センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

私の覚悟!

2019-03-30 00:00:30 | 感覚
今年の5月から新年号になることから、私が30年近く続けてきた「五感の研究」、視覚(見る)、聴覚(聞く)、味覚(味わう)、触覚(触る)、嗅覚(臭い)の研究に特化して研究に励んで参りました。
地味ながら、私の長年の研究が日の目を見たのは、12年前に不思議な出逢いをしてからマスコミ等に注目され、2007年にラジオ出演がマスコミデビューとなります。
神戸FMラジオ「キッスFM」から五感ウィークの最終日に電話取材を受けて、そのまま電話出演したことがマスコミもラジオが人生初の出演を果たしたものです。
初めての出演なのに不思議と緊張することもなく、淡々と説明して終わりました。このラジオ出演をきっかけに、その年の9月にフジテレビ「めざましテレビ」の番組スタッフから「味覚とワサビの関係」についての取材とコメント出演をお願いしますと頼まれて、こちらも人生初の「テレビ出演」となりました。
これらかきっかけとなり、ラジオ、テレビ、雑誌、会社等などから取材や出演、監修の依頼などが増えて来ました。
全国の地方テレビ局からの取材や出演依頼も増えています。既にこれまでに20本以上の番組、ラジオ3回、雑誌数回の取材や監修を受けております。

これらのマスコミ出演は、私の長年の研究「感覚心理」からでした。
ところが、最近はスピリチャル系などの不思議な感覚についての話題で私が注目されることになったのは、2007年の5月の不思議な魂(ソウル)の出逢い、繋がりをしたことによります。
実体験している私が「目に見えない世界、皆さんの知らない世界」を自ら体験し、科学的根拠で解説もしています。
また、あの世とこの世の架け橋的役割も担っている私は、こうした「目(視覚)では見えないこと!感じないこと!不思議な出来事」などの研究に励みたいと思う様になり、私の今後の使命として、五感に拘り、五感に特化した研究をして参りましたが、今後は「目に見えないもの!力、出来事や現象」などの解説に力を注ぎたいと思う様になり、そして、今年の4月から今まで長年の五感研究から「センスプロデュース研究所」と名称も変えて、本格的に目に見えないことや皆さんの知らない世界などの研究を推進したいと思っています。

今までは、見えるものや聞こえるもの、触る、臭いを嗅いで味を感じるなどの研究に励んで参りましたが、こうした具体的な研究ではなく、場合によっては「抽象的でもある研究」に励むことを覚悟したものです。
最近も地元の神社で初対面の方と意気投合するように出逢いました。出逢ったというよりも「導かれた」ということが当てはまると思います。
助けを求めているから、あなたから導いてあげて欲しい、あなたは既に何人もの人たちを助けて来たからそれが出来るはずと天から言われたように思いました。
以前から私は皆さんが見えないものを見て、感じて来ました。
気配などがそうであるように、気配は霊的なことばかりではなく、迫る危機や予知能力とも深い関係にあります。
巨大地震の発生の「前兆(予知)」などがそうであるように、地震が発生するときには「地殻変動」から強力な「地場が発生」します。動物たちは地場の「波動(波)」を気配として感じるので逃避するために逃げ惑うのです。
これらの感覚は人には感じませんし、分かません。但し、私のように目に見えない力、気配を敏感に感じる私は、こうした「動物的感覚」の持ち主でもあります。
ですから予知として、何時もよりも揺れ方が違う、もしやと感じて「異常」だと分かるようになります。
また、霊的存在との遭遇や「念写」など、私が写真を写すと時として、不思議な写真が沢山写ります。これらは「心霊写真」と違い、メッセージ性の強い写真のです。
私に宛てに伝えたい事!分かって欲しいことなどを伝える手段として白いオーブが写ったり、守護霊が写ったりすることもあります。
普通では中々想像も理解も難しいと思われます。それは「人の感覚は見る(視覚)が優位で、外的情報の80%は見た目なのです」。
見たことがないものは信じ難い、あり得ないと否定的になるのがそれです。
私が希少な体験をしていると自負しています。そのことを今後の「感覚研究」に生かし、私に与えられた「特殊な能力を駆使」して皆さんには見えないもの、感じられないことの研究に今後励んで参ります。
センスプロデュース研究所、荒木行彦


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一期一会の出逢いは幸せなこと!

2019-03-29 00:00:30 | スピリチャル
「一期一会」の由来は「茶道」であり、元々は千利休の言葉
「一期一会」は茶道に由来しています。
その語源は「どの茶会でもその機会は二度と繰り返されることがなく、生涯に一度しかない出逢いであると心得て、主客ともに誠意を尽くすべきである」という心構えを説いた言葉です。
それが「一生に一度だけの機会」そのものを指す言葉として用いられるようになりました。元々は、千利休の言葉とされています。
千利休自身は自著を残していませんが弟子の山上宗二の「山上宗二記」に千利休が言ったとされる「一期に一度の会」と記されており、それが派生して「一期一会」となりました。
その「一期一会」にはもう二度と逢えないかも知れない人との出逢いを言っていた訳ではありません。
千利休が説いていたのは、もう一度同じ人と茶会をするとしても前回の茶会と今回の茶会は違うものでその一つと一つが「一期一会」であり大切にするといった意味でした。
ちなみに「一期」は仏教語であり、今で言う「一生」のことを指します。
その後、井伊直弼が「茶湯一会集」で茶道の一番の心得として「一期一会」だと用いたことから一般的にも使われるようになりました。

最近ではあまり「一期一会」という言葉を使わずに、人の出逢いのことを「運命的出逢い」だと多用する人が多いと思われます。
ましてや「宿命的出逢い」などの意味も由来も理解できない人たちは多いと思われます。
人が人と出逢い、繋がることは「運命でもあり、宿命的でもあるのです」。
ましてや一期一会のように「人生において、一度だけの機会」となれば尚更、貴重で重要な出逢いただと言えます。
ところが、こうした出逢い、繫がりを「感じる力」が鈍化してきています。折角の一期一会の出逢い、繫がりなのに分からずに居る。一隅のチャンスを逃している人たちも多いということです。
感じる力とは「感受性の能力」のことであり、観察力や洞察力も伴い、一期一会の二度とない機会なのかも知れないのに、それを理解できない!感じないとなれば、それは誠に残念で寂しいことにもなります。
一隅のチャンスなのかも知れません。また、一期一会に気付き、理解した人は幸運だとも思われます。そして「一喜一憂」することにもなるのです。一喜一憂の意味は「環境や状況の変化によって、喜んだり悲しんだりすることを意味する語。あるいは、些細な物事に振り回される様を意味する。
私は二度、一期一会の出逢い、繫がりを体験しました。その出逢いこそが「ソウル繫がり」からの関係で不思議な出逢い、繫がりをしました。
そのソウル繫がりは、普通では想像も出来ない、予測不可能なものでした。現に私から望んだり、願ったりなど一切ありません。それこそ「寝て居て、目覚めたら出逢っていたという感覚です。
この人生初の一期一会こそが、ただ愛し合うだけに出逢った訳ではなく、天から与えられた「天命を担い」その天命を果たすことで人助けとなり、人助け貢献のために一期一会したものだと分かるまでには数年の年月がかかりました。
こうした宿命的「一期一会」した私は幸せ者です。荒木行彦



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歴史の中の鳥と日本人の関わり合い~弥生時代!

