湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

今回は介護泥沼話だけです、関心のある方だけどうぞ

2009-02-16 07:51:53 | 引きこもり
相変わらず目の調子が悪い。特に右目の視野の下部が激しく明滅を続けているのが気になる。眼科も神経内科も大きな病に直結することは考えられないので、「様子見」という。この明滅は両眼にあり、血流が見えているのではないかと思う。両眼とも初めは「飛蚊症」と放置され、このちらつきがひどくなって、別の眼科で「緑内障」「直りません」と片付けられた。右目が特にひどい。視力も落ちている。次は右目失明かと考えるのが大げさなのだろうか。

相模大野の近くに北里大病院がある。職場(?)にも近いので、行ってみようかと考えている。

橋本巡回を済ませた後、横浜の県サポに寄った。用事を済ませて相鉄ジョイナス口のBig Issue 販売員さんを探した。先日といい、よほど相性が合わないのか、また会うことが出来なかった。

地下街で遅い昼食をとろうと歩いていると、母から買物の指示が届き、時間のゆとり無く茅ヶ崎にもどり、ジャスコで買い物。家に戻った。が、母の姿が無かった。昨日と同じ洗濯物バリケードが階段下に積まれていた。私の帰宅時間が分かったので、監視当番を放棄して出かけてしまったのだった。幸い父は眠っていたが、部屋から階段に出る扉が開いており、これが父が階段を降りようとした痕跡だった。

父の主治医に相談したところ、体調が良いと降りてくるのなら、内科ではどうしようもない。夜間、父と家族、双方の対立疲労を解決するために、睡眠導入剤を処方ということで、「いざとなったら、寝かしてしまえ」という情けない話になっていた。私は昨日、夜に、ある会合にでる予定だった。母が帰ってこないと身動きが取れなくなるのだった。

母は「階段を降りない」という、たったひとつの事を、父が非協力どころか破棄しようとしていることに腹をたてていた。私は、父の他者の立場に立つという想像力が極端に落ちていることを感じていたので、責任を問うことをしても意味が無いと思っていた。母は認知に問題があると観察理解しているわけではない。だから余計苛立った。

突然の当番忌避には参った。母は携帯電話を相変わらず持ち歩かないので、連絡が取れない。そうこうしているうちに、父が目覚め、歩行器の音がしたかと思うと突然階段下で茶碗の割れる音がして、父が2階で転倒した。

「夕刊を取りに行くのだ」と、私を払いのけた。片手におやつのときの紅茶カップを持って、利き手をふさいだ状態で階段を降りようとしたのだった。物を持って降りることは、今回初めてのことだった。これほど転倒を繰り返し、階段では命の際の手すりぶら下がり状態を経験していながら、利き手をカップでふさいで階段を降りようとすることが、どれほど危険なことか全く考えていないのだった。

やむなく、巡回中止の連絡を取っていると、母が帰ってきた。ふらり自分の部屋に入ると扉を閉めてしまった。父の「介護で、自分の余生が終わるのは嫌だからね」と怒っている。だからサービスを使い、私が分担しているのだと私がいうが、今回は父もまた異様に偏屈だった。留守の間に何事かあったと気付き、母に問う。父は漏らして濡らした掛け布団を、土台が朽ちたベランダに持ち出し干そうとしていた。母に発見されて口論になり、その後、私の帰りを知って母は家を飛び出したのだった。ベランダは朽ちて床が抜ける寸前であり、サッシの鍵を厳重にかけて、そとに出られないようにしてあった。父はそれを力づくで鍵をもぎ取り、ベランダに出たのだった。これはベランダごと落下する大事故につながるところだったのだ。

私たちが再三説明し、出入りしないように鍵をかけると伝えておいたことが、力づくで無視された。母はそう感じたのだった。ネジ止めとはいえ、相当な執念がなければ、鍵ははずせない。上の鍵をはずすのに、父はソファーに乗って落ちたのだろう。足の親指の爪を割っていた。柔らかなソファーに立つこと自身、危ないと注意を促してきたのだったが。今回はベランダと、階段の双方で問題が起きた。父の身代わりに茶碗が階段を跳んだ。ことが沈静化するのではなく、エスカレートしてきている。

今月は、ケアマネさんに対し、母が「もう介護は嫌だから、ホームに預かって」と苛立ちをぶつけたことがケアマネさんの反発をよび、介護度ゆとり分のショートステイが無くなった。2泊3日が1泊2日に切り詰められていた。二日目の中休みが取れないことで、母は追い詰められていた。

