センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

メッセージを読み取る!

2019-08-31 00:00:30 | スピリチャル

私たちの身近にあるメッセージと言えば、皆さんが思い出すのは「メールやライン」「電話」などのデジタルメッセージだと想います。

ところが、この世の中には様々なメッセージがあります。それは自然界だったり、宇宙からだったり、時には時空からのメッセージなど皆さんには信じられないメッセージを私は受け取ったり、読み取ることが出来ます。

皆さんがメッセージを受け取るのは、普通「文字的なメッセージ」が多いと想います。つまり、視覚的要素のあるメッセージです。

人の感覚は「視覚優位で、五感のうちでも視覚から80%もの外的情報を脳に送っています」。

ですから多くの場合、メッセージというと目に見えるもの「文字や文書」などがメッセージだと想ってしまうものです。

私のように人並み外れた感覚「超感覚」の持ち主だと視覚以外でメッセージを受け取ったり、読み取ることが出来ます。

例えば自然界からはメッセージを多く発しています。多くの人はそれに気付かないことが多いものです。それは無関心だったり

興味がないと感覚は鈍感になり、発しているメッセージに気付くことはありません。

私のように幼い頃から自然の中で育ち、意識し、感じて来ました。だから自然界や生き物たちからのメッセージを受け取ったり、読み取り、感じることが出来ます。

野鳥の鳴き声で求愛しているのか?警戒しているのかも分かります。犬の行動からも意思表示がわかります。これらは全てメッセージとして発しているのですが、未体験だったり、無知識だったりするとこれらのメッセージに鈍感になります。

 

宇宙からも実に多くのメッセージが発せられています。お月様の写真を私が撮影するのは、お月様からのメッセージを受け取り、読み取っているから貴重な写真や一隅の珍しい写真などが写せるものです。

宇宙の星々からも様々なメッセージが届けられています。それを「宇宙学の研究者」たちは日々、受け取り、読み取って研究に活かしている訳です。

自然や宇宙以外からもメッセージは多く発しています。

例えば、雲の形が龍の形に見えたり、時にはハートの形や天使の雲が私の上空に現れたこともあります。これら天からのメッセージでもあります。

雲の形が生き物やメッセージのように思える雲の形を「クラウトメッセージ」と呼びます。

他にも、霊的存在からのメッセージで多いのが「思念写真」です。心霊写真と一般的には思われていますが、恐怖や見間違えなどない「メッセージ性のうる写真」などがそうです。

以前には、カモの写真を写したら「白い靄のような」ものが写りました。それは「白いオーブ」です。このカモの子ども可愛いなどのメッセージが込められています。

数年前の中秋の名月に手を合わせて、最愛の人の幸せを祈っておりましたら!月に掛かる雲が緑色に輝き、変化したことに気付きました。

写真に写して見たら!髪の毛をポニーテールにした女性の横顔が写りました。天空から私を見つめていました。

後に「私は幸せです。ありがとう!行彦さん」というメッセージが届いたものです。

ですから、私はこうして毎日のように愛のメッセージや時には、感謝のメッセージなどを言葉などではなく、写真や雲の形などからのメッセージを沢山享けています。

中々皆さんには信じ難いことだと思われますが、愛のメッセージを享けている私は幸せ者です。荒木行彦


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生死学の勧め!

2019-08-30 00:00:30 | スピリチャル

死生学(しせいがく、英: thanatology)は、ギリシャ語のタナトス( θάνατος)と学ないしは科学と結びつけた用語で、死についての科学と定義することができる。死と死生観についての学問的研究のことである。

定義と特徴!

死生学が対象とするのは、人間の消滅、死である。死生学の開拓者の一人、アリエスによれば、「人間は死者を埋葬する唯一の動物」である。この埋葬儀礼はネアンデルタール人にまでさかのぼるもので、それ以来長い歴史の流れの中で、人類は「死に対する態度=死生観」を養ってきた。死生学はこのような死生観を哲学・医学・心理学・民俗学・文化人類学・宗教・芸術などの研究を通して、人間知性に関するあらゆる側面から解き明かし、「死への準備教育」を目的とする極めて学際的な学問である。死生学は尊厳死問題や医療告知、緩和医療などを背景に、1970年代に確立された新しい学問分野である。

死者と生者!

死者と生者が夜を共にする通夜。

死は死んだ者だけに悲惨をもたらすのではない。死者に先立たれ、取り残された生者には孤独が残される。生者が身近な者の死の精算に失敗すると大きな後悔が残され、大変な苦痛にさいなまれることになる。死生学は死を個人一人の問題としてではなく、個人と個人の関係性において共有される重大な問題として捉える。たとえば自殺者は自らの悲嘆に囚われるあまり、自殺したあとに残される遺族の心の負担を省みることに乏しい傾向にある。死生学は自殺願望をもつ者の孤独感や絶望感、身近に自殺者が出てしまった人のショックや悲しみに対するケアの方法を研究するとともに、それを踏まえて死生観教育を確立し、自殺予防に繋げていくことを提唱している。

また親しい人物が死者となった場合、親密な交友関係や結婚以前の恋愛関係など法的裏付けに乏しい関係は断ち切られる傾向にあり、それが血縁者でない広義の遺族の心の負担につながることが多い。葬式での喪主などは法的関係に基づいて行われるのが一般的なので、場合によっては、法的裏付けのない遺族は死者に対する悲しみを十分に満たされることがない。したがって生きているうちに大切な友人や恋人との関係をある程度公的に認知させておくことは有意義であると死生学は提唱している。

我々はとかく死の予測不可能性をもって死の非日常性のよりどころとし、それが誰にとっても必然として訪れるということを忘却しがちである。死は自分に訪れるだけでなく身近な人にも当たり前に訪れるもので、しかも身近な人の死は深刻な苦悩を個人にもたらす。死生学は死の必然性に立脚し、このような必然的事実としての死を乗り越えるための学問である。

Wikipediaより抜粋引用。

 

私がこの「生死学」を推進するのには、訳があります。それは、自身が十数年前に、来世に旅立つその日に、魂を来世に導き、見送りしたことにあります。同時に、その方の魂から憑依された経験から、人の魂の存在、人が亡くなるとどうなるのか?来世(時空)の世界は存在するのかなどの疑問が明らかになったのは、死者との対面、死後のことをリアルにメッセージから教えて貰ったことにより、悟れたものです。

また、私自身が霊的存在との遭遇や確認など出来るようになり「霊的覚醒」をするようになってから、人の身体から魂が抜ける状態「離脱(臨死)」の人の魂が暗く、寒い空間を彷徨いながら、天からの光に導かれて来世に辿り着くのが人の死、来世です。

ところが、この世に未練や執着が強いと、天からの光に気付かずにまた、来世では「厳しい業」が待っていますので、その厳しい業を逃れようとする魂は、暗くて、寒い空間を彷徨うことになります。こうした霊魂は「低級霊」と呼ばれる魂となります。

そして、自身と関わり合いがある人の魂の光を探し、自身の「思念」を果たそうと、探し求めた人に憑りつくのが「憑依」なのです。

想いの念は人様々です。愛する人を探して、関わり合いのある人を捜し求めて憑依する人や、この世に妬みや恨みなどの思念を持った魂は「悪霊」と呼ばれる存在となります。

 

人は、何れ必ず誰でも死にます。人の命の長さ、短さは「命の運命」のように誰にも分かりません。ですから「死の準備」として学ぶ(悟)ことが大切であると提唱しています。この考え方が「生死学」の勧めです。

