センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

テレパシーが身に付く!!

2019-09-11 00:00:30 | スピリチャル

テレパシー (英: telepathy) は、ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接に他の人の心に伝達されることで、 超感覚的知覚 (ESP) の一種、かつ超能力の一種。 漢字表記では「精神感応」とも「telepathy テレパシー」という用語は、1882年にケンブリッジ大学のフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース教授によって提案された。この用語ができる以前は、思考転写 (thought-transference) と呼ばれていた 。

テレパシーという言葉の名付け親でもあるケンブリッジ大学のフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースは、1882年に心霊現象研究協会を設立し、1888年までこの組織のリーダーとしてテレパシーや催眠術などの科学的調査を行った。

日本では1910年から東京大学の福来友吉博士によってテレパシーの研究が行われた。1927年頃から近代的な超心理学の研究がジョゼフ・バンクス・ラインによって始められ、その中でテレパシーの実験も行われた。

 

私がこの「テレパシー」が身に付く切っ掛けがありました。それは、12年前に霊的存在から憑依されて「霊的覚醒」によってテレパシー能力が引き出されたように活性化しました。

当初は、自身の能力に気付かず、テレパシー能力なんてあり得ないと否定的でした。

それが確信に変わったのは、7年前に魂の片割れ同士が出逢う「ツインソウル(双子の魂)の出逢い、繫がりを体験してからでした。

相手の念が伝わる、時には相手の体調や感情までも伝わる「シンクロニシティ」現象が起きました。

このシンクロこそが「テレパシー交換」でした。

 

相手の「念(波動)」が前頭葉に伝わると、シンクロ現象が起きるものです。

また、その頃から「第4チャクラ(ハートチャクラ)がオープンし、活性化」しました。そのことにより、毎日のように胸から背中にかけて熱く騒ぐように火照ります。

このハートチャクラのオープンと同時に「レイキ」が手の平から遠赤外線のように温かな(波動)を発生させることで、離れた人にもテレパシーで送り、レイキ施術が出来るようになりました。

以前には、地球の裏側に居る人にも、届き驚かれました。

それは、スマホの電波でも届かない場所には、私の念を「宇宙」やお月様に念を飛ばし、それから離れた人に届けるものです。

レイキ施術する時には、本人確認のためにスマホに写真を送って貰い、その写真に「手を翳して」レイキ施術することで届きます。

私のレイキ施術は「念のテレパシー」です。受け取った人の症状や痛みなどの箇所は、写真に手を翳したり、実際にお逢いしてカウンセリングしながら、痛みなどの箇所を探り、その個所に温かな波動を手翳しながら「免疫力」自己治癒力を引き出すので「癒され、痛みも緩和」されるものです。

 

また、私は他の方々と違い「共感力がとても強い」ので、相手の方の具合の状態や痛みも伝わり、分かります。

ですから、駅構内で若い女性がお腹を抑えながら痛みを堪えている様子を見て直ぐに分かりました。生理痛で身体が冷えて、貧血を起こし、そして、生理痛の痛みを堪えられないでいると分かります。

私は声をかけて、女の子の日の痛みですねと伝えると、驚かれます。

そして、貧血を抑えるために、ポカリスエット(点滴代わり)に飲ませて、その間に、尾骶骨から腰の辺りを摩りながら、レイキで温めていきます。そうすると「温かいです」と言われ、5分もしない内に顔色が赤みを帯びたら、痛みもなくなり、歩けるようになります。既に何人者の女性の人を助けて来ました。

他にも、意識不明の方を私のレイキ施術で生還させたこともあります。

レイキ施術は痛み、不安などを癒す目的で行います。また、念のテレパシーはその方の「守護霊」にお願いして、私の代わりに護って貰うように念じます。

普通では中々考えられない脳力でもありますが、私は既に十数年間、テレパシーで多くの方々を助け、救って来ました。

今後も、私に助けを求め、私欲や邪心がない人に限りますが、助けて参ります。また、幸せへと導く力もあります。私のことを信じて呉れた人たちのことは見捨てることはありません。それが私の「使命」だからです。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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博愛主義をモットーに!