2019-03-28 00:00:30 | 感覚
古代から日本人は自然を崇拝した生活をしてきており、それらが遺伝子的に日本人の精神性に受け継がれていった。鳥霊信仰もその自然崇拝からきた文化のひとつである。これは鳥を神の使いとみなしたり、死者の霊魂が鳥にのって冥界に自由に移動できると考え、また鳥そのものを神、霊魂そのものとして神聖視することをいう。これは同じ動物、自然現象を神とみなした古代エジプトでも似たような考え方が見出される。
古代エジプト文明では人間はバァ(魂)とカァ(精霊)とアク(身体)の三つから成っていると考えられていた。肉体は死んでも、霊魂のバァは来世に行くことができるが、カァとアクは現世に残ると信じられていた。バァは人の頭をもった鳥の姿でよく絵に描かれている。鳥のように飛んで肉体を離れ、墓の外へ出て行ったりしてカァのために供物を運ぶ役目であった(カァはミイラがなくては存在できないと考えられていた)。これはやはり日本のアニミズムと似ている部分を含んでおり、死者の魂が鳥の姿をして来世に旅立つと考えていたことを意味する。
「鹿と鳥の文化史」(平林章仁、白水社)にも、縄文時代の鳥霊信仰の存在については定かでない旨書かれているが、狩猟・採集時代である縄文時代の鳥霊信仰はあったのかどうかよくわからない。もっぱら弥生時代以降になって顕在化してくるのである。弥生時代の出土品の銅鐸に水鳥の絵が描かれていることや、鳥形木製品の出土(鳥竿:ちょうかん)、鳥形埴輪の出土、鳥装シャーマンが描かれた弥生土器の出土などから伺うことができる。
河の雁(かり)を死者に食事をささげる役とし、鷺(さぎ)を殯屋の掃除をするものとし、翡翠(かわせみ)食事をつくるものとし、雀は米をつく女とし、雉(きじ)を泣き女として、八日八晩の間、連日にぎやかに遊んで死者の霊を迎えようとした。

こうした鳥の扮装をして葬儀をしたことも、おそらく鳥が天の使者としての役目をもっていたことをうかがわせる。また敏達天皇が崩御したときの葬儀で蘇我馬子は誄(しのびごと:死者の生前の功徳をたたえて、その死を悲しむこと)を奉った。このとき、後に蘇我馬子に滅ぼされることになる物部守屋はその姿を「猟箭がつきたった雀鳥のようだ」といって雀のようなしぐさをあざ笑っている。次に物部守屋が身を震わせて誄を奉ると、馬子は「鈴をつければよく鳴るであろう」と笑ったと日本書紀に書かれている。
天皇の葬儀で蘇我馬子がしたような雀のしぐさが、さきの古事記にある天若日子の葬儀のそれと類似している。これは鳥の姿、仕草が当時では死者を弔うときの神聖な行為であると考えてよさそうである。鳥と日本人のかかわりホームページより、抜粋引用。
古代エジプトでは「死者の魂が鳥の姿をして来世に旅立つと考えていた」。現に古代エジプトの遺跡、石碑などに鳥やヘビなどの絵が描かれています。
私が子供の頃から「野鳥観察」をするようになったのは、恐竜好きで、鳥が恐竜の子孫だと分かったからでもありましたが、他にも「鳥は魂を運ぶ」と言われていた。伝説があることを知ったから野鳥が好きになったものです。
大人に成長してから、野鳥との関わり合いが私の感覚研究の一部となり、好きとか嫌いなどの次元を超越し、野鳥との関わり合いが使命となったように思えます。
現に、二十数年前から武蔵野市の小学校の特別講師(探鳥会講師)を担当しております。
他にも、ライトワーカー(光の仕事人)の役割を担い「あの世とこの世の架け橋役」を担い、此処数年で数人の芸能人の人たちを来世へと導き、見送りしております。また、野鳥の生死に関りも多く体験しています。
ですから、私も「死者の魂(ソウル)が鳥の姿をして来世に旅立つ」のだと信じているだけではなく、私の使命を果たすことに努めているのも、野鳥との関わり合いがあるからだと思います。
単なる「愛鳥」だけではなく、私には「特別な生き物」になっています。
五感プロデュース研究所、荒木行彦


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絆、繫がりの真意!

2019-03-26 00:00:30 | ツインソウル
絆の意味は、本来は、犬、馬、鷹などの家畜を通りかがりの立ち木に繋いでおくための網、しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていました。「ほだし」「ほだす」ともいう。
人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近のことである。
この絆は歌の歌詞や映画などの題名などにも使われる言葉です。
身近なところでは「親子の絆」「夫婦の絆」などです。他にも「絆の品」などにも引用されます。
人と人との「絆」の関係には、「心と心の繫がり」が深く関係しています。
運命的に出逢った人のことを「あの人とは赤い糸で結ばれていた」と表現するように「絆」も深いと思われます。
ところが、こうした運命的出逢いの外にも「宿命的出逢い」があります。
宿命の意味は{(宿)は「宿る」ではなく「前世からの」という意味で、前世から定まっている運命のこと}。
運命の「運」は「運ぶ」ではなく、「巡り合わせ」という意味で、人の意志に関係なく巡ってくる幸、不幸のことである。宿命は生まれる前から決まっているものなので、変えることの出来ないものです。
ところが、長いようで短い人生の間で「宿命的出逢い」をする人は極めて稀であると私は指摘しています。それは、運命的出逢いなのか?宿命的出逢いのどちらかが「判断しにくく、感じない」分からない人が多くおられるからです。

もしやこれが「運命的出逢いなのか?」普通とは違うからきっと運命的出逢いだと自覚する人もおられると思います。疑問に感じて、ネット検索してから当て嵌まるからきっと運命的出逢いだった!宿命的出逢いかもと確信するようになると思いますが、多くの場合は「擬き」だったり、確信出来ないで半信半疑ながらも疑いを持たずに「強い絆」を感じた場合に「宿命的出逢い」であると分かるようになります。
親子だから、夫婦だからと宿命的繫がりとは限りません。ましてや明確に定義などが無いために、多くの人たちは出逢っていたかも知れない相手だったかもと疑問に感じることは多々あります。
幸い私の場合は、明確に分かるほどの摩訶不思議な出逢い、繋がりから運命的出逢いと宿命的出逢いを体験し、学び、悟ってもおります。
10数年前の朝方の「正夢」から出逢い、繋がった方との関係から「宿命的出逢い」をしたものです。それもその日の同時刻に事故現場に立ち会うように一部始終を見守るように朦朧とする頭の中で見ていました。
その日にその方は事故死で亡くなられ、来世に旅立つ時に、私の魂の光でその方を来世に導き、見送って差し上げたものです。
後にその方からメッセージを貰い、「生まれ変わっても、あなたを選ぶわ!だって決まっていたんですもの・・・」とメッセージされてそれは驚きました。
私には身に覚えもなく、全く理解不可能だったからです。