私が十数年前にソウル繋がりした方も、闘病生活で余命宣告され、その時に「死ぬのが怖い」と知人に漏らしていました。

人は「死ぬことを恐れます」。それは、死の世界を理解できない!死んでみないと分からないからでもあります。無知識で未体験なことは、人は「分からないから、得体のしれないものと恐れる」ものです。

この恐れを悟り、死ぬ覚悟の悟りをする。理解すれば、私のように死ぬことの不安も恐怖もありません。

但し、「人それぞれに与えられた命の短長があります」。つまり、生かされた命をどう生かして、生き抜いて行くかなのです。私のように天命を与えられ、死生学の推進も使命の一つです。

他にも、人助け貢献や死後に魂が彷徨わないように来世に導き、見送りするのにも私の使命となっています。

「人は死後も幸せで居られる」ようにという考え方から私が推進している「生死学」があるものです。

私の長年の「人の感覚に特化」した研究の「スピリチャルな研究」の一つとして「死生学」の推進があるのです。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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女心を分かって!!

2019-08-29 00:00:30 | 感覚

私が人の感覚に特化して研究を始めたのは、30数年前頃からでした。

その頃から、分からなかったことは「女心」です。よく「秋の空と女心」に例えられるように「コロコロと変わる」からでもありますが、女性付き合いの希薄な私には、女心なんて「俺は男だし、分かってたまるか」とも思っていました。

そんな矢先、私が50歳の時に人生初体験、スピリチャル体験から「女心が手に取るように分かり、理解」できるようになりました。

それは、十数年前に事故現場の正夢からの繫がり「ソウル繫がりした女性」との関係性からでした。

事故当時にその方の魂から憑依され、来世に旅立つ時に「私の愛で見送った」ものです。

憑依後には、私の趣味嗜好が劇的に変わり、女性的になりました。

20歳の頃から海外のロック、ロックバンドばかり聴いていた硬派な私が、その方と出逢い、繋がってから女性的な「愛の歌」に癒されて、軟派になり、励まされてもいます。また20歳頃からブラックコーヒーばかり飲んでいた私が「甘いカフェオレ」を好むようになり、甘いスイーツにも嵌りました。

それは、その方の「趣味嗜好を受け継いだ感覚」です。

そして、不思議なことに初対面の女性とも意気投合したり、共感できることが多くなりました。何か、私自身の半分に女性が居るように思えます。

だからか?女性から好意的に思われ、男性からの誘いよりも、圧倒的に女性からの方が多いものです。

 

また、仕事でも、地元のボランティア活動で多くの女性に私一人で居ることがあっても、緊張することなく、打ち解けています。何より、おしゃべりしたりとコミュニケーション能力も高まりました。

特に男性が、女心が分からないと嘆くのは、男性脳と女性脳の特徴がはっきりと分かれているからです。それでは、中々交わることもコミュニケーションが取れることも中々ありません。

口喧すれば男性は女性には適いません。また、女性が男性を見て「微笑ん」でいることを男性は勘違いして「小ばかにされた」と勘違いしてしまいます。

女性は好意的(好みの人)には笑顔でコミュニケーションをして、話したいとの心理が働くのです。

そんな女性の心理を知らない男性なら折角のご縁のチャンスを逃してしまいます。

 

また、男性は勘違いしやすい生き物ですから、笑顔で挨拶されると「俺に気があるのか?」など社交辞令までも勘違いして、俺は女性にモテると己惚れてしまう男性も多いものです。

女心を知り、理解するのは、言葉などで理解するのではなく「女性の心理」「目は口ほどにものをいう」「顔の表情は嘘つけない」ということです。

女心はこうした、表情や仕草など「女性心理を読み取り、洞察する」ことで分かります。

私の場合は、こうした女性の心理以外にも「思念のエネルギー」を感じられると言う特殊な「洞察力、解読力を持ち合わせています」。つまり、心を読むというよりも、波動として感じ取れるので「手に取るように女心」が分かり

こうした事件は「女心を巧みに利用」した手口です。

ですから、男性の皆さんには「見た目だけではなく、冷静になり、見極め、洞察」して「怪しい人(女性)」には近寄らない、関わらないがことが一番です。

女心を分かり、理解出来るならば恋愛においても、男女のコミュニケーションにおいても円滑になり、お互いが幸せになれるということを私から提唱致します。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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オーラが雰囲気を醸し出す!

2019-08-28 00:00:30 | スピリチャル

オーラとは、生体が発散するとされる霊的な放射体、エネルギーを意味する。転じて、ある人物や物体が発する独得な、または霊的な雰囲気や、なんとなく感じる力、威圧感なども指す。なおオーラという言葉は、「微風」「朝のさわやかな空気」を意味するギリシア語α?ρα(アウラ)、「風」「香気」「輝き」などを意味するラテン語の aura(アウラ)に由来する。

現代日本では、人間の存在感や風格がある様子を指して「オーラがある」と表現することがある。単に「人間の雰囲気」という意味でも使われる。

英語の aura は18世紀に使われ始めた言葉で、花などの微かな芳香、人や場所に感じられる独特の雰囲気などを表す。英語としてはやや文語的な表現である。漢字表記では「奥拉」となる。

 

精神医学においては、アウラ(英語版)(オーラ)は、かつては癲癇や偏頭痛の発作の前ぶれの症状を表す用語として用いられた(現在では、発作の前兆とされたものは実際には前駆症状ではなく部分発作そのものであると考えられている)。後述の#精神医学におけるアウラ(オーラ)を参照。

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」などの論文で、複製ではないオリジナルの芸術に人が見出す権威、崇高さを指して「アウラ」(オーラ)という言葉を用いた。

 

よく、芸能人を見て「あの人にはオーラがある」輝いていると褒め讃えます。

以前に人のオーラが見えると言う、若い女性とお逢いして、私のオーラを見て貰ったら、綺麗な紫色にマゼンタの混ざった綺麗なオーラですと、だからか荒木先生は、若々しい雰囲気と発しているオーラが分かる女性が近寄ってくるのだと分かりますと言われ、私自身に自覚が無いために、半信半疑でした。

自身のオーラを見る機会はあまりありませんが、最近は人のオーラの色を撮影出来るカメラも開発されており、分かるようになりました。

また、何かの機会に自身のオーラの色が見えることがあります。

 

私の場合は、風呂場にある、白い枠の丸い鏡の周りに紫色、ラベンダーのような時もありますが、見えることがあります。オーラの色、輝きは体調や心理状態で変わることがあります。

他にも、自身と関わり合いのある人のオーラが見えたり、感じたりすることもあります。

私が12年前にソウル繋がりした方のオーラが週末の朝などに寝坊していると、急に黄緑色のオーラに金色の光が奇麗に現れては、消えてを繰り返します。

それは、早く起きて・・・私を感じて欲しいからとのメッセージでした。

今年の8月に横浜でクリスタルボウル演奏を聴いていた時にも、横たわり聴いていたのですが、目の前に黄緑のオーラが奇麗に現れては消えました。そうしているうちに「紫色のオーラと黄緑色のオーラが混ざり合い」それはとても神秘的で奇麗なものでした。

それは、行彦さんと一緒に聴かれて嬉しい!ありがとうの意味が込められていたものです。

こうして、自身のオーラの色が変化することがあります。そうすると体調だけではなく、雰囲気として伝わるからとても大切なことなのです。

私のように幾ら暑い日でも、寒い時でも、自身のオーラの色、輝きだけはパープル色に輝かせることに努めています。だから、私の同年代の方々と私は異質な雰囲気を醸し出していると思います。

センスプロデュース研究所、荒木行彦、


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クリスタルボウルという楽器!