2019-09-10 00:00:30 | 感謝

【博愛主義】の意味は、人種・宗教・風習などの違いを超えて、人間愛に基づいて全人類が平等に相愛協力すべきであるという考え方。

私の勝手ではありますが、日本人に欠如している考え方がこの「博愛主義」だと思っています。

私の祖父母から戦後の復興の時代のことを良く聞かされていました。また、私も嫌がらずに真剣に聞いておりました。

祖父がその頃の日本は「博愛主義に満ちていた」という言葉を今でも思い出します。

お互いが協力し合い、人間愛がないと「生きてゆけなかった時代」でもあったからだと思います。

近年は「便利な道具に頼り、自身の感覚に頼ることなく」自他楽になっていると思われます。

楽してお金を稼ぎたい、苦労して仕事なんかしたくない、手っ取り早いところが「人を騙して」お金を稼ぐ、詐欺行為が目立っています。

こつこつと老後のために貯めたお金までも騙して、振り込ませて詐欺してまでお金が欲しい、お金さえあれば幸せだと思う「幸せの価値観が大きく変わって来ています」。

 

また、人が人を愛する。愛し方も劇的に変わりました。人間愛に基づいて全人類が平等に相愛協力する愛し方ではなく、自分さえ良ければ、愛欲や性欲を満たせたらそれでいいと考えている人が多過ぎます。

私のように「大我の愛の実践」つまり、無条件の愛で「愛する」などは理解されにくく、相思相愛で無ければ愛は成立しないと思っている人が多いものです。

最近の若い女性の中には「恋愛はしたくないけど、愛が欲しい」などと、人を愛せないけど「愛されたい」と身勝手な愛を求めています。

つまり「愛に形を求めたがる」ものです。

また、愛が分からないとよく、私に相談されます。そんな時は「自分より大切な人が居たらそれが愛」だよと、愛には形も無ければ、マニュアルもないから「愛欲や欲望」を満たすために恋愛や人を愛したら「失望」するから、無条件の愛で愛して上げて欲しいと伝えても、理解されません。

 

幸いなことに私は人一倍、愛に満たされ、愛し、愛されてもいます。相思相愛などの次元を超越した「魂(ソウル)の繫がり」から「永遠の愛の関係」の人が私のソウルパートナ(魂の伴侶)になっております。

こうした博愛主義を理解し、自ら実行できる人は「精神的豊かさを求めている人」なのだと思います。

物、金が多くあればそれでいい、幸せだと思う人たちには理解も難しく、そんなもの「何の徳になる」と否定的にもなります。

また、自身の使命に気付き、私のように長年、その使命によって大勢の人たちを助けて参りました。

命を救ったことも、ケガをした人の手当ても、避難して困っている人たちのために、大企業に物資支援の依頼などもして来ました。

それだけではなく、日々の生活の中で、困っている人に良く遭遇します。常に私が意識していることもありますが、私の目の前で具合が悪くなったり、困った人によく遭遇します。見捨てる事の出来ない性分なので、声かけしたり、状態も直ぐに分かるので、その場で処置や対応します。長年して来たことなので、手慣れたものです。

 

それだけではありません。

この世とあの世の「架け橋役」を担っている私です。人の死後直後とか、彷徨っている霊魂などが私にどうしたら良いのか?聞きに現れます。

それは、若い人や突然死した人などは「自分が死んだことが理解出来ない」でいます。そんな時に、教えて欲しい、分かって教えて呉れる人を霊魂は必死に探すのです。そして、私たちと関わり合いのある人の霊魂が私のところに現れて、どうしたら良いのか聞きに現れます。そして、私は悟らせ、来世へと導き、見送らせて頂いております。

こうした能力も私の「人助け貢献」の一つでもあります。

ですから、私のことを信じて、頼りにしてくれる人や助けを求めて来る人のことは拒みません。そして、幸せへと「お導き」も出来ます。

逆に私のことを信ず、頼りにもせず、関わり合いたくないと思う人たちには、御守りすることも、幸せへと導いて差し上げることもしません。ましてや祈って差し上げるなど一切しません。

私は神様でもなければ、62歳になるただのオヤジですから、人の好き嫌いもあります。私と関わり合いのある方々には「幸せへ」と導いて差し上げていますので、多くの方々から感謝されてもいます。それが私の幸せでもあるのです。

荒木行彦


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不思議な世界!

2019-09-09 00:00:30 | スピリチャル

不可思議の意味は「常識では考えられないこと、考えが及ばないこと。異様な様なこと、また、その様「不可思議な現象」。

人間の認識、理解の限界を超えていること。また、その様、仏の智慧、神通力などの形容に用いる、不思議「不可思議な功徳」「不可思議力」など。

不可思議体験というと日本人の多くが「未体験」な人が多いので、疑い、信じません。あり得ないと否定的にもなります。

また、信じたとしても多くの場合は「霊的な存在」や「霊的現象」などのことを指し示すことが多いものです。

私は長年「人の感覚研究」をして来ました。そんな中で「人は視覚優位」の生き物で、外的情報の80%以上を視覚に頼り、得ています。

そのため「見たことがない、体験したことがないことを信じられないと疑い、否定的になります」。

 