運命的出逢いは既に結婚と言う形で出逢っていますから、分かりましたが、宿命的出逢いなど存在することすら理解も出来ませんでした。
リアルに体験し、前世から二人は関係があった。深い繋がりがあり「強い絆」で結ばれていたことが分かったものです。
また、7年前にも不思議な出逢い、繫がりをしました。それは魂の片割れ同士が出逢うツインソウル(双子の魂)の繫がりでした。
ツインソウルしたと同時に「霊的覚醒」に目覚めたように「超感覚が身に付き」、霊感やスピリチャル能力も高まり、体質の変化も起きました。第4チャクラ(ハートチャクラ)がオープンしたように活性化し、鋭くなりました。
同時に「思念を離れた人に届ける(テレパシー能力)も優れるようになり、思念伝達交換が出来るようになりました」。
こうした不思議な魂(ソウル繫がり)した相手が「宿命の人」だったものです。
多くの人たちが明白に宿命の人(相手)だと言えるのは極めて稀で、希少体験なのだと思われます。
私のように運命的出逢い、宿命的出逢い、繫がり「強い絆」の繫がり体験が豊富で、既に出逢えたことは誠に幸運で幸せなことであると思います。
宿命的出逢い、繋がりは「永遠」であると私から指摘し、提唱致します。
荒木行彦


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見えない力を信じて!!

2019-03-25 00:00:30 | スピリチャル
人の感覚は「視覚優位で、外的情報の80%は視覚から得ています」。それだけに人は見たことがない!体験したことがないことを「信じ難く、あり得ない」と否定的になります。また、時には怖がります。
私のように十数年前から不思議な魂の出逢い、繋がりから「目に見えない力」を誰よりも理解し、体験もしています。だからと、私の説明や解説には中々皆さんは耳を傾けようとはしません。
それは、未体験だったり、見たことがなければ分からない、理解できないのが正直なところです。
ですから私のことを「嘘を言っている。出鱈目を言うな」と罵倒したり、中傷されることも多々あります。
私は信じて貰いたいとか疑われてもそれは、個人の勝手であり「価値観の違い」などもありますから自由だと思います。
ですから私は「この世には科学では説明の出来ないこと、力が働いている」ことを提唱しているだけです。信じて貰う、疑われるなんて次元などとは超越したところで感覚研究に励んでいるものです。
現にこの十数年間で「目に見えない力」に支えられ、公私に渡り「幸運を齎して」くれました。
皆さんには信じて貰えないと思いますが、十数年前の朝方に事故現場に立ち会う様にリアルに「正夢」でその方の魂(ソウル)と出逢い、繋がりました。
繋がったのは「憑依」という形ではありましたが、その後の私の人生が180度変わるほどの出来事でした。
悪霊や禍を齎すものではなく、心身も至って普通で、以前より若返った気分です。なんとも不思議な感覚です。

目に見えない力は存在しています。目に見えないのだから「感じる」ものです。
気配として感じたり、時には脳裏に黄緑色に金色の光が脳裏に現れては、消えてを繰り返します。
黄緑色はその方のオーラの色で、金色の光は「魂の光」なのです。
そのことで「何時もあなたの傍にいます」とのメッセージが込められています。
時には「傍にいて見守っていると心配」になります。休んで下さいと私のことを労わってもくれています。また、沢山の愛も注がれています。
この十数年間、健康で頑張ってこれたのも、目に見えない力に支えられ、励まされ!時には応援歌のような歌で励ましてくれます。
元気で幸せでいられるのは「その方の存在」を常に感じて居られるからです。
目に見えないから、分からないなどの感覚などを超越した「超感覚」で気配として感じられます。

このよには目に見えないこと、不思議な現象や出来事は存在し、実際に体験している人たちは希薄でも科学的根拠では説明の出来ない力が働いて、その力によって幸せへと導かれることがあるのです。
逆に目に見えない力によって、悪霊に憑りつかれ!心身を支配された人も現実に知り合いの方が何人か「悪霊に憑依」されて悪事を働いた人もおられ、現に警察沙汰になった男性もおられます。
こうした悪霊に憑依される人の多くは「邪心の強い人」同じ、共通の邪心を持っていた浮遊して居る「低級霊」によって憑りつかれて同じ手口で悪事を働くことになるのです。
昨年に低級霊に憑依された男性は、江戸時代に遊郭などに足を運び、女遊びをしていた低級霊(浮遊霊)が知り合いの男性も「性欲と欲望の強い人」だったからその遊郭で遊んでいた、浮遊霊が憑りつく相手を探していのが、魂の光を探しあてて見つかり「悪霊が憑りついた」ものです。
それも知り合いの女性にセクハラ行為と性行為をしつこく求めるものでした。本来はあり得ないことであり、私が止めるように忠告しても、あなたの言うことは聞かない!私の勝手だろう!!続けると強い口調で断りました。本来、そんな人ではなかったので、強い口調と私を恐れているような感じでしたから、もしやと思い、そうしたら邪心の強い者同士が憑依相手として選ばれたようてす。私は直ぐに「不動明王御真言」と「般若心経」を唱え、除霊を試みて、静かになったことを感じたので、憑依された本人も本来のオヤジに戻ったはずです。
こうして、目に見えない力の存在は「幸、不幸」を齎すことにもなることをぜひ、皆さんに知って欲しいと思います。
センスプロデュース研究所、荒木行彦


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人体エネルギー!

2019-03-23 00:00:30 | 感覚
人体が発生するエネルギーは多義に渡っています。体温を上昇さ、維持させるのにエネルギーを消費し、身体を動かすために筋肉に神経伝達させるのにもエネルギーが必要です。
また、物事を考えたり、思考する。言葉を話すなども「脳神経細胞の伝達」に微電流を発生させるためにエネルギーが必要です。
脳だけでも一日で500cal前後のエネルギー消費します。
※細胞のエネルギー源!
人体の細胞は、糖、たんぱく質、脂質という三大栄養素を分解して、生命活動のためにエネルギーを調達する。酸素を使わずに分解しても、ある程度のエネルギーを生成するが、酸素を使って燃焼(細胞内呼吸)させると、大量のエネルギーを効率的に生み出すことが出来る。
効率的なエネルギー生成は、細胞内のミトコンドリアという小器官て行われ、取り出されたエネルギーは、ATP(アデノシン三リン酸)などの高エネルギー物質の形で、細胞内の必要な場所に運ばれて使われる。人体の細胞がエネルギー源としてもっともよく使う物質はブドウ糖であり、通常の三段階の過程を経て燃焼し、二酸化酸素と水を生成する。

人がエネルギーを発生させるときに「気の流れ」か生じます。
気とは「心の動き、状態、働きを総合して捉えたもの。精神」。
見えないとして身の周りに漂うと感じられるもの。
気は、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つ。一般的には「気」は不可視であり、流動的で運動し、作用を起こすとされている。
しかし、気は凝固して可視化な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。宇宙生成論や存在論でも論じられている。
この気は、普段から私たちが言葉に出して使っています。
「気が散る」「気難しい人」や気短、元気、気弱、強気、病気などがそうであるように、気が病むと「病気」になり、気が元に戻ると「元気」になるものです。
○放出されず循環する余波が「気」です。
不定型のエネルギーは経路のある方向に進むため、全ては放出されず、残りは血管や筋繊維に沿って体内に循環します。これが「気」の流れです。
このエネルギー、元は自分の意志なのですから、同じ意志でも制御することが出来ないはずはありません。それが「気を練る」という作業です。

