【博愛主義】の意味は、人種・宗教・風習などの違いを超えて、人間愛に基づいて全人類が平等に相愛協力すべきであるという考え方。
私の勝手ではありますが、日本人に欠如している考え方がこの「博愛主義」だと思っています。
私の祖父母から戦後の復興の時代のことを良く聞かされていました。また、私も嫌がらずに真剣に聞いておりました。
祖父がその頃の日本は「博愛主義に満ちていた」という言葉を今でも思い出します。
お互いが協力し合い、人間愛がないと「生きてゆけなかった時代」でもあったからだと思います。
近年は「便利な道具に頼り、自身の感覚に頼ることなく」自他楽になっていると思われます。
楽してお金を稼ぎたい、苦労して仕事なんかしたくない、手っ取り早いところが「人を騙して」お金を稼ぐ、詐欺行為が目立っています。
こつこつと老後のために貯めたお金までも騙して、振り込ませて詐欺してまでお金が欲しい、お金さえあれば幸せだと思う「幸せの価値観が大きく変わって来ています」。
また、人が人を愛する。愛し方も劇的に変わりました。人間愛に基づいて全人類が平等に相愛協力する愛し方ではなく、自分さえ良ければ、愛欲や性欲を満たせたらそれでいいと考えている人が多過ぎます。
私のように「大我の愛の実践」つまり、無条件の愛で「愛する」などは理解されにくく、相思相愛で無ければ愛は成立しないと思っている人が多いものです。
最近の若い女性の中には「恋愛はしたくないけど、愛が欲しい」などと、人を愛せないけど「愛されたい」と身勝手な愛を求めています。
つまり「愛に形を求めたがる」ものです。
また、愛が分からないとよく、私に相談されます。そんな時は「自分より大切な人が居たらそれが愛」だよと、愛には形も無ければ、マニュアルもないから「愛欲や欲望」を満たすために恋愛や人を愛したら「失望」するから、無条件の愛で愛して上げて欲しいと伝えても、理解されません。
幸いなことに私は人一倍、愛に満たされ、愛し、愛されてもいます。相思相愛などの次元を超越した「魂(ソウル)の繫がり」から「永遠の愛の関係」の人が私のソウルパートナ(魂の伴侶)になっております。
こうした博愛主義を理解し、自ら実行できる人は「精神的豊かさを求めている人」なのだと思います。
物、金が多くあればそれでいい、幸せだと思う人たちには理解も難しく、そんなもの「何の徳になる」と否定的にもなります。
また、自身の使命に気付き、私のように長年、その使命によって大勢の人たちを助けて参りました。
命を救ったことも、ケガをした人の手当ても、避難して困っている人たちのために、大企業に物資支援の依頼などもして来ました。
それだけではなく、日々の生活の中で、困っている人に良く遭遇します。常に私が意識していることもありますが、私の目の前で具合が悪くなったり、困った人によく遭遇します。見捨てる事の出来ない性分なので、声かけしたり、状態も直ぐに分かるので、その場で処置や対応します。長年して来たことなので、手慣れたものです。
それだけではありません。
この世とあの世の「架け橋役」を担っている私です。人の死後直後とか、彷徨っている霊魂などが私にどうしたら良いのか?聞きに現れます。
それは、若い人や突然死した人などは「自分が死んだことが理解出来ない」でいます。そんな時に、教えて欲しい、分かって教えて呉れる人を霊魂は必死に探すのです。そして、私たちと関わり合いのある人の霊魂が私のところに現れて、どうしたら良いのか聞きに現れます。そして、私は悟らせ、来世へと導き、見送らせて頂いております。
こうした能力も私の「人助け貢献」の一つでもあります。
ですから、私のことを信じて、頼りにしてくれる人や助けを求めて来る人のことは拒みません。そして、幸せへと「お導き」も出来ます。
逆に私のことを信ず、頼りにもせず、関わり合いたくないと思う人たちには、御守りすることも、幸せへと導いて差し上げることもしません。ましてや祈って差し上げるなど一切しません。
私は神様でもなければ、62歳になるただのオヤジですから、人の好き嫌いもあります。私と関わり合いのある方々には「幸せへ」と導いて差し上げていますので、多くの方々から感謝されてもいます。それが私の幸せでもあるのです。
荒木行彦