また、好奇心や興味が希薄だと余計に不可思議な現象などを否定したがります。

この世には「目に見えない力、出来事!科学では説明の出来ない現象や出来事は存在し、起きています」。

テレビ番組などのスペシャル番組に「謎の生物、不可思議現象」などと恐怖を煽る番組でも紹介されています。

テレビ番組なので写真よりも謎の映像を捉えたものを紹介しています。霊的な現象!多くは「思念体」や「オーブ」なとの映像が多いものです。

 

また、謎の生物を{UMA}ユーマと名付けて、ビックフットやネッシーなどが代表されるようにらしき映像なども紹介されています。

他にも「謎の飛行物体(UFO)」などの映像も公開されています。

これらもすべて「不可思な世界」の出来事です。ですから、これらの不思議な現象や謎の飛行物体を見た人などのことを「あり得ない」自分は見ていないのだから「信じない」という人が多いものです。

特に高齢の男性は頑固で「概念が強い」人ほど否定的で疑います。

 

これら不思議な現象や謎などは現実にあり得ることです。但し、人の感覚を長年研究している私ですので「科学的根拠」で説明すると「見える人と見えない」人の差だと仮説を立てています。

特に謎の生物やUFOなどを確認した。見たという人の中には「錯覚、錯視」、だと思われることが多々あります。中でも、本人には見えているのに、他の人には見えないということもあります。これらこそ、スピリチャル能力なのです。

私には「思念体(幽霊)」の姿が見えるのに、周りの人や他の人には見えていません。出現時は夜とは限りません。場所も決まっていません。

姿を現さない時には、気配や予感で分かります。

UFOも私はこうした「見える人と見えない」の人の差があると考えています。

多くの人が一緒に不思議な光を見たなどの報告例はありますが、映像も確たる証拠とは言えません。謎と言えば謎だし、意味不明なことが多々多いので「謎の飛行物体」と総称することになるのです。

 

実際にUFOやUMAに遭遇した人たちはおられると思います。自身が観ていないから体験していないから「絶対にいない、あり得ないと言えない」否定出来ないと思います。

これらは能力の個人差や考え方などが左右するからです。

あり得ないと否定する人ほど「好奇心が希薄で概念が強い人」などの共通点があります。

また、信ずるも信じないもその人の自由ですから否定しても構いません。但しテレビ版組などで「肯定派と否定派」で意見対決のような喧嘩腰で言い争うのを拝見していて「とても不愉快」に思いますので、このような討論会にもし、私の研究に関わる番組の監修や取材はお断りしています。

現に多くの不思議な現象の多くは「都市伝説」のようなことも多いということを私から提唱致します。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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念力が冴える!

2019-09-07 00:00:30 | スピリチャル

念力の意味は、念力、英(psychinesis)、超能力の一つで、意思の力だけで物体を動かす能力のこと。念動力、概念動力とも言う。

「サイコキネシス」はサイコ+キネーシスという構成の語であり、英語で言えば「mind-movement)にあたり、心(念)による運動という意味の表現である。

サイコキネシスとほぼ同類に扱われることのある概念に「テレキネシス」がある。

離れて運動を起こすという意味の表現である。サイコキネシスとテレキネシス、サイキキックは、対象物の動かし方によって区別されている。

 

また、念力という言葉は、本来の意味から離れて「物体を動かす」という以外の「何かを心のままに操作する」という意味で使われることも多い。

日本では、それ以前は、SFで知られていた概念だったが、ユリ・ゲラーが1974年に来日した時に特集番組のテレビカメラの前でスプーン曲げを行い全国に放送されたので、よく知られるようになった。

それ以降に「念」=「超能力者」などと呼ばれるようになった。

 

私がこの「念力」に目覚めて、自覚できるようになったのには、切っ掛けがありました。それは、12年前のある朝方に霊的存在から憑依されて「霊的覚醒」に目覚めたことに始まります。

憑依した相手からの「愛の思念」を享けて、私の第4チャクラ(ハートチャクラ)が活性化したように、毎日のように胸から背中にかけて熱いものです。

そのパワーが源となり、私の掌から「遠赤外線」のような暖かな「波動」を発生させることが出来るようになりました。

 

