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☆「風々院風々風々居士―山田風太郎に聞く」感想

2006年06月10日 22時30分16秒 | 文学
風々院風々風々居士―山田風太郎に聞く「風々院風々風々居士―山田風太郎に聞く」を図書館で借りて読む。
森まゆみが聞き手になって山田風太郎の話を聞く。
関川夏央の「戦中派天才老人・山田風太郎」よりも山田風太郎のひとの良さのようなものが出ていて好感が持てた。森まゆみたちが帰ろうとすると、「漱石の手紙を見せる」と言って引き止めるところとか、良かった。普段はずっとひとりで平気でも、賑やかになったあとに急にみんなが帰るとなると、淋しくなって「えっ帰るの? みんないっしょに?」みたいな気持ちになることってあるもんな。
しゃべっている内容は「戦中派天才老人・山田風太郎」とほとんどいっしょだった。

山田風太郎が明治時代で好きな人物は勝海舟と福沢諭吉と夏目漱石、と言っている部分があって、まるで江藤淳と一緒じゃないかと思った。同世代だからかなあ。
山田風太郎(1922年~2001年)
江藤淳(1932年~1999年)
10歳違いか。

「風々院風々風々居士」のインタビューは三つに分かれているが、最後の「明治小説の舞台うら」と題したインタビューは「山田風太郎明治小説全集」の愛蔵版につけられたものをまとめたものだそうで、それぞれの作品について語られていた。
おもしろそうだが、「山田風太郎明治小説全集」を購入するかどうかいまだに迷い中。
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☆江藤淳「漱石論集」を読んだ

2006年06月10日 11時32分27秒 | 文学
図書館で借りていた、江藤淳の「漱石論集」(新潮社・平成四年)を読み終わった。
夏目漱石の「それから」と「こころ」は絶対読もうと思った。特に「こころ」。
岩波文庫でも、たぶん他の出版社の文庫でもそうだろうと思うけれど、漱石の後期三部作の最後は「こころ」と表記されていると思う。江藤淳は、「心」とどうしても漢字で表記したいようだ。漱石が自分でやったという本の装丁からそのように考えるらしい。
「こころ」は、荀子の性悪説に基づいて書かれていると思われる、らしい。そして、そのあと「道草」で老子の性善説に近づいていく、ということらしいです。いうまでもなく、荀子の性悪説も老子の性善説も全然知らないので「らしい」としか言えません。
どちらにしても「こころ」は是非読もう。先生の孤独をじっくり味わいたい。

「漱石論集」の後半は、「薤露行」についてのものが中心だった。
「薤露行(かいろこう)」、というかそれを含む短編集「漾虚集(ようきょしゅう)」を読んでいないので、なんだかよくわからなかった。おもしろいのだろうか。読みにくいんじゃないかなあ。
最後に収録されたエッセイ「物語と小説と」に、大岡昇平の「小説家夏目漱石」について書かれていた。「漱石とアーサー王伝説」の発見は江藤淳が先行論文を参考に書いただけで江藤自身の発見でもなんでもない、というふうに思えるように大岡昇平が意図的に年号を間違えて書いたのではないかと思える部分があるらしい。江藤淳は腹立ったんだろうなあ。
たしか大岡昇平の「成城だより」に、江藤淳の「漱石とアーサー王伝説」について書かれてあるところがあったと記憶するけれど、ずいぶん前に読んだのでどんなふうに書かれていたか憶えていない。しかし僕は「漱石とアーサー王伝説」について読んでもないのにあまり肯定的な印象を持っていないのは、「成城だより」の影響なのかもしれない。
「成城だより」では他に、当時読んだことのなかった吉本隆明についての印象も悪くなった。

何が言いたいのかといえば、結局細かな論理の展開よりも、書いた人間の好悪の感情のみが読者には残ってしまって、それが結構のちのちあとを引く。特に若い頃は。
っていうようなことが言いたい。
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