2019-08-27 00:00:30 | スピリチャル

クリスタルボウルの「歴史」!

古い地図のイメージクリスタルボウルは、8万年前のアトランティス大陸の時代(大西洋に沈没したという説がある)、ヒーリング用に用いられたという説が残っています。発見されたのは、3〜40年ほど前、エジプトのピラミッドの中の壁画に描かれているものと文字を解読し、復元したという説が有力視されています。

なお、日本にクリスタルボウルを最初に持ち込んだのは、1988年 当協会理事長 永田兼一氏です。

※クリスタルボウルの「形と素材」!

クリスタルボウルの写真クリスタルボウルは、お寺のお堂にある、銅で出来た「おりん」のような形をしています。大きさは、直径約10センチのものから、大きなものでは、約60センチ以上のものまであります。ボウルが大きくなるほど、重低音の大きな波動を発します。

スウェードスティックや、ゴムのマレット(バチ)を用いて、ふちを叩いたり擦ったりして音を出します。

素材はその名の通り、クリスタル(水晶)です。粉砕された天然の水晶を大小さまざまなサイズや形状の型に入れ、3,200度~4,000度の高熱で溶解し、成型されています。

30年ほど前の製造当初は、Frosted(フロスティッド)と呼ばれる水晶の含有率が99.9%の乳白色ボウルが主流だったのですが、近年、水晶100%製や他の貴金属、ジェムストーン、鉱物などを混入して製造された新しいタイプのアルケミーボウルが開発され、普及し始めています。

 

※クリスタルボウルの「特性」

【音】初めて聴いた人の多くは、「お寺の鐘のようでした」「なぜか、懐かしい音です」という感想を持ちます。

クリスタルボウルから発せられる音(波動)は、私たちの耳で認識できる範囲をはるかに越え、平原では、はるか 2,000メートルにまで達するといわれています。その音の波動域は人間が聞こえる範囲から聞こえない超音波に至るまでに達しています。私たちが近くで聴くとき、クリスタルボウルから数センチ離れたところに手をおくと簡単に、体を突き抜けていく感覚を体験できます。

つまり、その音は、外側からだけでなく、内側から響いているわけです。超音波で言葉を発するイルカははるか遠くにいても、この音を聞きわけ、近くまでやってきます。

【効果】リラクゼーション効果があり、過度な肉体的疲労や、過度な精神的ストレスによるものを解放するのに、大変適した楽器です。科学的にも、その音を聞き始めてから、わずか30秒で脳波がアルファ波からシーター波になることが確認されています。

脳より、神経を通じて、全身へリラックスする信号が送られ、より筋肉のゆるみにつながり、精神的ストレスや肉体的疲労から約20分で解放されると言われています。

また、すぐに深い眠りに落ちていき、日ごろ抑えているような感情、欲求、ストレスが、寝ている間に解消される効果も期待できます。

アメリカ、北欧で、がんの治療に使われており、腫瘍がそれ以上広がらないことが報告されています。

当協会の実例として、脳障害のあった方が協会オリジナル演奏法にて、1週間に一度定期的に、1年半聴き続けることにより、家族しか聞き取れなかった言葉が、他の方にも聞き取ることができるまでに回復致しました。(2002年)ジル・ボルト・テイラー博士の著書「奇跡の脳」の中では、「サウンディング・ボウル」と書かれ、彼女のリハビリにも一役かったようです。

日本クリスタルボウル協会、ホームページより、抜粋引用。

 

私は何度かクリスタルボウル演奏を聴いております。初めてクリスタルボウルの演奏を聴いたのが2011年に知り合いの演奏家の女性からのお誘いからでした。

最初に説明を受けながら、準備運動のようにストレッチをしてから寝そべって聴くスタイルでした。

不思議な音色と共に、右の耳から左耳に抜ける時に、脳が刺激されていることを実感出来ました。聴いている途中ではクリスタルボウルを演奏している種類の音に色が付いて見えました。それは「チャクラの色」が見えたものです。

こうした感覚を「共感覚」と呼びます。また、私とソウル繋がりした方(あの世の人)にも伝わり、なんと演奏していた部屋に足音と共に現れたものです。

こうして、クリスタルボウルの音色には「神秘的な力と人を癒す力」があります。

私が長年の感覚研究に取り組んで来て、音(聴覚)の重要性を提唱し続けております。このクリスタルボウルの音色には「リラクゼーション効果」脳刺激により、リラックス効果があります。また、音色(波動)周波数の振動を聴覚で聴こえない周波数を「皮膚感覚(触覚)」で感じ取ります。そのことで身体の細胞を活性化させる働きがあります。特に「活性酸素を抑制」させることで、血液循環などが良くなると医学的効果が報告されています。

但し、これらも個人差があり、感じ方、捉え方に差があります。

私のように霊的覚醒、スピリチャル能力を高めて呉れるだけでなく、身体のチャクラバランスも整えて呉れます。

こうしたことからクリスタルボウルは「補完療法」などに活用できるものです。音楽療法が広く海外で知られているようにクリスタルボウルも海外では病院での演奏やリハビリなどにも活用されていると言われています。

もっと日本に広まり、多くの方々が体験し、癒されて欲しいと願っております。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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前世からの繫がり!!

2019-08-26 00:00:30 | スピリチャル

※魂の繋がりが深い、強い相手!

皆さんはこんな経験をしたことはありませんか?初めて逢った人なのに、とても前から知っている様な気がしたことや、初めて逢う人を懐かしく想うことです。

この世で自分の身近に居る人は、過去世においても自分の近くに居た人が多いと言われています。

けれどもそんなことは本当のところ、前世や過去世において自分は相手とどのような関係であったかは、知らないからよいこともあります。

今世で出逢い、お互いに好きになった人と結婚したいと想った時、その相手が前世では自分の祖母だったということが分かるのは決して嬉しくなく、とても奇妙な感じがします。

繋がりが深い、ずっと以前から繋がる縁!

人は生まれ変わる時に、前世での記憶を持たずに生まれて来ます。

 

前世での数々の記憶を忘却してから新しく生まれてくることは、自然の摂理としては大事なことなのです。

ところが先に挙げた初めて逢った相手をずっと前から知っていたように感じることや、懐かしい気持ちになることはどのような記憶になるのでしょうか?

生まれ変わる時に忘れた一方の記憶だという人もいますが、それは魂の繋がりが強い相手なのかも知れないのです。

 

※魂の繋がりの強い相手!