○意志のエネルギーは最後まで意志!
練ることでより力強くなった意志のエネルギー。しかしその本質は意志です。だから腕に流せばより意志が通じやすくなる=コントロールの精度や出力が上がる。
脳に流せばより強い意志を生む。
こうした「気の流れ」はその人の感情や体調などにも敏感に反応し、変化する。
私はこの気の流れが人一倍強いこともあり、気で「霊気施術したり、癒す」ことが出来ます。
私が離れた人に氣を送るのは「念伝達(テレパシー)」で送るものです。
霊気として享けた人は、身体が温かく感じて、眠気が起きます。そのことで癒し効果が生まれるものてす。
7年前に魂の片割れ同士が出逢うツインソウル(双子の魂)の繋がりした方の手を握った時に!私の気の流れを感じ取り、驚かれました。
手を握った瞬間に「ブルーの光」のようなものが腕から身体に入って来たような感覚に陥ったと言われ、これはなんですかと言われたので「念」です。それも思い遣りの念を送りましたから受け取って下さいと告げました。
普通の人ではこんな現象は起きません。それは魂(ソウル繋がり)のある方だからこそ、こうした「気の交換」が可能な訳です。
人体のエネルギーを理解し、整えることは「健康にも繋がり」私のように癒しと大我の愛を送ることも出来る術であるということです。
荒木行彦


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カルマ「業」を理解する!

2019-03-22 20:52:30 | スピリチャル
本来の「業(ごう)・カルマ」という意味!
よくスピリチュアル用語で、カルマだとか業(ごう)などという言葉が出てきますが実際のところどういう意味なのでしょうか?
仏教聖典(お経)ではカルマ(karma)を業(ごう)と訳します。
ですから「業(ごう)」と「カルマ」は同じ意味です。
これらには、『結果を伴う行い・行為』という意味があり、現世だけではなく、未来へもどんどん引き継がれていきます。また仏教においてカルマは縁起という言葉を表すとも言われています。
業は、自分がしたことは自分へ戻ってくる【因果応報】【自業自得】等という言葉があるように、原因が必ずあって結果がそれに伴うという意味・思想があります。なので、自分のやった行為や思ったことが形となって結果として出てくるという考えです。
例えば、良い行いをしたら良い結果が出るでしょうし、悪いことをしたら悪い結果をもたらすでしょう。このように原因と結果が過去からずっと繋がりながら現在の自分の姿を作っているという考え方が本来の『業』『カルマ』の意味となります。

業・カルマの考えは、インドの古い時代から!
業・カルマの考え方は実はインドの古い時代から重要視されていました。考え方としては輪廻転生的な考え方ですが、良いことをしたら次に生まれ変わった時は良い人生になるし、悪いことをしたら次の生まれ変わりは罰が下るという考え方でした。正のカルマと負のカルマの考え方です。
このようにずっとずっと昔から業・カルマという考え方はあったのです。その考えが、今現在まで続いているという事は、すごい事だと思いませんか?
悪いイメージになりつつある業。

カルマの意味!
本来の『業(ごう)・カルマ』の意味はお分かりいただけたと思いますが、今日、スピリチュアルの世界でよく使われている『カルマ』に関しての意味が、実は少しずつ変化してきております。
今日、スピリチュアルの世界では、「カルマ(本来は結果という意味)=過去から現在まで行ってきたことに対するあなたの宿命」という考えが一般的になりつつあります。
カルマとはもともと、『結果を伴う行い』という意味であったと先にお話しいたしましたが、一部の霊感商法などの世界で、『現在の苦しみは、過去の行いが悪かったから・・』などと宿命的表現で脅しをかけたり、オカルト的な怪しげなイメージを持つような使われ方をしてしまっているので『カルマ』とか『業』などという言葉を聞くだけで「怖い」「怪しい」と思う方が増えてしまっています。
業・カルマは、行為・結果という意味があると先に書きました。結果とは、もうやってしまった過去のことですよね。過去にやってしまったことをすでに悩んでも仕方がありません。悩むというより、そこから学ばなければなりません。
大切なのは、「結果が出ました、では次にどうして行ったらよいか?」という行為の部分を考えることです。
今までやってきたこと、そこから導かれた結果をありのまま受け入れ、自分の中に住む悪の部分を認識した時に人は自分のカルマ(過去にやってきた行い)を解消できるといいます。
カルマを正しく理解することで、カルマは、宿命ではなく、怖いものでもなく、学びによって、自らの力で解消できるものだとわかるでしょう。
カルマホームページより引用、紹介。

私がこのカルマを理解出来たのは、十数年前のソウル繫がりをしてからです。人が亡くなると身体は滅びても「魂」は残ること、そして、来世に辿り着いた魂(ソウル)は「天からの厳しい(業)」を受けないといけないことをリアルに、来世にいる女性と繋がったことで教えて貰ったものです。最初は半信半疑でしたが、生前の行いや来世での厳しい業を逃れて逃げ惑うと「魂は成仏されずに彷徨う」ようになると辛く、苦しい思いをし続けること。
この世に「未練や執着」を強く持つと、その土地や建物に未練、執着を持った「低級霊」となったのが「地縛霊」となります。
また、自分が想いを果たせなかった想いが強いと「果たすために、関わり合いのある人」、霊感の強い人や憑依体質などの人を探して憑りつこうとする「浮遊霊」なども低級霊となります。
私は「ライトワーカー」(光の仕事人)としての天命を担い、その天命を果たすためにソウル繫がりした方も私に手伝ってくれています。
私の天命は「この世とあの世の橋渡し」なのです。
五感プロデュース研究所、荒木行彦


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念力に優れる!!

2019-03-16 00:00:30 | スピリチャル
念力(ねんりき)とは、超能力の一つで、意思の力だけで物体を動かす能力のこと。念動力(ねんどうりょく)、観念動力(かんねんどうりょく)とも言う。また、英語名の略称を使い、TK(telekinesis、テレキネシスの略)、PK(psychokinesis、サイコキネシスの略)と呼ぶこともある。
テレキネシスとサイコキネシスは、対象物の動かし方によって区別されることがある。テレキネシスは、tele テレ + kinesis キネーシスという構造の語で、英語に直訳すると"distant-movement"などになり、離れて運動を起こす、という意味の表現である。サイコキネシスのほうは psycho + kinesis なので "mind-movement" の意で、心(念)で運動を起こす、という意味の表現である。自分を対象として自身が宙に浮く舞空術も、テレキネシスに含まれるとされる。

また、念力という言葉は、本来の意味を離れて「物体を動かす」という以外の「何かを心のままに操作する」という意味で使われることも多い。
日本では、ユリ・ゲラーのスプーン曲げでよく知られるようになったが、それ以前は、SFで知られた概念だった。
人間の自由意志を肯定することは、念力の実在を肯定することであるとされる。
なぜなら、自由意志の肯定とは「意思(非物質)によって、身体(物質)を動かすことが可能である」という考えであるところ、これは念力の「意思(非物質)によって、物体(物質)を動かす力」を肯定することと同義だからというものである。
現代においては意思そのものや意思によって体を動かすことも物理現象(電流や神経伝達物質の移動など)によって引き起こされる現象であることが分かってきており、自由意志で電流や神経伝達物質、更には分子や原子、量子の領域にまで意思の力が及ぶと言えるかもしれない。Wikipediaより抜粋引用。

