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☆江藤淳「リアリズムの源流」感想

2006年06月11日 13時47分53秒 | 文学
図書館で借りていた、江藤淳の「リアリズムの源流」を読み終わった。
つかれた。
次から次へといろんな作家について語っているので、なんだか疲れた。
興味のある作家も、ない作家もいた。
高浜虚子が小説を書いていたことを知らなかった。だいたい高浜虚子が何をしたひとなのか知らないが。たぶん俳人。
菊池寛について書かれてあるところで、
「極言すれば、近代の日本では、おれは辛い、おれは苦しいと真っ先に怒鳴った者が勝つ。あからさまに告白することの真実を疑ってこれに耐えようとする者はつねに負ける。菊池寛はあまりに繊細な感覚の持ち主であって、告白のウソがわかりすぎていたために耐え続けた。その耐えかたが徹底しすぎていたために文学青年にバカにされたのであった。」(137ページ)
というのを読んで深く考えさせられた。
なるほどなあ、と思った。そう思って菊池寛を読もうとは思わずに、山田風太郎をやっぱり読んでみようという気になった。
三島由紀夫の背中には筋肉がついてなかったらしい。昭和44年の話。
いつかどこかで、三島由紀夫は上半身だけ筋肉がついているが下半身は華奢であるということを読んだ気がする。上半身の、しかも正面だけ鍛えている三島由紀夫ってすごいなあ。とっても、なんというか、経済的。

この本は読まないままに返そうかと思ったが、それをしなかったのは、「ある遁走者の生涯について――永井荷風」(昭和34年)を読んでおこうと思ったから。永井荷風にはちょっと興味がある。
彼はいろんなものから逃げようとしたらしい。
江藤淳を読んでいると、福沢諭吉や夏目漱石といった現実ときちんと向き合っているひとが正しくて、自分もそうならなくてはいけないといった気分にもなるのだけれど、たぶん資質的に僕は逃げたがるタイプだと思うので、永井荷風や堀辰雄にも興味があります。
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