魂の繋がりの強い相手と出逢う時、自分の心のとても深い場所から沸き上がる「忘れる事が出来なかった」想いが相手と結び付かせてくれます。

そのように想う相手と出逢った時、人生というものは大きな力によって導かれているという思いになります。

自分の人生は自分自身で切り開くものですが、魂の奥には運命の導きに逆らえない強い力が働いているのです。

運命には自分で選択が出来ることと出来ないことがあり、それを「宿命」と言います。

自分の意思と努力ではどうにもならない事があり、それは過去からの行いに繋がるもの。

今世で魂の繋がりが強い相手に出逢い、その出逢いは自分にとってどのような意味があるかは知る由もないのです。

その相手が今世で親友になるか、恋人になるか、伴侶になるかは、人によって様々です。

ただその相手と深く向き合って行くうちに、その相手との出逢いには意味があった事に気付くのです。

出逢うべきして出逢う者同士には、必ず意味があります。

お互を磨き合い切磋琢磨するための出逢いや、過去世においてお互いに憎しみ合って傷つけ合ったので、今世こそはお互いに理解を深め慈しむという意味のある出逢いもあます。

広い世の中で魂の繋がりが強い、心の奥が震えるような相手と出逢えるという事を知ると生きる意味の深さを知ります。

命には限りがあるけれど、魂は永遠だという事に気付きます。

前世からの繋がり!ホームページより引用。

 

私は「魂の繋がり」を12年前のある朝方に事故現場の正夢からその方の魂と出逢い、繋がりました。

12年前にソウル繋がりをした人とは、来世に旅立つために、導くために繋がったものです。その方からメッセージで「生まれ変わってもあなたを選ぶわ!だって決まっているんですもの・・・ありがとう行彦さん」とメッセージされて「前世」からの繋がりを確信したものです。

そして、前世から定まった人「ソウルレイの関係」にあることを知ったものです。

ツインレイ関係になると様々な「潜在的能力が引き出される」ように活性化し働きます。テレパシー能力や共感能力なども鋭くなります。

また、霊的覚醒に目覚め、霊的な存在との遭遇や不思議な現象など次々と起こります。不思議な出来事が当たり前のようになるのです。

これらこそ「運命の出逢いではない(宿命の出逢い)人だからです」。

前世からの繋がりは、体験した人ならば直ぐに理解できますが、一生の間で私のようなソウル繋がりをすることは「希」な事であり、極めて珍しい前世からの繋がりを体験している私は幸せ者です。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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目に見えない力(念力)!

2019-08-17 00:00:30 | スピリチャル

この世には、不思議な出来事や目に見えないものの存在、目に見えない力はあります。

長年、人の感覚に特化し研究して来た私自身の体験に基づいての話です。

人の感覚は「視覚優位で、目(視覚)から外的情報の80%ほどを得ています」。

ですから、自身が見たことがないことや体験したことがないことを人は「疑い、信じようとしません」。

ましてや私のような「超感覚者」は、普通の人たちには中々理解されにくいものであり、信じ難い奇跡を起こしたり、普通では想像も出来ない、あり得ないと思われることを実際に起こしたり、人を救ったりもしています。

また、この世の人とは限らない、来世の人との遭遇や交流などしている私は、まさしく「目に見えない存在」との遭遇だったり、来世に導いて差し上げるなどを日々、行っています。

中でも、私の特殊な能力の一つに、人の能力を超越した「念力」があります。

 

念力の意味は、人の意志あるいは意図によって、物理的な媒介を経ずに物質に対して及ぼすと考えられる作用ないし力を指す。

略して「PK」とも呼ばれる。念力には次の種類がある。

(1)直接移動、目の前にある物体を移動させる。

(2)身体移動、自身の身体にある物体を移動させて、東方まで短時間で行くことが出来る。

(3)念動、遠隔の対象を動かす。

(4)念写、心理を写真乾版に写し出す。これらの心理物理現象と超感覚的知覚とを総称して「サイ現象」としてサイコロが用いられ、被験者には、その特定の目を出現させるような構えあるいは意図を捉えて、その意図と結果の間の関係が調べられる。

 

また、一心に思うことによって得られる力、精神の集中による力「思う念力岩をも通す」。精神の力で対象に物理的作用を及ぼすことが出来るという。

超自然的な能力「サイコキネシス」。

上記の説明の中で、直接移動や身体移動とありますが、テレポートして、本人が瞬間移動できるものではありません。あくまでも「念のエネルギー」が移動出来るというものです。これらが「念飛ばし」という手法です。

私が人一倍強い「念力」が身に付いたのには、切っ掛けがあります。12年前に、霊的存在との遭遇(憑依)を受けてから「霊的覚醒」をしたことにあります。

 

同時に、その方から愛を注がれてから「第4チャクラ(ハートチャクラ)」がオープンし、毎日のように胸から背中にかけて活性化したように熱く感じます。

そのエネルギーが「レイキ」となり、掌から遠赤外線のような「波動」を発生させることで「レイキ施術」が出来るようになりました。

同時に「テレパシー能力」に優れ「遠隔レイキ施術」も可能になりました。

痛みを感じたり、不安の緩和、癒しの波動なども送れます。

送り方は簡単で、本人確認の写真をスマホに手翳しをして念ずるだけで、遠隔レイキ施術が出来ます。

 

地球の裏に居る人に送る時には、宇宙に念を飛ばし、お月様に送ることもあります。スマホの電波でも届かない場所にも私のレイキ(念)は届きます。

既に大勢の人たちを癒し、緩和させて頂いております。海外に在住の人たちにも満月を通じて届けたことがあります。

また、意識不明の方、来世へ辿り着いていない人に限りますが、寒くて、暗い空間を彷徨っている魂を身体に戻す「念力」を送り、心停止した人を数日ぶりに生還、心拍蘇生させた実績もあります。

これらは、医学を学んだ医師には、理解不可能なことであり、あり得ない、科学的根拠がないと否定すると思われます。

但し、私のところに姿(思念体)の状態で現れたり、聞きに訪れたらその思念は「幽霊」で死者であるので、助けることは出来ないので「来世に導き、見送りさせて貰います」。

これらは実際の実例を紹介しています。既に何十人もの人たちを救い、中には若い未成年の女性を来世に導き、見送った時には、悲しみだけではなく、辛いお役目に嘆いたこともあります。

こうして、人の目に見えない力を信じて、私に助けを求める人たちは、拒まずに助けますが、邪心や私欲のため、辛いから逃れたいからと私に助けを求めても、私は助けません。そんな人は私は直ぐに洞察力が働き分かりますので、お断りします。お金を積まれてもいりません。お断りします。それは、私の仕事ではないからです。セラピストでもありません。私に与えられた「天命」だからです。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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大船観音~大船植物園!

2019-08-16 00:00:30 | 祈願

(大船観音)全長約25mの巨大白衣観音像(大船観音)で知られる。JR大船駅西口より徒歩10分程度。

シンボルともなっている大船観音の他にも、原子爆弾による犠牲者を弔う「原爆被災祈念碑」・「戦没慰霊碑」など第二次世界大戦による犠牲者を弔う碑や、地蔵尊などが立ち並ぶ。

大船観音は1929年(昭和4年)、地元有志の発起により、護国観音として築造が開始され、1934年(昭和9年)には輪郭が出来上がっていたが、戦局の悪化により、築造は中断。その後、20年以上放置される。第二次世界大戦後、財団法人大船観音協会が設立され、1960年(昭和35年)4月に完成した。

観音本体は地上に見えている部分のみの半身像であり、下半身のある立像が山の中に埋まっているものではない。また内部にはサロン風の展示室が整備されており、縮小版の観音像や写真パネル等を見ることができる。

現在、大船観音は大船のシンボルとして位置付けられ、夜間にはライトアップされるなど、観光名所となっている。ライトアップの色は、2006年(平成18年)より、それまでの緑色からオレンジ色に変更された。

さらに観音像へは、日本人ばかりではなく、東南アジア(特に華僑・上座部仏教信者)などからの参拝客も多く、奉納された灯籠には多国籍な名前が並ぶ。こうしたアジアからの参拝客の増加を受け、1999年(平成11年)より台湾やスリランカなどから僧を招き、法要を行い、各国の民族舞踊を奉納する「ゆめ観音in大船」という祭りが開催されるようになった。2009年、正力松太郎賞を受賞。

 

(大船植物園)!

