人は何かしらの拘りがある人は多いと思います。但し、あまりに拘りが強すぎると「変わり者やマニアックな人」などと評価されることもあります。
私の拘りは、仕事もそうですが趣味嗜好にも拘る方です。それは、私は人一倍「探求心、観察力、洞察力」に優れているので物事に拘る傾向があります。
だからと人に迷惑をかけたり、違法なことは一切しません。
私の拘りは一種の個性のようなもので、作品などを制作する時に、私は拘りを持ち制作します。
例えば、私が野生動物写真を公開しておりますが、これにも拘りがあり、一貫して拘りにはブレることも迷うこともありません。
それは、長年、活動している「愛護の精神を貫く」持続していくためにも拘る必要があるからです。
特にカメラ撮影は、現在ではスマホのカメラ機能が良くなっているので、好きな時に好きなだけ、想いのままに撮影出来ます。
近距離なら、一眼レフカメラと画質も清明さもまり変わりありません。
そんな中で、私が写真に拘るのには訳があります。作品をネット販売していくなどとはあまり関係なく、野生動物の「生態や行動」、特徴などを図鑑では分からない現実を撮影することにあります。
そのために、週に3度以上、地元の低山、森林の中にまで入り、夏場なら昆虫、蝶々、トンボ、ハチなど。冬場なら野鳥が中心で、時々カモシカや小動物などが現れると撮影します。
時には、同じ個体の生き物の写真を多い時には100枚近くも撮影します。
決して珍しい種類などに拘らずに、身近にいる生き物たちを撮影していても、驚くような生態や行動を発見することがあります。その発見したことを撮影するのが私の拘り写真です。
例えば、野鳥の正面顔に拘ります。多くの野鳥カメラマンは、正面よりも顔が綺麗に視える横顔や羽色が綺麗に視える背後からの撮影が殆どです。
ところが、私のように正面顔と言っても「ほぼ正面」ということが多いものです。
つまり「真正面」から野鳥を撮影したのは、何十年と撮影して、何万枚も撮影してたったの一枚でした。「完璧な真正面」つまり、数ミリも狂いのない真正面顔を撮影出来たのは「奇跡」なのだと分かります。それほど難しい撮影なのです。
撮影に拘りを持たない人には理解不可能だと思われます。
その野鳥の真正面の顔は「メジロ」という黄緑色の綺麗な野鳥です。目の周りにはアイシャドーのように丸くなっています。
これは、太陽光の反射を防ぐ役目があると予測されます。メジロは身近な鳥だけに、近くまで寄っても逃げないので、梅の花や椿の花が咲いている場所に現れます。
スマホでも簡単に撮影出来る野鳥です。
ところが、メジロの目の周りの丸い白いものは「目の周りの羽の色」ではなく、「目が飛び出ていることが分かりました」。
野鳥図鑑やプロの野鳥カメラマンでも知りません。誰一人と証拠写真が写せていないからです。僅か数ミリ目から離れているので気づかない、写真撮影が難しいからでもあります。
正面の顔でも「真正面」角度が数ミリでもズレたら、こうした目から離れていることが分かる写真を写せたのはましさく、奇跡的な事だと思われます。
幾ら高額なカメラとレンズを持つているからと撮影が出来る訳ではありません。
40数年前頃に「バカチョンカメラ」というネーミングのカメラが発売されたことがあります。
バカチョンとは、主にオートフォーカス機能付きコンパクトカメラの俗称として1980年代ぐらいまで使われた日本語「バカチョンカメラ」の前半部。後述の経緯により現在は放送禁止用語となっている。
つまり、バカでもチョンでも撮影が簡単に出来ると言う意味だが、現在なら「差別的」だと批判を浴びると思われます。
つまり、現在のカメラとレンズは高額であればあるほど、誰でも簡単に綺麗に撮影が出来ると思われていますが、実際はそうではありません。多くのカメラマンたちが撮影をしている人たちの中には「自己満足と知人に自慢」するなどが多いと言うことです。
私が写真撮影に拘る訳は「野生生物の愛護」にあります。2000年に愛護法の制定依頼をしてから一貫して「生物の保護」などの活動に「野生動物撮影」があります。
その地域に生息している生き物たちを紹介する意味でも撮影に拘っているものです。
一ヶ月で千枚以上を撮影しています。そんな中から「奇跡の一枚」を写し出せたら私の写真の拘りが果たせたことになるのです。
センスプロデュース研究所、野生動物写真家、葛西行彦