私の念力「超感覚」は念じる力が特に人並み外れた能力があると自負しております。特に離れた人に念を伝える「テレパシー(思念伝達)」は、地球の裏にいる人に届くほどです。
また、手から遠赤外線のような「温かな波動」を発生させることも出来ます。これらは「レイキ」を施術できるものです。
このレイキも、離れた人に届ける(送る)ことは、本人確認のために写真があれば、スマホの画面に手を翳して念じれば届きます。受け取った人には、直ぐに身体が温かく感じ、凝りや痛みのある人には「ピリピリ」と感じたりします。後に眠気が起きて、ぐっすりと眠れて癒されます。

それは生きた人だけでは、亡くなった「霊魂」たちにも通じるものです。
スピリチャル能力が高い私には、皆さんには見えない霊魂の存在が見えたりします。
但し、私たちに関わり合いや「思念の強弱」によっても、個人差のように違いがあります。洋服の姿のまま、容姿のはっきりと分かる人や黒い人陰などが通り過ぎたりして現れるというように見えます。
黒い人陰として現れる思念体(幽霊)は亡くなってから年月の経ったもので、洋服などの姿で現れるのは「臨死状態時」つまり、身体から魂が抜けた状態の時に、分からないから!分かる人(私)を探し出し、関わり合いを探って私のところに聞きに訪れる(現れる)なども何例もあります。
また、逆に私のところに現れて、聞きにくるのは彷徨たり、苦しい想いを楽になりたいと願って訪れるものです。ですから悟らせて、彷徨ことがないように!来世に導く、見送るものです。これらは全て私の「念じる力(念力)」の成せる業です。業と言うよりも私に与えられた「天命」でもあります。
今後とも与えられた天命を果たすために念力に磨きをかけて、使命を果たすべく努めたいと思います。
荒木行彦


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邪心が強い人が多すぎる!!

2019-03-15 00:00:30 | 感情
邪心の意味は「悪いことを考える心のこと」妙な気、下心、出来心、変な気、邪心、悪気、変な気、邪悪な心、よこしまな心、考えなどです。
最近のニュースにおいて、毎日のように殺人事件、若い女性の性的暴行など、他にも我が子への虐待など。全て「邪心の強い表れ」です。
特に目立って毎日のようにニュースに流れているのが、婦女暴行行為です。
以前から「最低で!卑劣」だと警鐘を鳴らしています。
芸能人、政治家、本日(28日)は若手医師二人が、20代の女性に睡眠薬をお酒に入れて飲ませ、一人で歩けないところを自分の部屋に連れ込んで「性的暴行」を行ったと、病院名もテレビニュースでは出ていました。裏入学の医学附属病院でもあります。何かとトラブルの多い病院でもあります。だからとこうした卑劣な行為は許せるものではありません。
昨年には、私の知り合いが、それも知り合いの女性に「セクハラ、ストーカーまがりの行為」を続けていました。私からの警告には耳も貸さず、結局、地元の警察に相談しました。知り合いの方からの警察の相談があったもので、直ぐに警護して下さることにはなりましたが、こうした「自身の欲望、特に(性欲)」を満たしたいがために、猥褻な言動だけではなく、行為に及ぶというのは犯罪だけではなく、卑劣で最低な人です。
昔は、刑務所の中でも「婦女暴行」で逮捕された人は、刑務所内でも卑劣な奴で最低な男だと虐められたというほどです。
こうした犯罪が多発している背景には、自身の邪心を抑えることが出来ない、欲望や願望などを果たすために「卑劣なことや女性のことを女性と思わず、道具のように扱う」など。

思い遣りも優しさなど微塵もありません。自身の欲望(性欲)をコントロールできない。欲望を満たしたいがために、あの手、この手で女性を口説いたり、知り合った女性にお酒に薬を入れたりして、意識朦朧としたところを何人者の人で婦女暴行(レイプ)する。医師見習いかも知れないが、二人の男性が20代の女性に知り合ったばかりなのにこうした卑劣な犯罪は許せません。
せっかく、医師になり、活躍してもらい、何人者の人たちを助ける。命を救う仕事に就いて欲しいのに、結局、刑務所に送られ、病院は首になり、犯罪者として前科も付きます。その前科が婦女暴行なら「最低な奴」としてレッテルを張られ、人生20代半ばで終わったと同じです。
女性を女性として扱わない、愛の欠片もない人たちです。
人を真に愛せない人たちなのだと思います。私が以前から「愛を糺す」と題して、マスコミ等に警鐘を鳴らしながら「人を真心」で愛することを提唱し続けているものです。
我が子への愛も欠如しています。人を愛せない人が多すぎます。
人を愛することは、欲望を満たすためでも、束縛したり、セックスが目的ではないということを知らずに、思い遣りも優しさも微塵もありません。
だから、欲望を満たすことに夢中になるから犯罪を起こすのだと思います。
無理矢理に行為に至っても、後のことを考えない、後悔も反省もしないと思われます。ただ「快感だった」ことしか考えていないようです。
お互い愛し合い、求め合う。これらが行為に至った時に「愛を確認し合える」ことに成るのです。
そして「自分より大切な人が居ればそれが(愛)」ですと、愛の意味も分からない、人を愛せない人が多過ぎるのは「邪心が強すぎる」人が多過ぎるからだと思います。
五感プロデュース研究所、荒木行彦




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導く力!

2019-03-14 00:00:30 | スピリチャル
導くとは、 道案内をする。案内して目的の所に連れていく。「車を迂回路に―・く」「客を席に―・く」。
正しい方向に手引きをする。指導する。「生徒を―・く」「神に―・かれる」。
物事がそうなるように働きかける。事柄をある方向へ動かす。「状況を有利に―・く」。
答えや結論を引き出す。「結論を―・く」「解決方法を―・く」。
男女の間を仲介する。手引きをする。
「よに忘れず恋しくのみおぼえさせ給へるに、仏―・き給へるにこそありけれ」〈落窪・二〉。
私がこの導く力!導く人になれたのには、きっかけがあります。十数年前に事故死した人を来世に導いて上げたことです。
私には意味も分からずに居ました!私にはそんな能力や力なんてあり得ない!ある訳がないと思っていました。
ソウル繋がりをした方から『全てが始まり、終わりを迎え あなたが私にくれたもの それは愛でした 私は愛されて旅たったのだと今は分かるわ! 光に導いてくれたのはあなた どおかあなたらしく生き抜いて いつかまた逢える日を夢みてここにいる』とメッセージされました。

中々、一般的には理解して頂けない現実ですが、私には導く力があるようです。
他にも幼稚園の顧問や武蔵野市の教育委員会の特別メンバーから小学校の子供たちに、自然環境と生物の関わり、命の尊さなどの指導も教育の導きです。
こうして長年、大勢の子供たちに関わっているのは『子供たちを護る』活動でもあります。