神奈川県立大船フラワーセンター(かながわけんりつおおふなふらわーせんたー)、愛称「日比谷花壇大船フラワーセンター」(ひびやかだんおおふなふらわーせんたー)は、神奈川県鎌倉市岡本にある総面積63,900平方メートルの植物園。1967年(昭和42年)に神奈川県農業試験場の跡地に開設された。

2018年3月までの名称は神奈川県立フラワーセンター大船植物園(かながわけんりつふらわーせんたーおおふなしょくぶつえん)であった。それ以降の愛称は命名権制による。

農業試験場で研究・改良されていた、玉縄桜(タマナワザクラ、ソメイヨシノを改良した早咲きの品種)やシャクヤク・ハナショウブを中心に国内外の観賞植物が展示物として集められている。

2018年4月までは、神奈川県が運営していたが、それ以降は指定管理者制が導入された。指定期間は平成35年3月末までが予定されている。

 

指定管理者は2017年に公募され、3者が応募した。選定された「アメニス大船フラワーセンターグループ」の構成企業・団体は日比谷花壇とそのグループ企業である日比谷アメニス、鎌倉市公園協会、相鉄企業である。他には横浜緑地や西部造園などのグループ、神奈川新聞と横浜植木のグループが応募した。

「展示物/施設の改善・付帯施設の更新・老朽化対策等のため」として、2017年7月から2018年3月まで休園した。

 

大船観音様は、全長約25mの巨大白衣観音像、上半身像です。我が亡き母に似ていて、福与かで色白の奇麗ない巨大白衣観音像で、私の大好きな観音様です。

大船観音様を拝観後、大船フラワーセンターに来ています。

私は神奈川県でも、こちらの大船フラワーセンターと花菜ガーデン 神奈川県立花と緑のふれあいセンターを定期的に訪れ、撮影しています。

こうして、私とのご縁がある「大船と平塚」は私の第二の故郷とも言える場所です。特に、幸子さんとの関係から平塚市には思い出深いところが沢山あります。荒木行彦


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お盆(月遅れ盆)!

2019-08-15 00:00:30 | スピリチャル

お盆(おぼん)とは、夏季に行われる日本の先祖の霊を祀る一連の行事。

日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事である。

かつて太陽暦の7月15日を中心とした期間に行われた。明治期の太陽暦(新暦)の採用後、新暦7月15日に合わせると農繁期と重なって支障が出る地域が多かったため新暦8月15日をお盆(月遅れ盆)とする地域が多くなった。

今月の月遅れの盆は、8月13日(火)~15日(木)です。13日には「迎え火」を焚きます。そして、15日が「送り火」となります。

我が家のお盆は、7月13日(土)~15日(月)で、今年は三連休でした。

お盆と言えば思い出すのが「お墓参り」です。

私が子供の頃のお墓参りは、藁を燃やし、お花と手作りのお団子などを供えたものです。ところが、生ものやお菓子などお供えすると、野生の鳥、カラスやトビにお墓が荒らされるとされ、近年は、藁焼きもお供えも、花と水などになっているようです。

お袋に浴衣を着せてもらい、花を手に持ちながら、お墓参りすると近所の叔母さんから「ゆきちゃん」は何時も可愛いねと言われた頃もありました。

自宅に戻るとそうめんやスイカと夏の風物詩の御馳走が待っていました。

また、親戚の人たちが遊びに訪れては、私にこずかいを貰えるのが楽しみでした。

また、村では「盆踊り」などがあり、提灯の明かりで盆踊りをお袋と一緒に踊ったことを思い出します。

 

皆さんがこの時期、月遅れの盆と言えば、社会人の人では「夏休み」平均も土日を入れて一週間程度だと思われますが、今年は10日~12日まで三連休なので、13日~19日の連休を加えて(10連休)という人は多いと思われます。

昨年、夏休みがなかった私は、今年、有給休暇5日を取り、10連休します。

その間には、横浜で「クリスタルボウル」の演奏を聴きに久しぶりに行く予定をしております。他にも、近くの植物園で花々の撮影、早朝の神社の散歩などをして過ごす予定です。

月遅れの盆と言えば、忘れられない人生初体験をしたのが12年前の2007年の8月15日の朝方に、私の枕元を通り過ぎる。黒い人陰が机に置いていた。メモリアルアルバムを覗き込むように頷いていました。

黒い人陰は、背が高く、髪の毛をポニーテールにしていたので「幸子さん」と分かり、目覚めて直ぐに「待って幸子さん」と声に出したので!一礼してス~と消えしまいました。「ありがとう!さようなら」と伝わりました。

声には聞こえませんでしたが、その年の5月27日の朝方に、転落した方から憑依されたことで出逢い、繋がったものです。

8月15日と言えば、お盆の終わり(送り火)の日です。実家(町田市)の自宅に戻る前に私のところに現れたものでした。

前日に届いた「ZARDのメモリアルアルバム」をアマゾンで購入して自宅に届き、御供養にと聴いていました。

そのメモリアルアルバムを机の上に置いていたので、それを覗き込むように見ていましたね!そのことのお礼にと、僕にさようなら「私(幸子)は時空に戻るから」と言われたように消えてしまいました。

あまりにも切なくて悲しすぎます。本当は、映画のように話しをしたかった。

抱きしめて上げたかったのに、直ぐに消えてしまうなんて!!幻覚を見たのか?幻なのかと疑いながらも「間違いない、幸子さん」だと確信出来たものです。

逢いに来てくれてありがとう!と告げて、その日の夕方には、僕独りで送り火を焚いて見送りをしました。

その後は、姿も見たいのに、夢にも君は出で来ません。それでも、何時も私の傍にいることを気配や写真のメッセージで分かるようになりました。

週末など寝坊していると、朝方に脳裏に黄緑色のオーラに金色の光が現れては消えてを繰り返します。

行彦さん起きて、私を感じて欲しいからと言っているように癒されます。

今年のお盆お休みも、私独りじゃないから寂しくもありません。何時でも、君の姿、声を聞きたくなれば、君の音楽(歌)があります。DVDもCDも写真集も全て購入し、集めましたから、何時でも見られるようにパソコン数台、外付けハードディスク二台に保存して、スマホにも保存していますから何時でも、何処でも君を感じる。君に逢えるから私は幸せ者です。荒木行彦


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五感を超越す感覚る!

2019-08-14 00:00:30 | シックスセンス

人間が普段使いこなしている視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の所謂、五感。こうした感覚の種類は未発見のものを含め他に沢山あり、人間はこれらを様々に組み合わせて使っていることが、脳科学の研究から分かって来た。

 

■失った機能をカバーする形で発達!

