使うと言い張っていた昔、この部屋は私が書をどかさないという阻止行動で現在に至っていますが、父の衰退という現実から、書庫解禁かなと考え始めています。「わーく」編集部の事務所の件です。ただここは父の語っていたような会合の場には使えないのです。父の宗教に反感を持つ隣人の方と窓壁の2面で1mちょっとの間隔で先方の居間と接しているのです。父の宗教の家族対立で追い出された信者さんが十数年前に、数ヶ月身を寄せていたことがありましたが、その間、反発に、それはもう冷や汗のかきどおしでした。

その抗議していた方が、高齢化され、隣の部屋に蟄居状態で生活されているのです。書庫だから波風が立たずに来たというのが実感。転用は、だから見送ってきた経過があります。どうしたものかと風を入れながら、入室した途端の先方が窓を殴る音を聞いていました。移動局と公共施設巡回の元に戻った状態から、出会いを生み出す定点(事務所)探しを当座諦めて、8月再刊にとにかく進みます。

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在校生の父親との夜の面談予定が朝の授業代行に変更になり、講演会に参加可能になったので、神奈川県中小企業家同友会事務所に電話申込。飛び込みで「県福祉部会設立1周年記念講演会」に参加してきました。

東京の部会から、神奈川の創設早々の企画に参加してきたものの、自分に安定した活動がないために、就労支援の要となる地元中小企業との結びつきを拓くことを躊躇し、代わりに同友会の紹介を地元関係者に続けてきた経過がありました。話は、なしのつぶてというか、その呼びかけは応答なく虚しく闇に消えていきました。

ところが今回、会に参加してみると、養護学校や事業所関係から何人も出席している…。いつものことではありますが、空転の苦味をまた味わいつつ講演を聴きました。先方にしてみれば勝手な思いということになります。私の活動がいわゆる障がい者支援の畑と、一般就労畑の境界にたつ活動ゆえに起こる齟齬なのです。お互い無縁というところが接点に注目した動きが出ているにも関わらず、双方の組織関係者からは片言も話が漏れてこない。この閉じたふたつの領域の接点に私の活動が位置しているのです。

「ああ、あれはちょっと参加してみただけ」という話を夢たいカフェ参加者の組織関係者の方から、3月ごろ、聞いていただけに、ブラインドの予感を感じ取っていたのが当たりでした。少々憂鬱になりつつ、それでも150名をはみ出す会の熱気に、可能性を感じつつ帰ってきたのです。

「わーく」編集部は、NPOとして地域起業します。8月はそういう意味で、「あすなろ会」とも質の転換期に差し掛かっています。

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これを書いている最中、県中小企業家同友会から昨日の会の件で連絡をいただきました。同友会のKさんやTさんにお邪魔して一度、話し合ってきます。すぐできることも、組織にいるものではない私のようなフリーランサーは、極端な迂回路を走り抜けなければならないからです。つぶれたら、境目にいる方たちの代弁者(奢りかなあ)はいなくなるからです。ここは譲ってはいけない。

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それぞれの活動には、いろいろな局面が現れます。そこを解決していかなくては、問題が起きてきたり解決が出来なくなったりする部分です。それを解決するとき、その活動は近未来の見通し吟味にかけます。それを戦略と呼び、その解決活動自身が効果的になるのです。政党イデオロギーのへったくれなど関係ない必要な活動の部分です。勿論その更に先に階級階層などの利害を反映したイデオロギー分岐がうまれてきますが、その手前の出来事でさえ見通しているひとが少ないのにはがっかりします。

就労支援のセンターを作ろうとした私と、育て上げ就労と市民交流を目指した活動とが「設計上」住み分けできなくなったために、事務所候補から降りたというそのことが、また警戒警報発令となっている。講演会参加はとんでもないおみやげをもたらしました。ことは、就労支援の見通しを持つか否かなのです。若者が集まり仕事を生み出していく磁場を作るというこの点を、ふたたびどこかに着陸させなければいけないのです。

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父が14時半に帰宅します。父の主治医から指示を受け取った訪問看護の看護師さんが15時過ぎに来ます。薬が無い、父の夕食の魚がないという具合に時間が食いつぶされ、仕事にまとまりがなくなります。公私ともどもの生殺しの泥沼を超えていくことが私の課題です。いわゆる常道からはずれてひとりで生き抜いていくこととは、引きこもり青年にもかかっていること。つながる知恵を膨らませなければ、泥沼から脱出することは出来ません。爺ぃからで残念でしょうが、「わーく」はラブコールであり、新しいことを生み出す苗場です。

準備の関係企業の相談をしたあと、巡回にでかけます。では。

夜間傾聴:中延君(仮名・今日は行けません、追って日取りを。)
     □□君(仮名)
     入谷さん(仮名・シアトルの生活順調なようで…)

p.s. 私の大切な友人S先生の春先に書かれたエッセイへの応答、とてもかけずにこの時期にまでひっぱってしまいました。失礼しているとは思いつつ…。今夜書こうかと。


(校正1回目済み)

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