突然、このようなことが続けば、私の仕事の信用もなくしてしまう。少なくとも夜は父に眠ってもらうことにした。処方された薬を使うことにした。

現に午前2時40分。父は尿意で目覚め、ポータブルトイレ前で紙パンツを脱ごうとして転倒、防水シート上に失禁した。尿に濡れた足で部屋を歩き回り、紙パンツを探しているところに私が飛び込んだ。父は下半身裸だった。おむつを受容してくれないために、こうして部屋中が汚れてしまうのだった。

家族だけの介護は、密室にふさがれた、他人からは見えない影の世界になってしまう。ずるずると泥沼に引き寄せられていることを感じるが、もともと介護は核家族では無理な仕事なのだ。地縁・血縁と大家族が支えた時代ではない。男女分業、職場突撃型の時代ではないが、古きよき時代に戻せというのもおかしい。もっとシステマチックな支えの枠組みを背景に、現代のライフスタイルを描かねばならないのだ。

父を着替えさせたその場で、父は紙パンツを下げて、残尿を出した。尿取りパッドははずれ、トイレは拭いたばかりなのに、再び尿に汚れた。罪悪感はひとかけらもなく、へそを出した状態で寝転がってしまった。虚しさがこみ上げてくる。

午前4時50分。父は真っ暗な部屋を照明をつけずに歩き回っていた。午前6時5分、カーテンが開き、数秒後、電話機がころがった音。夜間傾聴中、父は咳払いをしている。私の監視を抜けて階段を降りようと、1階の様子を探っているのだ。まもなく朝食(8時)、9時にはデイサービスの迎えが来る。仮眠時間が、また無くなった。

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3/24講演会のチラシを作っている。今日は夜まで家に居る。食材は通販でそろえた。午後一(13時ごろか)で届く。作業は一日遅れになってしまった。

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入谷さん(仮名)のご家族から中華粥を送っていただいた。本校経由で我が家に。ご心配かけました。母が中華街にいくとき、立ち寄るお店のもの。ここのお粥は、祖母が存命のとき、介護に愛用していたもので、懐かしかった。ただ私たちは贈り物を個人的にいただけないので、ご厚意をいただきます。今回は事情が事情と本校が認めてくれた例外ですので。

耳鳴りがまた始まっている。詰まるような閉塞感はないし、聴力が落ちていない、右側だけ断続的に始まるという奇妙な状態。首のこりが原因かなとも。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     小田急相模原君(仮名・こちらから)

(校正2回目済み)

p.s.
●「繁盛商店街の仕掛け人―街に人を呼び込んだ全国成功事例20」

を入手。障がい者参加の事例が無いようだ。チラシが出来たら、チェック予定。以下目次。

第1章 北海道・東北エリア(歩行者天国でのイベント開催と高齢者向けの共同住宅開設で街に活気―帯広市中心部商店街(北海道帯広市)
市が提唱するコンパクトシティ構想の下大型集客施設を開業してにぎわい創出―青森市新町商店街(青森県青森市) ほか)

第2章 関東・中部エリア(日本最強のスタンプ“烏山方式”を普及コミュニティポイントも導入し好循環―烏山駅前通り商店街(東京都世田谷区)
商店街主体の環境・防災対策を全国に波及国会議員としても商業振興策の立案に尽力―早稲田大学周辺商店街(東京都新宿区) ほか)

第3章 近畿エリア(地域の文化を生かした街づくりを先導寄席「天満天神繁昌亭」の誘致に功績―天神橋筋商店街(大阪市北区)
建築家として古い街並みの保存を推進長屋・町家を複合店舗に再生し、回遊性が向上―空堀商店街周辺(大阪市中央区) ほか)

第4章 中国・四国エリア(市と連携して高齢者対策と商業振興を併せた「高齢者にやさしい街づくり」を推進―松江天神町商店街(島根県松江市)
商店街に安全な子どもの遊び場を開設子どもを中心とした地域交流を実現―ソシオ一番街(岡山県津山市) ほか)

第5章 九州エリア(路地裏の古い建物を次々と店舗に再生若手に起業と成功のチャンスを提供―上乃裏通り(熊本県熊本市)
湧き水を利用した「水基巡りの道」を整備観光客が回遊するまでねばり強く継続―阿蘇市一の宮門前町商店街(熊本県阿蘇市) ほか)


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