湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

就労後の話/茅ヶ崎保健所の講演会に参加して

2007-03-17 06:14:47 | 引きこもり
夕方、*君と会った。いい顔をしている。時折、ものすごい眼光になるのだが、求職活動をしていること、自分の日課のことを語る彼の表情には、心の豊かさが戻ってきているように思う。無理をすることはない。じっくり自分を受入れていけばいい。そのためにも、自分の中のふたつの心、喜びも怒りもそれは彼の持ち味なのだからそれを受け止めてくれる彼自身のひとのつながりを「創り」膨らませていって欲しい。

朝、メールが飛び込んだ。平塚のある工場のラインに派遣で入っている◇君が、上司に怪我をさせたという話が、突然当人から飛び込んできた。即刻クビのなったが悪いのは向こうだという内容。きな臭さを感じて親御さんと連絡を取り、「工場に行く」という彼を平塚駅ビルの喫茶に呼び止めた。メールを入れたこと自身、彼も話をきいてほしかったのだと思う。

上司が勤務中に煙草を吸う。職場は禁煙なので隠れて喫煙していたらしい。喫煙を派遣の彼が注意したことでもめて、彼が上司をどついたということらしい。これから工場に談判にいくというので、「派遣会社を通してからにしろ」と私は止めていた。実は時間稼ぎだった。勿論派遣会社も彼を切るだろう。社会矛盾ではあり、内容も彼に理がある。しかしここで彼が守衛所で荒れる事は、程度を知らない彼が、更なる問題を生み出すことは明らかだった。労組のような支えがあるならまだしも、個人の決意だけで突っ込んで行っても、企業は相手にならない。

軽蔑されようと、私は彼を止める。彼を再び開かずの間に戻すことは避けたかったからだ。労基局を通して派遣労働者の保護を訴えることも、彼の力量を超えていると思ったからだった。何事も社会から相手にされない矛盾のなかに、彼はいたのだった。

私を呼んだことは、負け勝負が見えていたからだと思っている。勝手かもしれないが、制止してくれる者を求めていたのかもしれない。唇を噛み締めている彼をしげしげと眺めた。中学生学齢の彼を担当してもう10年目。自宅の部屋を出て、転職を繰り返している彼は、すでに4年間職場をさまよっている。さすがに先が見える年齢になったのだと思う。2年前に彼と再会し、それきり音信が途絶えていた。突然の再会がとんでもない話だったのだ。しかし、覚えていてくれた。それが嬉しかった。とりあえず彼が、派遣会社の後始末をつけることや突入取りやめに同意してくれたので、次回会う場を取り決めて別れた。

親御さんへの連絡は、いつも彼をどこかで裏切っているような後ろめたさを感じる。彼の場合、今回の再会まで2年間のブランクがあったので、近況をつかみたかったのだが、彼にしてみれば同居生活しているとはいえ、子どもではあるまいしというところだろう。*君の場合のように、私の意見の立場と会ったときの内容を常に確認していればまだしも、早計だったかなとも思う。

ハプニングがあって、Hさんの講演には20分近く遅れてしまった。翔の会の□さんや母子寡婦関係の@さんがいらしていた。Hさんの講演は時間不足だったが、内容は話題性に富んだものだった。NHKの放送のビデオは、私の担当している引きこもり青年たちとは少し違っていた。いわゆる外出しない引きこもりのタイプだった。

母屋に彼が住み、隣のプレハブに親御さんたちが住んでいる事例が紹介されていた。社会とは、母親の差し入れる食事と印刷物等に媒介されてつながっている状態として描かれていた。しかし私は彼らがPCや携帯電話を使って、たとえアバタのような仮の姿を借りたとしても、オンライン上でつながっている者がかなりいることを知っている。隠遁者のような描かれ方は、やはりそこに先入観を感じる。

Hさんが指摘するように、病的なものが背景にある者と、社会的引きこもりは様相が違う。しかし引きこもりの立ち現れ方は、その区別があるわけではなく、またそれが社会常識から逸脱していると判断するから、引きこもり「問題」、なのだと思う。就労支援講演会の初回、講師の武居光さん(横浜東部就労援助センター)が「引きこもりも選択のうち」という発言をされていたことが印象に残っている。障碍者関係の分野からだからこそ見えてくる地平、引きこもり関係者の集まりからは、まず聞くことの出来ない言葉だった。

しかしそれならなぜ関わるのか。一番大きなことは、親族を失い、引きこもりを認めない社会との交渉に突然晒されることになる日が、やがてやって来るからだ。たとえ彼がテレコムを通じて社会とつながっていても、その交友関係は、直接の力にはなるまい。

このとき、扉の向こうの青年の状態は、病的なのだろうかそれとも社会的な挫折によるものだろうか。支援者の関わりが変わってしまうこの判断を誰がするのだろうか。ここにも第三の道がある。国際生活機能分類(ICF)の発想、彼らの生き難さに支援を行う関わり方だ。今回の説明にもこの辺の言及が欲しかった。

私が接している引きこもり青年は、外出できるレベルの引きこもりタイプに属している。「学習困難な子のクラス」を友人の塾(今年閉鎖になった)は持っていて、その中の難しい子(青年)を親を通さずに直接本人を紹介してくる。また足きりをしない、ある進学塾の余芸で、学力回復クラスのサイドガードを複数校、私が受け持っている。その子たちは、親御さんが仲介に立っている。オンライン上で、普段のつながりを持ち、実際に会うことを主にしている。目的は本校への通学再開促進と学習補助。前者は実費だけ、後者は進学塾(予備校)からの委託の生業だ。