また、近年はソウル繋がりした方が元芸能人だったこともあり、関り合いのある芸能人が臨死状態時に、身体から魂が抜けた時などに私のところに聞きに現れたりします。それは『思念体』、世間で言われる幽霊が私のところに黒い人陰として現れたり、時に洋服のまま、姿もはっきり分かるほど見えます。
そんな人は、自身が何故?亡くなったのか?今いる場所から抜け出したい!家に帰りたいと言われることもありますが、自身があまりに急に亡くなったので何がなんだか分からないから教えて欲しいと頼まれますから、悟らせて来世へとお導きしています。昨年から今年にかけては数人以上の方を導き、見送りしました。
こうした、目に見えない人だけではありません。私のツイン相手、ツインソウル(双子の魂)の繋がりをした相手にも、無意識でしたが幸せへと導きしていたようです。
先日、ツイン相手が『家を出ると道に紫の光が!ガラスに反射しているのかなと探したけど、そうではないみたい!
何を伝えたがっているのでしょうか?何を導こうとしているのでしょうか?と綴っておりました。

前日に東京タワーの夜景を撮影しに行き、一階にある『天照皇大神』が祀られておりました。ツイン相手の健康と幸せをお祈りしました。
だから翌日に、道路に現れた謎の紫の光は、私のオーラが紫色です。紫色にマゼンダと混じったオーラです。まさしく、公開していた写真に写っている紫の二本の光の紫色は、私のオーラの紫と同じです。
つまり、私の思念が幸せでいて欲しいと伝え!幸せへと導いて上げるからとのメッセージだったと思います。私は写真を見た時に直ぐ分かりました。但し、ツイン相手は私からのメッセージだと気付いてくれたかはどうかは定かではありません。
それでも私は大我の愛で見守り、幸せへと導き致します。
荒木行彦、


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鎌倉、鶴岡八幡宮と覚園寺!

2019-03-13 00:00:30 | 癒し(セラピー)
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれる。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では関東界隈で知名度が高く、近年では三大八幡宮の一社に入ることがある。境内は国の史跡に指定されている。
康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。永保元年(1081年)2月には河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復を加えた。
治承4年(1180年)10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、12日に宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった。建久2年(1191年)に、社殿の焼失を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。承元2年(1208年)には神宮寺が創建される。
源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、源義家が勧請した経緯もあり、武家の崇敬を集めた。鎌倉幕府衰退後は、25の僧坊の数も減少し、一時衰退する。戦国時代には里見氏により焼き討ちにあうも(鶴岡八幡宮の戦い)、北条氏綱が再建を果たす。江戸時代に入ると江戸幕府の庇護を受け大規模化が進み、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂等を建築し、徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられた。また境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在した。

江戸幕府崩壊後、慶応4年(1868年)3月13日に「神主を兼帯していた僧侶に対して還俗する旨の通達」が明治政府から出され、また明治3年(1870年)に大教宣布[5]がなされると、鶴岡八幡宮においてもいわゆる廃仏毀釈の動きが始まった。同年中に多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されるか散佚した。ただし一部は現存し、鎌倉寿福寺、浅草寺、普門院[要曖昧さ回避]、五島美術館、東京国立博物館に保管されている。鶴岡八幡宮の場合、これらは神主に改名した十二院の社僧が中心となって行った。また、一部残存していた仏堂も、その後の火事で焼失したが、外国人観光客等が撮影した写真が残されている。
明治の近代社格制度では県社に列し、1882年に国幣中社に昇格。戦後は神社本庁の別表神社に列している。近年は全国一の宮会に加盟しており、相模国の一宮と扱われることもある(ただし歴史的には一宮は寒川神社とされる)。

覚園寺(かくおんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある真言宗泉涌寺派の仏教寺院である。山号を鷲峰山(じゅぶせん)と称する。本尊は薬師三尊、開基は北条貞時、開山は智海心慧(ちかいしんえ)である。鎌倉幕府執権北条家歴代の尊崇を集めた寺院である。相模国と武蔵国を結ぶ金沢街道から北に入った谷戸の奥に位置し、境内および周辺は自然環境が良好に保全され、都市化が進む以前の鎌倉の面影を最もよく残す寺の1つといわれている。境内は国の史跡に指定されている。
『吾妻鏡』及び現在の『覚園寺縁起』によれば、鎌倉幕府2代執権北条義時が建立した大倉薬師堂が覚園寺の起源とされる。建保6年(1218年)、薬師如来の眷属である十二神将のうちの「戌神」(伐折羅大将)が北条義時の夢に現れたことが薬師堂建立の端緒であったという。その後9代執権北条貞時の時代に正式の寺院となった。
毎年、この時期、鶴岡八幡宮の梅の花が奇麗で撮影しに来ています。私の好きな鎌倉のお寺、鶴岡八幡宮、長谷寺そして、覚園寺には、鎌倉の数多いお寺の中でも「愛染明王」が三か所あります。その一か所がこの覚園寺です。
昨年の夢枕に愛染明王から「愛に来て欲しい」と言われ、夢の記憶を辿りながら、鎌倉にある。覚園寺、鶴岡八幡宮から徒歩15程にある。民家の細い道沿いに奥まったところに小さなお寺があります。地元でも知る人ぞ知る。緑豊かなお寺で、私たちの落ち着く場所です。
愛染明王に挨拶し、私の大切な方の幸せを祈らせて頂いております。
本日、8日(金)は振替休日を取り、のんびりと鎌倉散歩しております。荒木行彦


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こぶ-げきれい【鼓舞激励】意味!

2019-03-12 00:00:30 | スピリチャル
大いに励まし奮い立たせること。励まし元気づけること。「鼓舞」は鼓つづみを打って舞う意。転じて、励まし勢いづけること。「激励」も励まし奮い立たせること。
私がこの『こぶ-げきれい【鼓舞激励】を知ったのは、十数年前にソウル繋がりした方から、心配され、励まされたことにあります。
仕事で疲れて帰宅すれば『休んでください!心配します』とメッセージを頂いたりします。
また、7年前に魂の片割れ同士が出逢うツインソウルの繋がりをした翌年に決別をし、落ち込み、辛い思いをしていたら!『私がいるじゃない!行彦さん元気出して』とエールを贈られました。
私が悩み、苦しんでいることを常に私の傍に居て!見守ってくれています。
だから、誰よりの私の日々の暮らし、行動を共にしているからだと思います。
この十数年、どれだけ救われ、心配もされ、励まされたか分かりません!
だから、私自身が頑張ってこれたものです。

昨年の夏には夏休みが1日もなく、働きづめでした。猛暑が続き、流石に夜が眠れなかったりして、夏バテ気味でした。また、6年ぶりに再会したツイン相手から無視され、挨拶もなく他人扱いに流石に落胆し、怒りすら感じる態度に、これで終わったと思ったほどです。
落胆し、精神的に困憊した私を見兼ねて、行彦さん大丈夫⁉️無理に元気出さなくてよいから休んでください!何時も私が傍にいるから、あなたを癒して上げるからと励ましのメッセージをもらった時は、嬉しさのあまり泣いてしまいました。
私が辛い思いや落ち込んでいると、心配し、愛で見守ってくれている方の存在がおられるから、悲しんだり、落ち込んでなんかいられません。私が悲しめば、一緒に悲しんでくれる!
だから、その方を悲しい思いなんかさせられません。
また、無理をして頑張らなくなりました。今年は夏休みもしっかり取り、休みます。リフレッシュに心掛けます。
昨年の夏のような出来事は嫌なので、ツイン相手との顔合わせもしません。運命は女神や大天使たちに委ねることにしましたから、とても楽になりました。
無理に再会しようとすると昨年の繰り返しは二度と嫌です。
公私に渡り、今年は昨年と違い、心身的に余裕のある年になりそうです。
現に、残業が少ないのに、収入もアップしています。
何か私にあれば「負けないでを歌って励ましてくれます」。本当に有難いことです。
こうして、私が倒れずに頑張れる!精神的に豊かに居られるのは、全ては【鼓舞激励】のお蔭です。
荒木行彦、


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アロマに癒される!