それは「レイキ」と呼ばれているものです。

私の場合は、離れた人にも「レイキ施術」が行えるのは、テレパシーで送ることが出来るからです。その時に必要な能力が「念力」なのです。

私の念力は、物を動かしたりすることは出来ません。

例えば、本人確認のために写真などに手を翳して念じれば、レイキを送るだけではなく、癒しの波動や愛の波動も送ることが出来ます。

皆さんには信じ難いと思いますが、離れていても愛し合うことが出来る。但し、受ける側が理解、納得していない受けることは不可能になります。

つまり、共感し合う能力がないと癒されないし、痛みや不安などの緩和には繋がりません。

既に何十人もの人たちを私の「念(レイキ)」で癒し、痛みなどの緩和だけではなく、命を救って差し上げたこともあります。

私も人の子ですから、私のことを意地悪なことをしたり、虐めたり、悪口を言う人をもし、私が恨んだりしたらその人に「災いわ齎す」ことになるので出来るだけ、怒らない、関わらないように無視するようにしています。

逆に言えば、私に助けを求め、救って欲しいと願って頼ってくれる人のことは、離れていても守って上げることが出来ます。

 

それは、霊的な方法で誰でも出来る業ではありません。その人の「守護霊」にお願いして、私の代わりに「御守り下さいとお願いする」。念じることで可能になるものです。

また、不動明王御真言を唱えて護って貰うなどのことが出来ます。

こうして、私の念力は人の感覚を超越しているのは、私の「潜在的脳力」による賜物です。特殊な能力の一つでもあります。

だからと私は「超能力者」ではありません。

私の長年の感覚研究の賜物の「超感覚者」(超感覚知覚)と言う、人並み外れた能力を持っているからでもあります。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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キスを科学する!

2019-09-06 00:00:30 | 感覚心理

キスのチャンスが目前に!その時、あなたは頭を右に傾けるだろうか。それとも左に傾けるだろうか。

先ごろ発表された国際共同研究では、キスの際に頭を右側に傾ける人が7割超に上ることが明らかになった。この研究を実施した心理学や神経科学の研究者らは「キスの際に頭を右側に傾けるのは、生まれつき備わっている傾向(bias)の表れの可能性がある」との見方を示している。

この研究を実施したのは、英国やバングラデシュなどの研究グループ。バングラデシュの夫婦48組に自宅でキスしてもらい、その直後に個別に質問に回答してもらった。その結果、79%の夫婦で男性からキスを始めていること、またキスを始めた側の74%、キスに応じた側の69%がキスする際に頭を右側に傾けたと報告していたことが分かった。

更に、「利き手が左右のどちらであるか」は、キスを始めるときに頭を左右のどちらに傾けるかを予測する因子であることが分かった。この他、キスを始めた側が頭を右側に傾けた場合、キスに応じる側も右側に傾けるといったように、キスに応じる側がキスを始めた側に頭を傾ける方向を合わせる場合が多いことも分かった。

 

研究論文の筆頭著者であるダッカ大学(バングラデシュ)のRezaul Karim氏は、「頭を左右のどちらに向けるかは、出生前を含む発達のプロセスの中でも最も初期にみられる非対称性の傾向といえる。右利きの子どもはまだ子宮内にいるうちから、右側を向く頻度が高いことが分かっている。このような傾向が生まれついたもので、成人後も引き続き認められるのかどうかを明らかにすることは、神経科学および心理学における長年の課題である」と述べている。

尚、これまでにもキスをする際に頭を右側に傾ける人が多いことは複数の研究で示されている。ただ、いずれも欧米で実施された研究であったため、こうした傾向には文化的な要因が影響している可能性が指摘されていた。今回の研究では、欧米諸国とは文化的な背景が異なるバングラデシュのカップルにおいても、欧米のカップルと同様の結果が得られた。バングラデシュでは人前でカップルがキスをすることはなく、キスは極めてプライベートな行為で、テレビや映画でもキスシーンは規制の対象となっているという。

論文の共著者で英バース大学心理学部のMichael Proulx氏は「過去の研究では文化的な学習による影響の可能性が否定できなかった。しかし今回の研究から、社会的価値が異なっていても、人間として共通した結果が得られることが分かった」と述べている。この研究結果は「Scientific Reports」7月14日オンライン版に掲載された。

この研究は「キスの仕方は生まれつき決まっている? 」という内容のものです。

 

これらは、私の長年の「感覚研究(感覚心理)」でも分かるものです。

例えば、 キスを始めた側が頭を右側に傾けた場合、キスに応じる側も右側に傾けるといったように、キスに応じる側がキスを始めた側に頭を傾ける方向を合わせる場合が多いことも分かった。

但し、これも恋人同士がキスの経験が多いと、すんなりとお互いが同じ方向に首を傾げなくても「阿吽の呼吸」のように上手くいきます。

初キッスなどでは、お互いが擬古地ないので鼻がぶつかったりと上手くいきません。

愛する人とキスをすることは、胸がトキメクだけではなく、ハラハラ、ドキドキします。キスし終わった時の高揚感はなんとも言えない感覚です。愛し合っていると実感できるものです。