前者は相談電話を持っていた関係で、東京南部でありながら、結構広域な話が飛び込んでくる。神奈川や世田谷区あたりの話は私に話が回ってきていた。ここに加えて「辻堂浜竹『ぽれぽれ』」のカウンセリングから青年たちが送られてくる。だから個人のキャパは余裕無く埋まっている。特別に夜間傾聴の看板を出さないのはそのためだ。ところが私の友人の塾は今年、彼の家庭の事情で塾を閉じた。しばらくは青年紹介は続くだろうが、これから後のことを考える必要が出てきている。

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話は変わる。Hさんの講演に出てくる青年の「夢と希望」についてだ。話は労働を媒介にした「働く喜び」をめぐる話となったのだが、Hさんの語る「夢と希望」は最近の青年にかけていることではないと思う。いつの時代に「夢と希望」があったのだろうか。大人は常に若者に対して「夢と希望」という空箱の抑圧をかけてきたのではないか。

賃労働と消費という構造の中に生きるものは、生産物から疎外されているので、「労働の喜び」とは「消費を可能にする喜び」に差し替えられている。消費の欲望をあげつらうTV番組を見てもらえば一目瞭然。ここで「労働の喜び」を語るならば、それはかなり狭い領域で語らざるを得ないだろう。ひとつは労働の技能の枠、提案が採用されたり、納期を達成したりするときの充実感のような形でそれは生きているが、これも分業の進行で全体像は見えにくくなっている。結果的にオタク的な意味で技能を語らざるをえない。美術品さえも商品化、農産物も消費の市場によって商品としての制約(例えば生産調整)を受けるのだから前資本主義的な意味で「労働の喜び」を語るというのは、供給過剰の商品市場を背景として、「うんざりからの出発」ということになるのだと思う。この辺は発展途上国の事情とだいぶ異なっている。

だから引きこもり青年に人倫や価値観を提供することによって、いわば更正させるという発想は、やめたほうがいい。もちろんHさんもそれは指摘していたが、私たちは「かけがいのない人と出会い、その人とともに生きて行きたいから、または出会いたいから」働くのであって、そこにいろいろな思惑や付加価値が付くからおかしなことになるのだと思う。ましてや(特に女性に押し付けられている価値観でもある)自己犠牲とか滅私奉公というような発想からの断罪は、的外れもいいところなのだと思う。

今回Hさんが言い切った「つながることの価値」という観点、賛同したり・提案をしたりすることで「つながる」ことで、更なるつながりの質を生み出していく、いわば「ネットワーキングすること」のなかに「生きていくことの価値」が育まれて行く。ここは引きこもり青年にとって、じつは「うんざり」と「あきらめ」の果てに特に価値の出てくる世界なのだと思う。引きこもり青年のドアの向こうの世界(社会)をもっと多様に、彼らのポジションを作る必要がある。

Hさんは「助けを求めることの出来る力」を評価されていた。「自立」は現代日本では「孤立」と同義で使われている。この危うさは私も感じている。私は押し流されないで生きていくことという意味で使う。

Hさんの語りは、訪問カウンセリングの形の中で、引きこもり青年の把握の仕方を狙ったものだったが、時代的背景と価値観に触れる内容が特徴だった。神奈川県という地域の活動配置図というか、さまざまな組織・団体があり、それらをどう当事者・家族が使っていったらいいのかを知り、支援者は紹介できるようにするという言及、最低限、県青少年サポートプラザのネットワークは紹介して欲しかった。引きこもり青年たちを支えているのは、フリースペースや非フリースペースのサポートもあるからだ。

私は引きこもり青年の中の一部、社会参加を始めていこうとするひとたち、就労失敗を抱えて戻ってきた人たちの受け皿ともなる社会的企業をインクルージョンの発想の中で展開していくこと、つまりネットワーキングの網作りを考えている。「わーく」や「就労しゃべり場」は、その上に乗っているのだ。

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私の仕事が重篤な障碍を持った青年たちの伴走ということ・夜間緊急時のストッパーということを膨らませて、まず社会参加しやすい人たちの絵を描くほうにも手を拡げたい。大事さは両方とも変わらない。しかし私の肉体年齢は前者をフルに展開できる残り時間はすでにカウントダウンに入っている。ひとりひとりの青年を守ること、社会政策として彼らを活かせる場作りを行うこと、どちらも必要なことなのだと思う。

今日から岡村さんの講演会(3/23)の人集めに集中する。げんき基金最後の講演会。下宿屋さんの企画の日とダブルブッキング状態を作ってしまったので、どうしたものかと悩んでいる。行政管理の部屋の空きがないことが原因だった。

今回のテーマは、「えだきんパーク」商店街という包摂的な拡がりの中にピアサポート(株)の展開があり、身体障碍の方が50%という会社が活躍している。この会社と商店街の試みから、私たち湘南のモデルを生み出す議論を触発したいと考えているのだ。どうか心動くものがある方は参加して欲しい。お願いする。

日時・場所は、添付画像をクリックして、ご確認を。

●荏田南近隣センター商店街
http://www.edakin.jp/

●ピアサポート(株)
http://www.peer-support.co.jp/

連絡先は tobita@@@mbm.nifty.com ("@"をひとつにする。) 飛田まで。

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夜間傾聴:なし(珍しい)
巡回:朝1件(平塚)・夜1件(伊勢原君・仮称/茅ヶ崎にて)
電話・メール:*君から1件・某サポート校の補充募集話1件 他

きょうの予定:藤沢の推進センター入りびたりか?

(校正2回済)
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