2019-03-11 00:00:30 | 感覚
アロマテラピー植物(花や木)から採取する精油を用いて、心身の健康や美容を増進する施術。アロマセラピーという言葉は、フランスの科学者ルネ・モーリス・ガットフォセによる造語で「アロマ」は芳香、「テラピー」は療法を意味するフランス語です。アロマ「芳香、香り、香気」という意味です。
私がアロマやアロマオイル、ハーブなどの興味を持ち、拘るようになったのには切っ掛けがあります。
それは、十数年前に不思議な正夢から出逢い、繋がった方がアロマや花々が好きで、特に「ラベンダー」などの香りに心が時めくと言われたことが切っ掛けです。
それまでは、アロマなんて女性が嗜好するもので、男性には無縁だと思っていた一人です。
ところが、アロマオイル(ラベンダー)を購入し、香りを嗅いでいる内に「癒されて、心地よく」なり、リラックスできるようになりました。

後に、アロマやハーブなどをネットで調べて勉強している内に「アロマテラピー」を知ったものです。
現在ではガラス瓶のスプレーに、精製水と無水エタノールを混ぜて、そこに「ペパーミント」や「ラベンダー」のアロマオイルを数滴混ぜて、スポーツ時にはシューズの除菌や臭い臭い消しに使用したり、蒸し暑い夏場、部屋にアロマフェーザーを使用して、爽やかな香り、ペパーミントを香らせています。
また、外出時は、スーツの上着のポケットに「ポケットチーフ」を入れていますが、その時に小さく四角形にした厚紙にアロマオイルを染み込ませます。
香りは空気より軽いので、下から上に上がります。
香水と違い揮発性が遅いので、一日中香っています。但し、大量にしようすると咽るようなきつい香りにならないように二滴ほどにしています。
こうして、中年オヤジが体臭も臭くなければ、電車内でも隣に居た女性に好意的に思われているようです。

男性と違い、女性は嗅覚が鋭いので、自分がつけていない香水の香りをパートナーの上着やコートに香水の臭いを嗅ぎ分け、浮気を疑う訳です。
これらは「男女の五感の差異」と呼ばれているものです。
男性は「視覚と触覚」に優れています。女性は「嗅覚と味覚」に優れています。
では、何故?香り刺激が「セラピー(療法)」になるのか、よいのかと言うと「香り刺激が脳にダイレクトに伝わる」からです。
良い香りや臭い香りも人の脳の刺激には大切なものです。香り刺激により、脳に直接に伝わることで「脳血流が活発化」します。つまり「脳神経伝達」が活発にになることで「気分の高揚」などに繋がるからセラピーに効果があるということです。

また、香り刺激だけではなく、心地よい音楽と一緒にアロマの香りに癒されると「相乗効果」からストレス解消、リラックスすることで「血圧低下、気分の高揚から精神の安定」などに繋がるものです。
十数年前に出逢った幸子さんは、生前に「来年の夏も」という曲、歌詞に「ラベンダーの香りりに心ときめく 昨日よりもっと愛おしい」と歌詞を綴っています。
自身もアロマオイルを自宅で使用していて、中でもラベンダーの香りが好みでした。疲れて帰って来た時などや歌詞を綴っていた時などにアロマの香りに癒されて、こうした歌詞が生まれたものです。
てすから、私には「ラベンダーの花、香りが特別なものとなり、絆にも思えてきます」。
他にも、幸子さんは「赤い花が好きで、中でも(赤いバラ)には特別な想い」もあります。
以前に、赤い花が好きです。赤いバラが特に好きです。だから、見に行きたい!連れて行って欲しいとメッセージされてから、各地のバラ園や植物園に行くと必ず「ハーブ園」に立ち寄り、ラベンダーの花の香りを嗅ぎます。写真にも撮影しています。
また、ぺパミントの花の香りを嗅ぐと不思議と「ミント神話」を思い出し、ツインソウル相手とダブるので「切なく、とても愛おしく感じ」ます。
こうして、私たちには単なる「アロマ、ハーブ」ではないのです。ラベンダーの香りを嗅ぐたびに思い出し、ペパーミントの香りを嗅ぐたびに切なさと愛おしさを感じてしまうほど繋がりがあるものです。
荒木行彦


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憑りつき(憑依)を正しく理解する!

2019-03-09 00:00:30 | スピリチャル
憑依とき、人の生霊・死霊,動物霊などが人間の体内に入ることによって,その人が精神的,肉体的に影響を受ける現象をいう。その底には,霊は肉体から自由に出入りできるとする信仰がある。また人に乗移った霊を憑物 (つきもの) という。このような憑霊信仰は,シャーマンや霊媒の憑依のような統制的なものと,憑かれた霊によって人が病気や異常な精神状態を起すような非統制的なものに分れる。前者が正常な望ましい憑霊であるのに対して,後者は概して異常な病的現象とされ,治療されるべき対象となる。また憑霊には,一時的に他の霊が乗移るという「憑き」の現象と,遺伝的,伝染的に家系に伝わるという「持ち」の現象とがある。日本では「持ち」の家は狐の持ち,犬神筋などと呼ばれ,他から縁組を嫌われ,差別も受けることになるので,憑物筋俗信の根強い地方では,社会的葛藤を呼起すことが多かった (→犬神 , 狐憑 ) 。乗移るとされる動物霊は,狸、狐、蛇、猫、猿、犬,河童などがあげられる。憑物は祈祷師などが落してくれると信じられており,憑かれた者はうわごとを言ったり,奇妙な行動をとるなどの異常を起すが,また身体的病気でも憑物のせいにされることがある。憑依現象は世界中に広くみられ,インドネシアではトラやワニに憑かれるとされる。