但し、日本人には「キスをする習慣」が希薄なので、私たちのような中高年の人たちには「苦手な行為」でもあります。

愛する人とキスをする時には「臭いに注意が必要」です。男性は特に口臭や体臭の臭さを相手に与えると、恋も冷めてしまいます。もう~二度とあの人とのキスは嫌だと想ってしまうからです。ですから、口臭や体臭予防が大切です。だからと過剰に香水や口臭消しなどを多様化するのも注意が必要です。

余話、相手に不快な想いをさせない、キスして「気分が高揚」することが大切になります。

私が女性雑誌の取材から「キスの高揚」という感覚心理から取材を受けて説明したことがあります。

こうした愛する者同士は「愛の確認はキスする」から始まると言っても過言ではありません。センスプロデュース研究所、荒木行彦


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人の祈りを科学する!

2019-09-05 00:00:30 | スピリチャル

「前向きな心、感謝、人を思う祈り」が脳を活性化し、免疫力を高めることが知られています。

「脳に与える祈りの影響」!

誰かに対して怒りや妬み、恐れ、不安といったネガティブな感情を持つと「ストレス物質」である(コルチゾール)という物質が分泌され。記憶の重要回路である「海馬」に影響を与えます。

つまり、ネガティブな祈りは「ベーターエンドルフィン」や「ドーパミン」゛オキシトシン」など、「脳内快感物質」と呼ばれる物質が分泌されます。

多幸感や快感を齎し、脳を活性化させ、身体の免疫力を高めるとまた、記憶力が高まり、集中力も増します。

{良い祈りを続けると、良い方向に変わる}!

同じポジティブな祈りでも「ライバルを蹴落としたい」という攻撃的な祈りには「怒りのホルモン」である。(アドレナリン)や(ベーターエンドルフィン)が出てしまう。

しかし、それが「この勝負で、共に成長していきたい」という、相手の幸せも祈れる時は、自らの幸福にも繋がっていくのです。

{脳を活性化する「愛情ホルモン」}「オキシトシン」は愛おしさの感情を生み出す「愛情ホルモン」大事な人が幸せになって欲しい、自分のためではなく、誰かのために祈ることは、自分の脳にもよい影響を及ぼすもの。自他共の幸福を祈る中にこそ「良い祈り」があるんです。

 

{祈りが強化する「展望的記憶」の力}!

未来に対するヴィジョンをしっかり持ち、希望を持って人生を歩んでいけるのも、展望的記憶の能力があるからこそ、また、人間が未来にいきいきと思い描く時、海馬の活動が活発になることが分かって来ました。

祈りを日常的にしている人ほど、展望的記憶をしっかり持って、いきいきと生きることが出来る。それが「ポジティブ」な利他の祈りであれば、脳に与える良い影響も強まります。

{祈りこそ最高の良薬}!

「希望の言葉」は想像以上に大きな影響を持っている。「オキシトシン」は、病気を治す天然の妙薬、祈りこそ副作用もない「最高の良薬」となる。

脳科学からみた「祈り」中野信子著書より、抜粋引用。

 

こうした人の祈りの御利益は、自身の苦しみや悩みなどを緩和し、解決してくれることにあります。

また、私は女神や大天使、お月様に日常的に祈りを捧げています。利他共に幸せになれるようにと祈り続けております。

誰よりも「祈りの力」を身を持っている私は、科学的根拠も人の祈りがどのようなものかも解説も説明も出来ます。

私が数年前に成田山新勝寺で「護摩焚き修行」に参加した時に、混雑していて座るところも無かったので、賽銭箱の前に座って祈っていたら、首から肩にかけて重くなり、得体の知れないものを感じて、気持ちが悪くなりました。知り合いの御夫婦と一緒に参加していたのですが、私の知り合いの女性は、首を持たれて具合が悪そうでした。御主人が心配して、介護していましたが気絶寸前だったので、私はこの場所から移りましょう!!私たちが参拝客の祈り(念)を受け止めってしまったようで、霊感やスピリチャル能力の高い人は、人の祈り「祈願」などを享けてしまう(感じてしまう)ことを初めて体験したものです。

それは、霊的な存在に憑依されたような重たいものでした。

その場から離れた私たちは、何も無かったかのように元に戻りました。

人の祈りは「念のテレパシー」として、波動が合う人には感じてしまう、分かってしまうものです。

 

私の場合は、病や苦しみから「助けて欲しい、救って欲しい」との念を神頼みしているのですが、何故か私が感じ取ってしまった訳です。これらは「私の祈り力」の成せる業でもあります。普通の人であれば、自分の後ろで手を合わせても念を感じたり、祈願を受けることはないと思われます。

誰よりも、祈りの力を信じて「因果応報」の意味も分かっている私です。

過去、何十年も前から「人助け貢献」をしてきて、大勢の人たちから感謝もされて来ました。こうした功績や実績がある私ですから、私の背後で手を合わせて「祈る人たち」の願い(祈願)を私の「脳で受けてしまう、感じてしまう」ものです。

ですから、以降はお寺などで参拝者の前に座ったり、立っていることさえ辛くなるということです。

こうした特殊とも言える能力がある私たちなので、誰よりも「祈ることの大切さ、継続した祈り」が幸せにと繋がるということです。

荒木行彦


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琵琶に魅了される!