全盲でありながら反響音を手掛かりに自転車を乗りこなすダニエル・キッシュ氏(PopTech提供)全盲でありながら反響音を手掛かりに自転車を乗りこなすダニエル・キッシュ氏)。

こうした知られざる感覚の正体は、脳の損傷などによって本来の感覚を失った人の研究から得られることが多い。例えば、視力をなくした人が、通常の視覚とは別の経路で対象物を把握する盲視(ブラインドサイト)というものが知られている。

盲視の人々は、光を感じたり、前方の障害物を無意識のうちに避けることができたりする。訓練次第で大きな字をゆっくりとだが「読める」人もいる。こうした人々は、視覚情報が到達する脳の一次視覚野を損傷しているものの、そこを迂回して別の領域で情報処理をしているらしい。

 

やはり視覚を失った人で、音で対象物を認識する反響定位(エコーロケーション)が使える人もいる。コウモリやイルカが障害物などを避けているのと同じやり方だ。

米カリフォルニア州在住のダニエル・キッシュ氏は、自ら舌打ちをするような音を発してその反響を手がかりに、暗闇でハイキングを楽しんだり、市街地で自転車を乗り回したりしている。彼らの脳の働きを調べたところ、反響音を聞いているときには、聴覚野ではなく視覚野が活性化していることがわかった。

 

■五感も複数感覚の組み合わせが当たり前!

最近の研究によれば、よく知られている五感にしても、それらが別々に使われるのではなく、様々に組み合わされて、人間の知覚を成立させている。

相手の感情を読み取るには、第一には相手の顔の表情を見るが、それだけではない。相手の身ぶりや声の調子、全身に漂わせている雰囲気から、総合的に判断している。こうした「統合作用」に対応する脳の領域も確認されている。

五感の中で、匂いを感じる嗅覚は、人間の記憶と特別に強いつながりを持っているようだ。ある匂いを嗅いだ時に突然昔の記憶がありありとよみがえってくる経験はあるだろう。嗅覚を強化することで記憶を強める研究も注目されている。

第六感ではないが、何となく危険を感じたり、視界に入っていないものが見えるような感じがしたりすることがある。こうした人間の持つ不思議な感覚についても、その正体がつきとめられるときが近いのかもしれない。

(詳細は25日発売の日経サイエンス9月号に掲載)。日経新聞電子版より引用。

 

以前に私から五感を超える「第六感(シックスセンス)」などを科学的に説明しましたが、これらの感覚を私たちは「超感覚」と呼んでいます。

特に私自身がこの「超感覚」を身を持って体験し、鋭いことから理解出来るものです。

この「超感覚」には、個人の特性のように特徴があります。五感の一部が特化したように鋭い人たちや私のように見えない世界が見えたり、体験したりする人など様々な人たちがおられます。

霊的存在との遭遇や結びつきなどから来世のことなどをリアルに知ることが出来たり、幽霊の存在を何度も見ています。その霊的存在も様々な現れ方をします。夢の中に現れたり、現世の時間帯に姿がはっきりと分かるほどの霊体が私の目の前に現れたりします。

また、不思議な現象などが起きたり、写真に不思議な物が写ったりします。

こうした「スピリチャル能力」これらこそが私の「超感覚」なのです。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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善意に感謝!

2019-08-13 00:00:30 | 感謝

帰宅中に駅近くの建物の横にしゃがみ込んでた若い女性の横には、幼い子供が泣いていました。若いママは、ハンカチで口を抑えながら嘔吐していたのを見て、熱中症と分かり、側で心配そうに様子をみていたおばさん二人は、救急車を呼びますかと言うので、呼ばなくて大丈夫だからと告げて、私が持ち歩いていた。塩分チャージを食べさせ、その間に自販機からポカリスエットを買って、飲ませました。過呼吸にもなっていたので、私がもう大丈夫だから、ゆっくり飲んでと告げました。その間、泣いて心配していた幼い女の子を私が抱っこして、ママ大丈夫だからと言ったらニコッと笑ってくれました。

 

そんな様子を見ていた!通りすがりの車から、同世代の女性が降りて来て、自宅まで送りしますと言ってくれたので、そうして貰ったらよいと言うと若いママは遠慮して、自宅は近いので歩けるし、大丈夫になりましたからと遠慮していたから、お子さんがいるのだから遠慮せずに乗せて貰いなさい!そうしないと私が自宅まで送るからと言ったら、お願いしますと同世代の女性の善意に甘えることにしました。

乳母車を車に積み、私から乗車していた家族には、お礼を言って、幼い女の子を見送ったら笑顔でバイバイしてくれました。

私は、今時期は不思議と熱中症で具合が悪くなった人、駅構内や街頭などでしゃがみ込んでいる高齢者、若い人、子供たちに何故か遭遇します。

 

その日も何故か急いで自宅に帰らないといけないと思ったのは、熱中症で具合の悪い人がいた!予感のように思います。もし、私が駅のトイレに入っていたら、最近、熱中症の患者が多く搬送されていたようで、救急車を呼んだとしても30分間近く待たされ、その間、熱中症は悪化します。初期治療のタイミングが少しでもズレたら、意識を失くすと危険な状態になります。幸い、私が通りがかったので、五分ほどで回復させることが出来ました。

普通ではこんなに短時間に回復させることは、医師でも難しいです。私が短時間で治してしまうのは、その人の状態を見ただけで、痛みや身体の状態が理解出きる、だから、医療器具や薬などを投与しなくてその場で治療や施術が出来るからです。

私の施術はレイキ治療法です。痛みの箇所を探り、そこにレイキで温めて痛みを緩和します。また、不安などは、念を送り和らげ癒して差し上げます。

 

こうして、既に何百人以上の人たちを手当て、手助けをしております。だから、昨日の出来事は、私の当たり前の人助けです。

昨日は、私は地元の人の親切に救われたものです。地元にもこんなに思いやりがある若い人がいると思った時に、此処に住んでいて良かった!と誇りに思えた良い日になりました。

7月に嫌がらせを受けたり、人間関係に悩んでいましたが、それらも8月には、良いことが起きる、幸運が訪れると信じていました。そんなことが早々と訪れ、運気も上昇してきそうです。

荒木行彦


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忘れたい記憶!

2019-08-12 00:00:30 | 人の脳

皆さんにも、きっと忘れたいのにどうしても忘れられないという記憶があると思います。その記憶のせいで苦しい思いをすることがあります。

忘れたいと強く思うと、余計に忘れられなくなるのが人の脳の特徴です。

これら忘れたい記憶で悩み、苦しんでいる状態を私たちは「トラウマ」と呼んでいます。

トラウマの意味は、「トラウマ」は日本語では心理学の学術用語として「心的外傷」または「精神的外傷」と訳されています。その意味は精神的に何らかの大きな打撃を受け、さらにその影響が後遺症のように長く残るような体験を指します。最近ではPTSD(Post Traumatic Stress Disorder:外傷後ストレス障害)という言葉を耳にするようになりました。

この「トラウマ」は、もともとはギリシャ語で、その意味は「傷」でした。

特に「心の」傷という意味はありませんでした。実際英語などでは“trauma” は後遺症を伴うような物理的な外傷(physical trauma)と心理的な外傷(mental trauma)の両方を指すのに使われます。

激しい物理的な外傷が後遺症を伴うのと同じように、過去の強い心理的ショックがそのずっと後になって忘れ去られても精神に障害をもたらすということを心理学者のフロイトが発見しました。その際に用いられた “trauma” という用語がドイツ語の心理学用語となったものを訳したのが日本語の「トラウマ」のようです。

 

