湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/27 エル・ファロを救う会の募金活動に参加し/気仙沼から引っ越した**さんのお通夜に

2011-03-29 10:57:43 | 引きこもり
2011/03/27 記
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いわき市で被災した自閉症者の福祉施設「(社福)エル・ファロ」のみなさんを茅ヶ崎の矢畑に受け入れた「エル・ファロを救う会」の支援資金カンパのチラシ配布に参加した。

会では連日チラシを撒いているが、私が参加したのは初めて。土曜日ということもあって参加者が多く、茅ヶ崎駅北口歩道橋・イトーヨーカ堂前・茅ヶ崎駅南口に分かれた。私は南口に参加したが、300枚ほどのチラシは1時間ほどで無くなり、カンパしてくださった方は10名に及んだ。他にも親戚や知り合いが被災地にいると語って下さる方もいらして、関心の高さを感じさせられた。今後も連続して配布を行うので、次回は29日(火)に参加するつもりでいる。9の日なので、九条の会の方たちとご一緒するかもしれない。

チラシを撒いて感じるのは、世代差だ。ファッショナブルな服装の方は世代を超えて受け取りが悪いが、やはり若手の拒否が多い。こういう支援の形に違和感があるのかもしれない。勿論、今回もカンパしてくださった方もいらっしゃるが、私の勤務する予備校&私塾でも、類似の傾向がある。問えば社会的課題を知っているが浅い。話せば響くので、その浅さにとどまっているのは、各人の振幅の少ない社会生活が、振り向く契機を閉ざしているように思う。つながりへのリアリティは、とりあえず見えないような気がする。実際は他者と私(個)の生活の差異が私を揺すっているのだが。

中には障害者は避難所は無理だから、病院に県外収容すればいいんだという男性の方がいらして、そう機械的に割り切れないことや、施設まで結びつける準備が後手にまわっている事態があるといいたいけれど、口論になりそうなので、ご意見ありがとうございましたと、その方と別れた。

この駅前の場所は、ビッグイシュー販売等の際、使っていた場所だ。だからなおさらに、次々に吸い込まれていくチラシがうらやましくもあった。私の義援金は、あしなが育英会にわたそうかと思っていたが、それはもう少し期間を置いてからでいい。当座のカンパ先が生まれたように思う。

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チラシ配布が済んで、一度家に戻らねばならなかった。気仙沼から祖父母を引き取った**さんの祖父++さんが、移動のストレスか昨夜、抱えていた脳腫瘍が脳溢血を引き金に悪化して昨夜突然に亡くなった。間接的だが震災の被害者である。塾長と関係者は明日の葬儀に、私はお通夜に向かうことになった。面食らう母に詫びて、滅多に出さない喪服を着込んで橋本に向かった。相模大野校の授業は欠勤届を出した。

男は通夜に行っても仕方が無いというが、ちょっと変わった光景をぼんやりと目の当たりにしていた。塾のクラスの何人かが手伝いに来ていたのだが、派手な茶髪が忙しなく動いている。ひとりはアジア系の子だが、風習の違いが気になるのか、いつもは無口な奴を質問攻めしている。たしかに出番はないと、初対面のお別れをして会場を出てきた。よろしく頼むなとアジア系の子に声をかけたときの自信に満ちた顔、いい顔しているのだ。必要とされることの大切さを改めて思っていた。

土曜日が計画停電がなくてよかったのだ。通夜まで停電に振り回されるなどとんでもないことではないか。

横浜で一度降りて、パンを仕込んだ。駅前は時間をはずすと予想外に不便だ。橋本で買っておけばよかったと、後悔しながら相鉄側をうろうろしていた。

さすがに帰宅しても、夕食を孤食させたと怒りはしなかった。しかし気仙沼というか一関から引っ越した直後だと事情を聞くと、戦争みたいだねと母が言った。たしかにそうである。しかし、放射能の影響はなかったのかと聞かれると、母の頭の中に地図がないことに気がついて、話すことをやめた。妄想の化け物が母の脳裏に広がるばかりだと思ったからだ。

察知するのか夜間傾聴も開店休業だった。


夜間傾聴:なし

p.s. 「エル・ファロ」の施設の地図を載せておきました。

(校正1回目済み)

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