2019-09-04 00:00:30 | 癒し(セラピー)

【琵琶の起源】!

1.<琵琶>は中国語で「pipa」と言います。昔はバチを使って演奏していましたが、その演奏方法と出る音から‘琵琶’という名前ができたといわれています。つまり、外側を向いて弾く動作を‘琵’と言い、内側を向いて弾くのを‘琶’と言います。そういう演奏法で弾く楽器が全て琵琶と呼ばれていました。つまり「琵琶」は全ての撥弦楽器の総称だったのです。

 

2.紀元前3世紀頃の中国は、<秦>の時代で、始皇帝によって有名な「万里の長城」が建築されていました。長城を作るために各地から集められた人々は、その仕事の休憩の間に、元々手で敲く鼓に弦を付けて、弾いていました。これが中国の最古の琵琶と言われています。後世の人々はこれを<秦琵琶>と呼びました。

 

3.その後、いろいろな形の琵琶が作られるようになりました。胴体の部分は円形と梨形があります。また、棹の部分は真っすぐなのと曲がっているのがありました。弦は、四弦のものが多かったようですが、五弦や、極まれに三弦の場合もあります。このいずれも琵琶と呼ばれたのです。琵琶は果物のビワの形に似ているから、そう呼ばれるという人もいますが、これは俗説であまり信用できません。

 

4.更に、四世紀頃になると、インドから今の琵琶に似た楽器が中国に伝わってきました。梨形胴で、棹が曲がっていて、四弦で、バチで弾く楽器でした。それからこの楽器だけが琵琶と呼ばれるようになりました。

 

【唐時代の琵琶と琵琶行】!

1.中国史の中でも、最も国際的で華やかな文化が栄えた<唐>の時代には、宮廷音楽の中で琵琶が重要な楽器として使われるようになりました。琵琶の名手と言われるような人も現れて、その演奏技術もかなり高くなりました。

 

2.唐の時代の有名な詩人ー白居易の作品《琵琶行》の中には、その琵琶演奏のすばらしさが描かれています。今でも中国人の中で琵琶というと直ぐにこの詩が想い出されます。詩の全体の内容は次のようなものです。

「都から左遷されて地方に向かう白居易は、秋の夜、波止場の舟で琵琶の音を聞きます。田舎では聴けないようなすばらしい音色に惹かれて、音の主を探すと、昔、都で華やかな演奏を披露し、今は落ちぶれて田舎をさまようようになった老婆が、昔を想い出しながら琵琶を奏でます」。

 

3.《琵琶行》の中には、琵琶の音色を表現した幾つかの有名な句があります。

 <大絃口曹口曹如急雨><小絃切切如私語> つまり、太い弦で弾く音は激しい雨のようであり、細い弦で弾く音は小声でひそひそ話をしているようだというような意味でしょう。 それを交互に弾いていくと、あたかも玉盤に大小の珠を落としたような響きになります。これが<大珠小珠落玉盤> という句です。 そして曲の最後には、4つの弦を一斉に払って、絹を裂くような気合いのこもった音、これが<四絃一声如裂帛> と詠まれています。

 

【琵琶の日本への伝来】!

1.中国では、その後、シルクロードを通って、西域から様々な外国の楽器が伝わって楽団の編成も大きくなっていきました。敦煌の壁画にはそうした様々な楽器がいろいろな外国人の手で演奏されている姿が活き活きと描かれています。(五弦琵琶もそのようにして伝わり、一時期、四弦琵琶と共に演奏されていましたが、中国では<宋>の時代以降は、使われなくなりました)。

 

2.こうした中国の文化は、<遣隋使>や<遣唐使>の手で、日本にも伝えられました。日本からの留学生は、多くの楽器を持って帰りましたが、その中に琵琶もありました。現在、奈良の正倉院には、唐の琵琶が5面、五弦琵琶が1面保存されていますが、このうちの五弦琵琶は、世界で唯一の現存する実物です。

 

3.平安時代になって、第12回の遣唐使団として中国に渡った<藤原貞敏>は、半年ほど琵琶を習って、唐の琵琶と楽譜を持ち帰り、日本琵琶の発展に貢献したと言われています。