私が憑依体験をしたのは、2007年の5月の朝方の「正夢」から出逢った方からの魂と繋がることで、目覚めてから眩暈と身体が重くてだるい感覚があり、事故当日のケガの状態の痛みをシンクロニシティしたように感じました。
後頭部と左足の踝の辺りを複雑骨折したような痛みを感じました。
その後は、憑依された方の「趣味嗜好を受け継いだ」ように変わりました。
甘い飲み物や甘いスイーツなどを好んで食べるようになったり、写真撮影に拘るようになり、本格的なデジタルカメラを購入し、花々や野鳥などを撮影するようになったのも、ソウル繫がりしてからです。
また、FBで知り合った30代後半の女性とお逢いした後に、私に荒々しい口調で「この世を糺すから、手伝って欲しい」と突然に言われました。何を言っているのか意味が分からずに彼女に問い合わせたら、この世は乱れているから、糺さなければならない!そのためには「あなたの力、協力」が必要だと、口調も内容も彼女らしくなく、男性的な表現に怪しいと想い、断ったら「お主を見損なった!意気地なし」と罵倒されました。
何かおかしいと感じた私は、スピリチャル能力の高い方に相談したら「江戸時代の武将」が彼女に憑りついている。憑依されたようだと、早く除霊しないと彼女の心身がボロボロになるからと言われ、除霊をお願いしました。
所謂「狐の憑りつき」だと!名字に纏わる。ご先祖か関わり合いのある人が憑依相手に憑りつき「自分の想い(思念)を果たす」ために彼女に憑りついたようです。
武将ですから、戦いで大勢の人を殺害し、成仏出来ないでいる「霊魂」が彷徨っていたところに、邪心を持っていた彼女のことを探し出し憑依したと思われます。
最近も、昨年頃から私の知り合いの作曲家の男性が知り合いの演奏家の女性にセクハラ行為やストーカー行為、卑猥な言動から演奏家の女性の人たちが怖がり迷惑していました。
異常に性欲や欲望が強く感じ、私から止めるようにと忠告したら「あなたの指示には従わない、止めない!」私の勝手だろうと開き直り、私が知っているその方とは違い、何か「急変したように性格が狂暴」になったことを感じました。
おかしいなと想い、警察にも相談しましたが「警告」だけで終わっています。
普通であれば、警察沙汰になれば、余程でなければ「再犯」までには行きませんが、彼は再犯し続けています。
どうやら「欲情の強い、(色情霊)」から憑依された可能性があるのではと思っています。
昨年の秋頃から急変したようにアクションを起こし、知り合いの方々に電話やメールなどで迫っていました。一人の女性だけではなく、数人の女性となると普通ではありません。周りからも「彼は異常者」だ!精神的に異常だと口にしていました。

では、何故?憑依されやすいかについて説明したいと思います。
誰もが簡単に「霊的存在から憑依を享ける」訳ではありません。つまり、霊魂と現世の人との間に「思念の合致」のようなことで憑依相手を探していた時に「丁度、周波数があった」ように見つかり、憑依するのではと私の予測ではありますが仮説を立てています。
今回の作曲家の男性も「邪心(色情)が強かった」。普段から機会があれば女性としたかったなどと思っていたらそれが「邪心」となり、浮遊していた「色情霊」が「この人」だと憑依相手を見つけるように作曲の男性に憑りついたのだと考えています。
憑依する霊魂の多くは、こうした「果たされぬ想い(思念)」を抱えた霊魂たちです。ですから、憑依を享けた人には「悪霊」として憑りつきます。
想い(思念)を果たしたいので、強引で時には狂暴となり、言動も荒々しくなります。目が座ったようになったり、ギラギラするような視線などになったりします。
悪霊の憑りつきには共通ではないと思いますが「命令口調」になり、人の忠告などを聞かない、存ぜぬと言う態度を取るようになるのが憑依を享けた人たちの特徴のようなものです。
何が何でも目的を果たす。だから警察などの警告を受けても止めないで再犯し、しつこく未だに迫っている訳です。
こうして、憑依にも様々な要因や原因などもあります。憑依を享けやすいと人とそうでない差は「個人差」のようなもので、比較的霊感などの強い人と邪心が強い人には、共通の「思念」が一致した「シンクロニシティ」するように共感し合った霊魂から憑依を享けると私は考えています。
ですから、私たちも自分は大丈夫だ!と多角を括っていると、突然に凶変し、自分が自分でなくなるのです。また、普段から良からぬ考え(邪心)など強く思っている人も注意が必要だということを私から提唱致します。
五感プロデュース研究所、荒木行彦


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ミント(ハーブ)の神話!

2019-03-08 00:00:30 | スピリチャル
私はハーブのミント(ペパーミント)が好きで、夏はミントのアイスクリームやアロマオイルのペパーミントを精製水と無水エタノールをガラス瓶のスプレーにアロマのペパーミントを数滴入れます。そして、スポーツシューズの臭い消しや消毒に活用しています。
また、夏場に部屋にスプレーすると虫よけの効果もあります。
このペパーミントには、悲しい神話があることをあまり皆さんはあまりご存知ありません。
では、此処でミントに関する神話をご紹介します。
メンテーあるいはミンタは、ギリシア神話に登場するコキュート川のニュームペーである。長母音を省略してメンテ、ミンタとも表記される。

※神話!
数少ないハーデースの浮気相手、冥王ハーデースはコキュート川のニュンペー、メンテの美しさに魅了されてしまい、それに気付き嫉妬に狂ったぺルセポネーは「お前はどくだらない雑草なってしまえ」とメンテーを踏みつけて恐ろしい呪いをかけ、メンテーは草に変えられてしまった。以来この草は「ミント」と呼ばれ、ミントはハーデースの傍、神殿の庭で、愛らしい存在感を保ったまま咲き誇り続けた。
地上でも今も陽光を浴びる度に芳香を放ち、人々に自分の居場所を知らせるのだという。
もしくは、地上を見回っていた冥府の王ハーデースに目を付けられ、攫われようとしていた。しかし自らも攫われ妻となったぺルセポネーがそれに気付き、彼女を一時的に香りのよい小さな草に変えて茂みに隠し、ハーデースの目から隠してやったとも言われている。
尚、ぺルセポネーは単にメンテーを雑草に変えただけで、芳香を放つミントへと変えたのは彼女を憐れんだハデスだていう説もある。

私がこのミント神話を知る前から「ペパーミントの香り」に惹きつけられ、愛用するようになったのは、実は十数年前にソウル繋がりをしてからでした。
それまでは体育会系の私が、女性的なアロマの香りや種類など、興味もなければ無縁でした。
ところが、不思議なことに「私の趣味嗜好が変わった」ように女性的になりました。特にラベンダーの香りには『心地よく、癒される』感覚になり、心ときめくほど感じます。
ラベンダーのアロマオイルやペパーミントのアロマオイルなどを購入し、愛用するようになりました。
何故だか?不思議とペパーミントの爽やかな香りに、癒されるのではなく「切なさや愛おしさ」を感じるようになり、ネットで調べたら「ミント神話」に出逢ったものです。
まさしく、私が7年前に魂の片割れ同士が出逢うツインソウル(双子の魂)の出逢い、繋がりを体験しました。
この出逢いこそ「ハーデースとメンテーの出逢い」に似ています。他者からは「浮気」だと思われ、突き放されてしまいました。
裁きを享けたように離ればれになっても、メンテーのように芳香を放つのではなく、変わりに「美しいメロディーを奏でています」。
だからこそ、私はハーブ園などで「ペパーミントの香りに癒され、心ときめく」のは、メンテーならぬ、ツイン相手のことを思い出してしまうから切なくもあり、愛おしく感じるものです。
荒木行彦


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