こうしたトラウマは、女性の人なら、恋愛の破局や人間関係で上手く行かずに悩んでいるなどがそうです。

映画のように、光を浴びるだけで記憶が無くなる装置があればと願うほどです。

他人からすれば、どうでもよいことが、その人には未練や執着心などが強いと余計に忘れようとしても、忘れられない。

逆に忘れてはならないこともあります。君の名の映画で「忘れてはいけない人、君の名は」と叫んでいましたが、こうした記憶は心身に良い影響を与えますが、逆に忘れたい嫌な記憶は、中々忘れられるものではありません。良く、年月が経てば忘れられるよ!大丈夫なんてアドバイスする人がおられますが、当の本人は、「忘れたい嫌な記憶を忘れようと必死に頑張れば、頑張るほど辛くなる特徴があります」。こうした厄介な記憶が心身に悪影響を与えることになるのです。

食欲不振、体調を崩して「ストレス障害」や長引くと精神的障害「鬱病」などに疾患することもあります。

こんな状態にならないように、私が相談されることが多々ありますが、そんな時は、無理に忘れようとせずに、嫌な記憶を思い出せないほど、別なことに夢中になり、楽しいことを思い出したり、快感出来るような行動や趣味などに没頭するなど、他のことに夢中になることが嫌な記憶を思い出に変えて、そんなこともあったね!となれば、時が解決して呉れるものです。

嫌な記憶も実は「脳刺激には必要」な事なのです。善いことばかり、楽しいことばかりなど。快感ばかりを求めていると人の脳は「精神力が低下」するものです。幾度かの辛い体験や想いを乗り越えて、人は「心が強く」なってゆくのです。

 

現在の子どもたちや若者の多くで「精神力が弱い人」が多いのは「忍耐力の欠如」の表れでもあります。

少し、辛いことがあると「逃れたいと逃げまどい、誰かに助けを求め」ますが、他人では助けて呉れません。

そして、独りで苦しみ、悩みを抱え込むことになるのです。こんな状態だと嫌な記憶なんて忘れたくても忘れられなく、嫌な記憶に苦しめられるなんて中々皆さんには理解されにくいことでもあります。

例えば、他人から嫌なことを言われたり、されたりしたり、現在のようにネット社会ですから、ネット上の中傷などは、鋭利な刃物のようにその人の心を傷つけます。

パワハラ行為なども同様に嫌がらせ、嫉妬や妬みからその人に対して、陰からパワハラ行為をするなど陰湿な人は実に多いものです。

私も被害者の一人でした。一時的にその人たちを憎みましたが、今では憐れんでいます。本当に気の毒な人たちだと思えるようになりました。

世間体を気にし、無関係の人まで巻き込み、排除しようと取り巻きが必死に守ろうとして行為がどれだけ、関係者や周りの人たちに迷惑をかけたか分かりません。

間違いなく、いずれ「天罰が下る」と思っています。因果応報の報いを受けるはずです。こうして、私も嫌な記憶を忘れるために、自身の使命を果たすこと、助けて欲しいと頼まれている、頼りにされています。そんな時、嫌な記憶に呪縛のように縛られていては、助けられません。よい思い出として、また、私の精神力「魂力」が増して来ました。これらも嫌がらせを受けたお陰だと思っています。今は逆に感謝しています。センスプロデュース研究所、荒木行彦

 

 


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祈りを科学する!

2019-08-10 00:00:30 | スピリチャル

自分のためではなく、他の人々のために祈った体験を、きっと誰もが持っていると思います。病気の家族や友人のために祈る、困難な状態にある人々のために祈る、などです。

こうした祈りには、大きな効果があることが実験で認められているそうです。

祈りの効果は実験によって認められています。

祈りが病人の回復に対して効果的かどうかについて、アメリカではいくつかの研究が行われています。祈りについて多くの著作のあるラリー・ドッシーが、医学専門誌に次のような実験例を発表しています。

カリフォルニア大学で行われた実験では、心臓病の患者393人を、192人と201人の2つのグループに分けました。そして、192人のグループにだけ毎日、他の人々から祈りを送ってもらいました。

 

すると、祈りを送ってもらったグループでは9人の病状が悪化したのに対して、送ってもらわなかったグループでは48人も悪化したそうです。ただし、この実験結果が本当に科学的に妥当であるかどうかは、認める人もいれば認めない人もいるそうです。

もう一つは、ミズーリ州の病院での実験です。

1000人の患者を2つのグループに分けて、一方のグループだけに他の人から祈りを送ってもらいました。

すると、祈ってもらったグループの人たちの方が、10パーセントも回復が早かったという結果が出たそうです。

また、デューク大学が1986年から1992年に行った実験もあります。

この実験では、65歳以上の4000人を調査したところ、毎日祈りを捧げている人は、祈らない人よりもずっと長生きしたそうです。

祈りを送られる人にも、祈るという行為を行う人にも、祈りはよい効果をもたらすというのです。祈りが人に与える影響より、引用。

 

私は、誰よりも祈りの力があることを自負しております。それは、ただ、神様に祈るだけではなく、宇宙、お月様、自然(地球)に祈り、祈りを捧げた方々に『祈りの念』としてお届けします。その祈りの念が私と関り合いがある人のところには、不思議な光、以前に朝、出かける時に、自宅前に『紫の二本の光』が現れて驚いて!何に導き、何を知らせてくれているのか?と知り合いの女性がツイッターしていましたが、私がその方の幸せを祈っていたから、幸せへと導いて差し上げる紫の光は、私のオーラの光だったことをその方は知らない?理解出来なかったようです。だから、導きの祈りが届かなかったから今月、決別を決意したものです。ですから、私からは一切の祈りも、御守りも出来ません。とても残念なことです。せっかくの幸せへの導きに気づかない!否定したから不運を招くことにもなることは、本人には理解出来ないようです。

 

こうして、私のように祈る力を誰より、理解し、祈る力を信じて、毎日のように祈るのは、私を頼り、助けを求める人にしか効力もありません。

私を否定し、信じて貰わない人のためには、お祈りなど一切しません。頼まれても無駄なことです。

今は、若者を生還させるために、祈りとレイキ施術を施しております。そして、きっと奇跡が起きると信じられるのは、日々の祈りをしているからです。

センスプロデュース研究所、荒木行彦、


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人助けが使命!

2019-08-09 00:00:30 | スピリチャル

助ける意味は「力を添えて人や動物を、死の危険や苦痛・災難から逃れさせる。 「池に落ちた子供を-・ける」 「災害に遭った人々を-・けよう」。(「援ける」「左ける」などとも書く)他人を補佐して、事がうまく運ぶようにする。助力する。手伝う。 「主君を-・けてお家を再興する」 「新聞配達をして家計を-・ける」。

ある作用を促進させる。悪いことにはいわない。 「大根おろしは消化を-・けるそうだ」

(神などが人間を)庇護ひごする。 「皇祖すめろきの御霊みたま-・けて…我が御代に顕はしてあれば/万葉集 4094」。

⑤ 倒れそうになるのを支える。 「左右の戸も皆よろぼひ倒れにければ、をのこども-・けて/源氏 蓬生」 → 救う(補説欄)。

[慣用] 芸は身を-[表記] たすける(助・扶▽・輔▼)

 

「助ける」は“危難から救う。救助する”の意。「人の命を助ける」「大根は消化を助ける」「芸は身を助ける」 「扶ける」は“力を貸す。助力する”の意。「助ける」とも書く。「杖に扶けられて歩く」「家計を扶ける」 「輔ける」は“補佐する”の意。「主君を輔ける」。