 

4.その後、日本では、次第に流派によって<平家琵琶><薩摩琵琶><筑前琵琶>というふうに幾つかの類に分かれました。それぞれに特色がありますが、現在、日本で見ることのできるこうした琵琶は、形や弾き方の上で伝来当時のものに非常によく似ています。

 

【琵琶の構造】

1.中国琵琶は現在だいたい統一の規格があります。裏は、音を力強くするために紅木や紫檀など堅い木でできています。表は、音を良く響かせるように少し柔らかい木ーー桐で作られています。また、琵琶に使う木は大木を何十年も自然乾燥させないと音色の良い琵琶が作れませんので、今では非常に高価で、いくらお金を出しても、なかなか良い材料が手に入りにくくなっています。

2.フッレトは、下の小さい方(品)は竹でできて、上の大きい方(相)は紅木に水牛の骨を張り付けています。チューニングの軸も紅木で作られています。相と軸は高級なものでは象牙や牛の角を使う場合もあります。

 

私が琵琶の音色を直ぐ側で聴いたのは8月26日の江の島神社(琵琶奉納)に参加したことが初めて生で聴くことが出来ました。

琵琶の演奏と共に、演奏家が物語(歌詞)を歌い上げます。現代では、クラシックギターで歌うような、フォークソングのようなものでしょうか?

演奏を聴いている途中で不思議な現象が起きたり、見えたりしました。

以前に、知り合いの演奏家の方から「琵琶は、この世とあの世を繋ぐ」楽器でもあると聞いたことがありました。

だから、まさしく、私のお役目「この世とあの世の架け橋」を担っています。

また、私の使命として人助け貢献にもありますが、琵琶の音色はまさしく「神秘的な音色」でした。

だから、私が今までに色々な楽器、ピアノ、ギター、ドラム、トランペットなどの音色も側で聴いております。また、珍しいところでは「クリスタルボウル」の音色も神秘的な音色の一種です。

また、琵琶の(弦)を用いて、お月様、新月~満月の間の月のことを「上弦の月」、満月になり、満ち欠けしてゆく「下弦の月」は、三日月が上向きか下向き、つまり、三日月に弦を張ったように見えて上向きなら「上弦の月」となり、下向きなら「下弦の月」となるものです。

琵琶の物語で思い出すのが「耳なし芳一」だと思います。

耳なし芳一(みみなしほういち)は、安徳天皇や平家一門を祀った阿弥陀寺(現在の赤間神宮、山口県下関市)を舞台とした物語、怪談。小泉八雲の『怪談』にも取り上げられ、広く知られるようになる。

八雲が典拠としたのは、一夕散人(いっせきさんじん)著『臥遊奇談』第二巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」(1782年)であると指摘される。

 

『臥遊奇談』でも琵琶師の名は芳一であり、背景舞台は長州の赤間関、阿弥陀寺とある。これは現今の下関市、赤間神社のことと特定できる。

こうした物語などから「琵琶がこの世とあの世を繋ぐ楽器」となったようです。

私のお役目も「この世とあの世を繋ぐ(架け橋)」役を担っておりますので、琵琶の音色を初めて聴いても、直ぐに物語の筋まで分かったものです。馴染みもあり、心に響いたのではなく、私の魂に響いたものです。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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江の島神社に来ています!

2019-09-03 00:00:30 | 癒し(セラピー)

久しぶりの江の島入りになります。何時もは、千葉から鎌倉駅で下車して「江ノ電」に乗って江の島に入りますが、この時期、夏休みや週末には鎌倉駅が混雑して、江ノ電に中々乗れずにホームに人が溢れることもあります。

ですから、私は大船駅で下車して「モノレール」に乗って江の島に入ります。

大船駅発のモノレールは週末でも座って江の島まで行けるのでいつも行は、大船からモノレールに乗って、帰りには江ノ電に乗って鎌倉から横須賀線経由総武快速線で帰宅しています。

今回は、知り合いの方が江の島神社で「ビワの演奏」があるので来て欲しいと言われ、同時に臨時カメラマンとして撮影もしに来ています。

江の島神社を詳しくご説明します。

江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。日本三大弁天の一つに数えられる。

祭神!

弁財天 童子像建立之記、宗像三女神を祀る。島の西方の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命、中央の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命、北方の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。

江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。

 

現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が安置されている。

歴史!

