センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

琵琶に魅了される!

2019-09-04 00:00:30 | 癒し(セラピー)

【琵琶の起源】!

1.<琵琶>は中国語で「pipa」と言います。昔はバチを使って演奏していましたが、その演奏方法と出る音から‘琵琶’という名前ができたといわれています。つまり、外側を向いて弾く動作を‘琵’と言い、内側を向いて弾くのを‘琶’と言います。そういう演奏法で弾く楽器が全て琵琶と呼ばれていました。つまり「琵琶」は全ての撥弦楽器の総称だったのです。

 

2.紀元前3世紀頃の中国は、<秦>の時代で、始皇帝によって有名な「万里の長城」が建築されていました。長城を作るために各地から集められた人々は、その仕事の休憩の間に、元々手で敲く鼓に弦を付けて、弾いていました。これが中国の最古の琵琶と言われています。後世の人々はこれを<秦琵琶>と呼びました。

 

3.その後、いろいろな形の琵琶が作られるようになりました。胴体の部分は円形と梨形があります。また、棹の部分は真っすぐなのと曲がっているのがありました。弦は、四弦のものが多かったようですが、五弦や、極まれに三弦の場合もあります。このいずれも琵琶と呼ばれたのです。琵琶は果物のビワの形に似ているから、そう呼ばれるという人もいますが、これは俗説であまり信用できません。

 

4.更に、四世紀頃になると、インドから今の琵琶に似た楽器が中国に伝わってきました。梨形胴で、棹が曲がっていて、四弦で、バチで弾く楽器でした。それからこの楽器だけが琵琶と呼ばれるようになりました。

 

【唐時代の琵琶と琵琶行】!

1.中国史の中でも、最も国際的で華やかな文化が栄えた<唐>の時代には、宮廷音楽の中で琵琶が重要な楽器として使われるようになりました。琵琶の名手と言われるような人も現れて、その演奏技術もかなり高くなりました。

 

2.唐の時代の有名な詩人ー白居易の作品《琵琶行》の中には、その琵琶演奏のすばらしさが描かれています。今でも中国人の中で琵琶というと直ぐにこの詩が想い出されます。詩の全体の内容は次のようなものです。

「都から左遷されて地方に向かう白居易は、秋の夜、波止場の舟で琵琶の音を聞きます。田舎では聴けないようなすばらしい音色に惹かれて、音の主を探すと、昔、都で華やかな演奏を披露し、今は落ちぶれて田舎をさまようようになった老婆が、昔を想い出しながら琵琶を奏でます」。

 

3.《琵琶行》の中には、琵琶の音色を表現した幾つかの有名な句があります。

 <大絃口曹口曹如急雨><小絃切切如私語> つまり、太い弦で弾く音は激しい雨のようであり、細い弦で弾く音は小声でひそひそ話をしているようだというような意味でしょう。 それを交互に弾いていくと、あたかも玉盤に大小の珠を落としたような響きになります。これが<大珠小珠落玉盤> という句です。 そして曲の最後には、4つの弦を一斉に払って、絹を裂くような気合いのこもった音、これが<四絃一声如裂帛> と詠まれています。

 

【琵琶の日本への伝来】!

1.中国では、その後、シルクロードを通って、西域から様々な外国の楽器が伝わって楽団の編成も大きくなっていきました。敦煌の壁画にはそうした様々な楽器がいろいろな外国人の手で演奏されている姿が活き活きと描かれています。(五弦琵琶もそのようにして伝わり、一時期、四弦琵琶と共に演奏されていましたが、中国では<宋>の時代以降は、使われなくなりました)。

 

2.こうした中国の文化は、<遣隋使>や<遣唐使>の手で、日本にも伝えられました。日本からの留学生は、多くの楽器を持って帰りましたが、その中に琵琶もありました。現在、奈良の正倉院には、唐の琵琶が5面、五弦琵琶が1面保存されていますが、このうちの五弦琵琶は、世界で唯一の現存する実物です。

 

3.平安時代になって、第12回の遣唐使団として中国に渡った<藤原貞敏>は、半年ほど琵琶を習って、唐の琵琶と楽譜を持ち帰り、日本琵琶の発展に貢献したと言われています。

 

4.その後、日本では、次第に流派によって<平家琵琶><薩摩琵琶><筑前琵琶>というふうに幾つかの類に分かれました。それぞれに特色がありますが、現在、日本で見ることのできるこうした琵琶は、形や弾き方の上で伝来当時のものに非常によく似ています。

 

【琵琶の構造】

1.中国琵琶は現在だいたい統一の規格があります。裏は、音を力強くするために紅木や紫檀など堅い木でできています。表は、音を良く響かせるように少し柔らかい木ーー桐で作られています。また、琵琶に使う木は大木を何十年も自然乾燥させないと音色の良い琵琶が作れませんので、今では非常に高価で、いくらお金を出しても、なかなか良い材料が手に入りにくくなっています。

2.フッレトは、下の小さい方(品)は竹でできて、上の大きい方(相)は紅木に水牛の骨を張り付けています。チューニングの軸も紅木で作られています。相と軸は高級なものでは象牙や牛の角を使う場合もあります。

 

私が琵琶の音色を直ぐ側で聴いたのは8月26日の江の島神社(琵琶奉納)に参加したことが初めて生で聴くことが出来ました。

琵琶の演奏と共に、演奏家が物語(歌詞)を歌い上げます。現代では、クラシックギターで歌うような、フォークソングのようなものでしょうか?

演奏を聴いている途中で不思議な現象が起きたり、見えたりしました。

以前に、知り合いの演奏家の方から「琵琶は、この世とあの世を繋ぐ」楽器でもあると聞いたことがありました。

だから、まさしく、私のお役目「この世とあの世の架け橋」を担っています。

また、私の使命として人助け貢献にもありますが、琵琶の音色はまさしく「神秘的な音色」でした。

だから、私が今までに色々な楽器、ピアノ、ギター、ドラム、トランペットなどの音色も側で聴いております。また、珍しいところでは「クリスタルボウル」の音色も神秘的な音色の一種です。

また、琵琶の(弦)を用いて、お月様、新月~満月の間の月のことを「上弦の月」、満月になり、満ち欠けしてゆく「下弦の月」は、三日月が上向きか下向き、つまり、三日月に弦を張ったように見えて上向きなら「上弦の月」となり、下向きなら「下弦の月」となるものです。

琵琶の物語で思い出すのが「耳なし芳一」だと思います。

耳なし芳一(みみなしほういち)は、安徳天皇や平家一門を祀った阿弥陀寺(現在の赤間神宮、山口県下関市)を舞台とした物語、怪談。小泉八雲の『怪談』にも取り上げられ、広く知られるようになる。

八雲が典拠としたのは、一夕散人(いっせきさんじん)著『臥遊奇談』第二巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」(1782年)であると指摘される。

 

『臥遊奇談』でも琵琶師の名は芳一であり、背景舞台は長州の赤間関、阿弥陀寺とある。これは現今の下関市、赤間神社のことと特定できる。

こうした物語などから「琵琶がこの世とあの世を繋ぐ楽器」となったようです。

私のお役目も「この世とあの世を繋ぐ(架け橋)」役を担っておりますので、琵琶の音色を初めて聴いても、直ぐに物語の筋まで分かったものです。馴染みもあり、心に響いたのではなく、私の魂に響いたものです。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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