⚫︎「にほん防災(福祉)むかし話04〜東日本大震災•大船渡 不審者発見!2〜」
<第三話>
*広田半島コミュネット すげー*
私は2000年末、交通事故、医療事故も重なって2年間弱入院した。北海道の有珠山噴火災害に取り組んでいる最中だった。こんなことがあって、運転免許を手放した。それが2011年東日本大震災のとき、被災地巡回を徒歩で行かなくてはならなくなった。被災地が田舎の場合、車がなくては活動は無理だ。だから活動は車を持っている誰かと組まなくてはならなかった。「岩手県?やだよ」が全員。だから、発災初期はバスで現地入りして、ざっくりタクシー移動し、そこから歩いて、目的地をまわる。帰りは頼み込んで、バス道路まで車で送ってもらう。
広田半島のバスは、一日一本。上り
一本、下り一本。帰りは逆コースでバスが使えない。他のバスも路線バスは大半は発災後動いていなくて、事前調査が不可欠。通るのはトラックなどの営業車で、止まってくれない。結局ヒッチハイクが成り立たず、10数kmは、結局歩いた。途中店舗もひとのいる民家もない。
だから三回目からは、地元の協力者を作った。それほどに、ボラバスと個人家屋支援のセット支援以外の要援護者支援ボラは少なく、やっているのは国際NGOとか、クリスチャンなどの、団体の車で行動するところばかりで、だから皆さんに派遣支援を真似しろという話ではない。今回書きたいのは「不審者侵入情報話」だ。神奈川との環境差。活動スタイルは背後にあるものに対する作戦を考えないと、実現は難しいよというのが、残念だけど今回のメッセージだ。難しい活動をそれでも立ち上げるなら、私ら爺婆の存在価値がある。指図はしない。経験情報はあげる。
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広田半島は三陸ワカメの産地。一家に2台は車がある。私は徒歩で半島に入った。私の脇を半島の奥に向かって車が一台通った。私設の子ども文庫と、漁協婦人部訪問、小学校訪問が訪問先だった。
ひどく疲れたので、ペット茶を買うために店に入ると、私が徒歩で半島入りしたのを知っているのだ。神奈川から知り合いもなく来たことに、信じられない顔をしていた。次に小学校の先生に会ったら、神奈川からとは大変だねという。ええっ?!
子ども文庫では、茅ヶ崎の古書リサイクルをしている山本くんと文庫をつなぐ橋渡し屋で訪問。山本くんはコロナ感染で亡くなってしまったが、そこでは広田に不審なボランティアがきているという話を聞いて、合点が行った。びっくり。SNSではなく、電話噂ネットが犯人だった。
それほどまで、地域の知り合いのつながりが濃いのだ。私は逆に利用しようと考えた。不審な人ではないとながしてねと頼んだ。効果覿面、漁協婦人部では、茅ヶ崎の中古車を高齢者通院買い物支援をする話を聞いて中古車提供の話で来たという話はすぐに、やると言っている人をつないでくれ、帰りを最後の地方新聞社まで送ってくれた。
記者さんは大笑い。子どもの喧嘩まで皆しってるよという。田舎のコミュニティのすごさを知った。神奈川とは全然違う。私が新聞社に来たのは、地域の災害ボランティア情報を得るためにきたのだが、環境が違う。個人やNPOが無く、商工会議所のような組織の活動しかないと知った。ただこれは次回の避難所支援に入った時、やっとティーンズの活動にであうことができたが、これは追って。
湘南では個人やNPOの活動は、関係者しか知らない。地付きの方が少ない地域では、広田のような地域連携は頼れないし、悪い噂以外の重い話題はひろがらない。だから納得している人を探り合えた時の喜びは大きい。でも当事者活動災害ボランティアは、やれることをやるという身近な活動の広がりがある。
変な話ばかりだが、知らなそうな話を書いているが、社会環境をおさえた活動は難しいけれど根付く。「みえるかな、社会環境」という話でした。
じつはぞくりとしています。だって飛田が吉野家牛丼食ってむせてたぞという話、皆か知ってたら、いやでしょう?
(校正1回目済み)