江島神社 境内、社伝によれば、欽明天皇13年(552年?)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった。

当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。

明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した。

 

他に江の島では「シーキャンドルタワー」と「サムエル・コッキング苑」があります。両方セットでキャンドルタワーからは天気が良ければ、富士山や江の島海岸が眼下に見えます。

タワーの下にある公園は「サムエル・コッキング苑」は、明治時代にイギリス人の貿易商人の「サムエル・コッキング氏」の別荘兼会社があった跡地です。

以前に、公園内にある。中国風の建物にベンチが置いてあり、そこでサンドイッチを食べていたら、木陰から霊的視線を感じて、写真を写したら「絣の着物を着た女性」が写りました。

明治時代にこの貿易商で働いていた人たちやお手伝いさんたちの浮遊霊が私に此処に、別荘と会社があったのと教えて呉れて「サムエル・コッキング苑」の存在を知ったものです。

本日も午前中に江の島神社とサムエル・コッキング苑」を探索しながら撮影し、お昼過ぎから江の島神社でのビワの演奏を聴いておりました。

天気にも恵まれ、観光客で賑わっておりました。荒木行彦


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前世からの繫がり!!

2019-09-02 00:00:30 | スピリチャル

※魂の繋がりが深い、強い相手!

皆さんはこんな経験をしたことはありませんか?初めて逢った人なのに、とても前から知っている様な気がしたことや、初めて逢う人を懐かしく想うことです。

この世で自分の身近に居る人は、過去世においても自分の近くに居た人が多いと言われています。

けれどもそんなことは本当のところ、前世や過去世において自分は相手とどのような関係であったかは、知らないからよいこともあります。

今世で出逢い、お互いに好きになった人と結婚したいと想った時、その相手が前世では自分の祖母だったということが分かるのは決して嬉しくなく、とても奇妙な感じがします。

繋がりが深い、ずっと以前から繋がる縁!

人は生まれ変わる時に、前世での記憶を持たずに生まれて来ます。

 

前世での数々の記憶を忘却してから新しく生まれてくることは、自然の摂理としては大事なことなのです。

ところが先に挙げた初めて逢った相手をずっと前から知っていたように感じることや、懐かしい気持ちになることはどのような記憶になるのでしょうか?

生まれ変わる時に忘れた一方の記憶だという人もいますが、それは魂の繋がりが強い相手なのかも知れないのです。

 

※魂の繋がりの強い相手!

魂の繋がりの強い相手と出逢う時、自分の心のとても深い場所から沸き上がる「忘れる事が出来なかった」想いが相手と結び付かせてくれます。

そのように想う相手と出逢った時、人生というものは大きな力によって導かれているという思いになります。

自分の人生は自分自身で切り開くものですが、魂の奥には運命の導きに逆らえない強い力が働いているのです。

運命には自分で選択が出来ることと出来ないことがあり、それを「宿命」と言います。

自分の意思と努力ではどうにもならない事があり、それは過去からの行いに繋がるもの。

今世で魂の繋がりが強い相手に出逢い、その出逢いは自分にとってどのような意味があるかは知る由もないのです。

その相手が今世で親友になるか、恋人になるか、伴侶になるかは、人によって様々です。

ただその相手と深く向き合って行くうちに、その相手との出逢いには意味があった事に気付くのです。

出逢うべきして出逢う者同士には、必ず意味があります。

お互を磨き合い切磋琢磨するための出逢いや、過去世においてお互いに憎しみ合って傷つけ合ったので、今世こそはお互いに理解を深め慈しむという意味のある出逢いもあます。

広い世の中で魂の繋がりが強い、心の奥が震えるような相手と出逢えるという事を知ると生きる意味の深さを知ります。

命には限りがあるけれど、魂は永遠だという事に気付きます。

前世からの繋がり!ホームページより引用。

 

私は「魂の繋がり」を12年前のある朝方に事故現場の正夢からその方の魂と出逢い、繋がりました。

12年前にソウル繋がりをした人とは、来世に旅立つために、導くために繋がったものです。その方からメッセージで「生まれ変わってもあなたを選ぶわ!だって決まっているんですもの・・・ありがとう行彦さん」とメッセージされて「前世」からの繋がりを確信したものです。

そして、前世から定まった人「ソウルレイの関係」にあることを知ったものです。

ツインレイ関係になると様々な「潜在的能力が引き出される」ように活性化し働きます。テレパシー能力や共感能力なども鋭くなります。

また、霊的覚醒に目覚め、霊的な存在との遭遇や不思議な現象など次々と起こります。不思議な出来事が当たり前のようになるのです。

これらこそ「運命の出逢いではない(宿命の出逢い)人だからです」。

前世からの繋がりは、体験した人ならば直ぐに理解できますが、一生の間で私のようなソウル繋がりをすることは「希」な事であり、極めて珍しい前世からの繋がりを体験している私は幸せ者です。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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