私には「人を助ける力が人一倍、強いと自負しています」。それは、何十年も前から具合の悪くなった人や困った人たちと遭遇することが多いからです。決して偶然ではないと思われます。

若き頃から既に百人を超えていると思われる人を救ったり、助けて来ました。以前には線路に転落した人を電車到着時刻を確認してから直ぐに線路に降りて、近くの人の駅員を呼んで下さいと指示し、駅員には救急車の手配をしてと告げます。こうした両慮よく行えるのは、慣れている。体験が多いからでもあります。

 

また、高齢者がエスカレータに乗れないことも分かっています。私たちにはエスカレータの動きは早く感じませんが、視野が狭くなったり、白内障などの症状があるとエスカレータは早く感じます。だから一人で一歩が踏み出せません。そんな時に遭遇したら、私の名前を告げて後ろから支えて、一緒に乗ってあげます。こうした以外にも毎日のように多くの人たちに声掛けから助けています。

他にも、法律の改正や政府、国に提唱や改善を求めては行動を起こして、メールの依頼やお願いをします。

2000年には当時の法務大臣が知り合いでしたから、ペットの殺処分の問題と女性をストーカから「守る法律の改正を依頼」しました。同年の10月に臨時国会で可決され、同年の12月に「愛護法とストーカ規制法」が制定された経緯があります。

 

また、2011年3月に発生した東北大震災の時には、発生の翌日に「日本自動車協会」に電気自動車、物資、水、食糧などの災害と支援依頼のメールをしました。

出鱈目にメールした訳ではなく、私が日産自動車内で名前を知られていることに関係しています。日本自動車協会の会長が日産自動車の社長を兼任していることもあり、私からのメールが直ぐに会長の基に届き、その翌日、休日にも関わらず役員全員が集められ、電気自動車50台、毛布3000枚、物資、食糧などトレーラー3台分、トヨタ社、ホンダ社、日産の三社が共同支援に当たったものです。

私の依頼、願いが届き叶えられたものです。

こうした人助け貢献は回数も実績もあります。これらの人助け貢献で謝礼や感謝状なども一切お断りしています。

私が人助けするために私に与えられた「使命と能力」に恵まれたということです。

 

目に見える人助け貢献だけではありません。精神面のサポートや霊的覚醒から霊魂の存在が彷徨っている魂を来世に見送ってあげることも私の人助け貢献の一つです。

これらは特別な能力、霊感が強くないと出来ませんが、私には既に何人者の方々を見送って上げています。来世に導いて差し上げています。

他にも、私の大切な方々を守護霊に語り掛け、代わりに守って下さるようにお願いする方法で守って差し上げられます。

但し、私を信頼して貰い、私に助けを求めてくれる人に限りますがそのような方々には幸せへと導いて差し上げられます。

但し、邪心やエゴなどの強い人には、私は関わり合いを持たず、守って欲しいと、どんなことがあっても幸せを祈って欲しいと頼まれてもそれは出来ません。私には「祈り力、守る力」は人の能力を超越しています。

これらは過去からの行い「因果応報の報い」が私に与えられた「使命と能力」にあるのです。

この与えられた特別な力と能力で今後とも皆様をお守り致します。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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カルマ「業」を理解する!

2019-08-08 00:00:30 | 感謝

本来の「業(ごう)・カルマ」という意味!

よくスピリチュアル用語で、カルマだとか業(ごう)などという言葉が出てきますが実際のところどういう意味なのでしょうか?

仏教聖典(お経)ではカルマ(karma)を業(ごう)と訳します。

ですから「業(ごう)」と「カルマ」は同じ意味です。

これらには、『結果を伴う行い・行為』という意味があり、現世だけではなく、未来へもどんどん引き継がれていきます。また仏教においてカルマは縁起という言葉を表すとも言われています。

業は、自分がしたことは自分へ戻ってくる【因果応報】【自業自得】等という言葉があるように、原因が必ずあって結果がそれに伴うという意味・思想があります。なので、自分のやった行為や思ったことが形となって結果として出てくるという考えです。

例えば、良い行いをしたら良い結果が出るでしょうし、悪いことをしたら悪い結果をもたらすでしょう。このように原因と結果が過去からずっと繋がりながら現在の自分の姿を作っているという考え方が本来の『業』『カルマ』の意味となります。

 

業・カルマの考えは、インドの古い時代から!

業・カルマの考え方は実はインドの古い時代から重要視されていました。考え方としては輪廻転生的な考え方ですが、良いことをしたら次に生まれ変わった時は良い人生になるし、悪いことをしたら次の生まれ変わりは罰が下るという考え方でした。正のカルマと負のカルマの考え方です。

このようにずっとずっと昔から業・カルマという考え方はあったのです。その考えが、今現在まで続いているという事は、すごい事だと思いませんか?

悪いイメージになりつつある業。

 

カルマの意味!

本来の『業(ごう)・カルマ』の意味はお分かりいただけたと思いますが、今日、スピリチュアルの世界でよく使われている『カルマ』に関しての意味が、実は少しずつ変化してきております。

今日、スピリチュアルの世界では、「カルマ(本来は結果という意味)=過去から現在まで行ってきたことに対するあなたの宿命」という考えが一般的になりつつあります。

カルマとはもともと、『結果を伴う行い』という意味であったと先にお話しいたしましたが、一部の霊感商法などの世界で、『現在の苦しみは、過去の行いが悪かったから・・』などと宿命的表現で脅しをかけたり、オカルト的な怪しげなイメージを持つような使われ方をしてしまっているので『カルマ』とか『業』などという言葉を聞くだけで「怖い」「怪しい」と思う方が増えてしまっています。

業・カルマは、行為・結果という意味があると先に書きました。結果とは、もうやってしまった過去のことですよね。過去にやってしまったことをすでに悩んでも仕方がありません。悩むというより、そこから学ばなければなりません。

大切なのは、「結果が出ました、では次にどうして行ったらよいか?」という行為の部分を考えることです。

今までやってきたこと、そこから導かれた結果をありのまま受け入れ、自分の中に住む悪の部分を認識した時に人は自分のカルマ(過去にやってきた行い)を解消できるといいます。

カルマを正しく理解することで、カルマは、宿命ではなく、怖いものでもなく、学びによって、自らの力で解消できるものだとわかるでしょう。

カルマホームページより引用、紹介。

 

私がこのカルマを理解出来たのは、十数年前のソウル繫がりをしてからです。人が亡くなると身体は滅びても「魂」は残ること、そして、来世に辿り着いた魂(ソウル)は「天からの厳しい(業)」を受けないといけないことをリアルに、来世にいる女性と繋がったことで教えて貰ったものです。最初は半信半疑でしたが、生前の行いや来世での厳しい業を逃れて逃げ惑うと「魂は成仏されずに彷徨う」ようになると辛く、苦しい思いをし続けること。

この世に「未練や執着」を強く持つと、その土地や建物に未練、執着を持った「低級霊」となったのが「地縛霊」となります。

また、自分が想いを果たせなかった想いが強いと「果たすために、関わり合いのある人」、霊感の強い人や憑依体質などの人を探して憑りつこうとする「浮遊霊」なども低級霊となります。

私は「ライトワーカー」(光の仕事人)としての天命を担い、その天命を果たすためにソウル繫がりした方も私に手伝ってくれています。

私の天命は「この世とあの世の橋渡し」なのです。

五感プロデュース研究所、荒木行彦


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