⚫︎「防災(福祉)むかし話11〜個人として動く・友達と組む 被災ペットの話上〜」
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動物は天変地異に敏感だ。困るのは飼い猫と火事場泥棒。前者は、わかるとおもうけれど、猫は怯えて逃げ回り、ケージに入ってくれない。津波が迫るとき、逃げ遅れかねない。後者は大人も知らない犬猫話、あとで書きます。
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私が被災ペット活動と出会ったのは、東日本大震災、里親さん探しで、原宿のねこひと会、福島船引のニャンダーがーどと組んで、湘南を範囲に被災ペットの里親さん探しをした。
しかし、この活動は、被災地では、もうひとつの役割を果たした。それは、飼い主さんが避難所に持ち込んだペットの保護や、自宅に置いて来たペットの救出と保護の活動だ。殺処分されないように、東京・横浜からも東北に出向いた人たちがいました。それは公益法人・日本動物愛護協会(https://jspca.or.jp)の会員さん達や自主活動の人たちだった。
しかし、東日本大震災のころは、避難所のそばに保護スペース(ケージホテル)をつくることは、賛否両論があり、ひとの命が優先、ペットなどという意見とのコンセンサスがとれず、立地条件がよかった避難所以外では、保護団体預けにして、保護避難させていた。私たちは団体に食料や獣医巡回の費用カンパを集める活動をした。そして里親さん探しだ。
犬や猫など比較的長命なペットは、自分が生まれた時からそばにいたり、夫婦が連れ合いをうしなった心の隙間を埋める、いわば家族の一員になっている例も多い。それは飼い主にはわかっても、飼っていないひとには、慰み物にすぎないという断絶があった。
大震災以降、関係者の陳情もあって、国が動いた。ちょうどそのころ、TVでは、福島原発避難に取り残された牛馬鶏家畜の餓死の報道もあって、ひとの身勝手批判の機運が高まり、
地方自治体は、被災ペットの受け入れ対策を行うことになった。
市町村が被災者のペットを避難所近辺で預かる方向に踏み出した。
ところが保護団体や臨時職員をもってしても、人手が足らないのだ。
現在は、飼い犬猫に、マイクロチップを埋め込み、どこの家のペットかわかるようにする活動、分散保護に名乗りを上げてくれる方の募集と飼い主さんとのお見合い推進が始まっている。
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私がまわったのは岩手県南部沿岸、陸前高田・大船渡、宮城県気仙沼を含んで気仙地方といわれる地域だが、湘南と違うのは、田舎コミュニティが強く、避難所に連れ込まれた犬猫は学校利用避難所に集められ、犬猫の世話は保護団体を手伝う形で中高生が世話をしていたが、次々と分散保護先に送られていった。戸建て家屋が多く、ひろいのだ。また余った魚介類入手もあり、比較的大らかに預かってもらえたのだ。
獣医達は実は冷や汗をかいていた。感染症や破傷風の危険があったことだ。そういう綱渡りがあった。獣医達は福島を中心に、家畜の健康管理に多忙を極めていたが、都会の獣医と違い、ペット専業ではなく、家畜のための抗生剤を常備していた。むしろ人間の側の健康管理が赤信号だったのだ。
しかし犬の散歩や食事、健康チェックは大学生ではなく中高生だったようだ。地元であり、飼育経験があったからだ。
湘南では環境が違う。分散管理がむずかしい。集中管理には、さらに人手がかかる。市町村保健所の担当者さんの話をきいてみるのがいい。飛田を使えである。
次回は百鬼夜行火事場泥棒の話だ。大事な仕事だが、安全では無い話。やだやだ。
(つづくよ)
(校正1回目済み)