最近も、イタリアの世界遺産の建物に落書きをし、日本政府にクレームが入った物である。
大学名や本人の名前まで残し、犯罪の証拠を残しているような物である。
世界遺産に落書きや傷を付けると器物破損の罪に問われるが、日本以上に海外ヨーロッパなどでは特に厳しい罪がある。酷い場合は禁固刑もあり、罰金も多額に及ぶ場合もある。
歴史建造物に対する重要性の認知の違いもあるだろうが、日本ではあまいのである。
それよりも、何より日本人のマナーやモラルの低さを世界中に示しているようなもので、文化レベルの低さを世界中に教えているようなものである。
では、なぜ落書きをするのでしょうか? 観光気分で海外旅行をして、集団で移動する日本人。特に大学生の旅行などでは誰か一人でも落書きや書き込みが見つかると、次から次へと落書きを始めるのである。
例え、それが世界遺産的な価値のある建物であっても「落書き帳」に書き込むように簡単に落書きをしてしまうのである。
本人達は旅行の思い出にとか、記念にと言う思考で悪気もなく落書きをするのである。
文化遺産に対する価値観や教育の欠如の現われで、私達の脳にも関わってくる問題でもある。
落書きだけの問題でもない。現在、大学のキャンパスがある地域では、迷惑を行為をテレビの報道でも取り上げていたが、通学途中の大学生が地元の人達とのトラブルやマナーの悪さから迷惑をしている人達が多いのである。
例えば、駅から大学のキャンパスまで近道で便利だからと駐車場の中を横切ったり、学校が指定している通勤路から離れ、小道を自転車で飛ばし、通学途中の子供達に接触したり、学校の近くの公園の駐車場を占領したりと好き勝手なことをしているのである。
日々、このような考え方の大学生達が、幾ら知識が高くても社会に出て通用しないし、ましてや世界で活躍できるなどとは到底思えないのである。
大学生の人達に聞くと、一人ではないと答えるのである。駐車場を横切ったり、小道を自転車で飛ばしているのは、自分だけでなく、みんなやっているから自分は悪くないと言うのである。
まるで「赤信号みんなで渡れば怖くない」の考え方である。
大学側も注意を促し、対策をしているのだが効果は上がっていない。
私は、7月から千葉県内のある大学の薬学部の模擬患者として参加する予定だが、私は専門的な指導よりも、これらのマナーやモラル教育の実施を日本の大学関係に強く提唱している。
つまり、ヒューマンコミュニケーションである。最近においてこのヒューマンコミュニケーション学科なる新たな取り組みがあり、重要性を提唱している。
現在の大学生の多くがこの人との関わりの能力、コミュニケーション能力が極端に低下している。
これらの教育の実施で同時にマナーやモラルなどの教育も実施出来ればと願っている。
海外では「哲学」として学んでいるが、日本の大学では基本的な学問が中心でカリキュラムが組まれており、特に医療関係では国家試験などに合格することが目的であり、この人との関わりやコミュニケーション能力まで学ぶ機会や教育も少ないのが現状である。
幸いなことに3年前から薬学部でも4年制の大学から6年制に改善され、学ぶ機会も時間も増えたのである。
出来れば、私を受け入れてくれる大学が有れば、コミュニケーション学科で非常勤として学生に指導したいと考えている。
人の言葉は時には、人を癒し、人を励まし、勇気づける。またきつい言葉で人の心を傷つけもする。
これらの人への思いやりが欠如していれば、マナーやモラルの低下にも繋がるのです。
私は現在の学生達に指導するのは「社会力」という言葉を良く口にする。
社会力とは、社会に出れば色々な法律、規則などある。社会に対応する能力のことであり、若い学生達にはこの社会対応能力が欠如している人達が多いのである。
人に迷惑を掛けても、自分や自分以外の人達がやっているから平気とか、私だけが悪いのではない。集団的な行動パタンーと私達は脳科学で解明するが、日本人にはこの集団行動が特に目立つのである。
幼い頃からわがままに育ち、我慢を知らず、何不自由なく育ってきた生活環境も影響していると私は考えている。
私が子供の頃のようにハイテクな物もなく、国民が貧乏だった時代は、子供の頃から我慢を覚え、絶えてきました。
また、厳しく社会のルールを親から教えられました。
私達の脳内には前頭葉に我慢中枢が存在しており、この前頭葉で判断するのです。
私達の脳は五感からの外的情報(インプット)~計算~判断~行動(アウトプット)します。このよう一連の思考性に異変が起こり、計算は出来ても正しい判断が出来ないので、行動まで異常を来すことになるのです。
つまり、前頭葉の発達不足、刺激不足を私は危惧している。社会力の欠如やモラルの低下も、つまりは脳の低下、前頭葉の正しい判断が欠如している現れなのです。
今後、私共は海外の大学を誘致構想している。千葉県内に誘致したいと構想しており、医学薬科大学、附属病院、生命科学研究所の設立を構想している。
これらの施設で多くの学生達が学ぶことになると思うが、哲学とヒューマンコミュニケーション学科に力を注ぎ、モラル教育に取り組みたいと考えている。
これらの実施で大学自体のレベルも向上するし、卒業生の為なのである。
人に迷惑や嫌われるような若者に成って欲しくないのである。
今一度、大学生は自分の行動や言動に責任を持ち、学問だけではなく、人間として困った人が居れば、手を差し伸べ優しい声を掛けて欲しい。
これらの思いやりがきっとその後の人生に役立つはずである。
私共は君たちを陰ながら応援している。
五感教育研究所、主席研究員、荒木行彦
大学名や本人の名前まで残し、犯罪の証拠を残しているような物である。
世界遺産に落書きや傷を付けると器物破損の罪に問われるが、日本以上に海外ヨーロッパなどでは特に厳しい罪がある。酷い場合は禁固刑もあり、罰金も多額に及ぶ場合もある。
歴史建造物に対する重要性の認知の違いもあるだろうが、日本ではあまいのである。
それよりも、何より日本人のマナーやモラルの低さを世界中に示しているようなもので、文化レベルの低さを世界中に教えているようなものである。
では、なぜ落書きをするのでしょうか? 観光気分で海外旅行をして、集団で移動する日本人。特に大学生の旅行などでは誰か一人でも落書きや書き込みが見つかると、次から次へと落書きを始めるのである。
例え、それが世界遺産的な価値のある建物であっても「落書き帳」に書き込むように簡単に落書きをしてしまうのである。
本人達は旅行の思い出にとか、記念にと言う思考で悪気もなく落書きをするのである。
文化遺産に対する価値観や教育の欠如の現われで、私達の脳にも関わってくる問題でもある。
落書きだけの問題でもない。現在、大学のキャンパスがある地域では、迷惑を行為をテレビの報道でも取り上げていたが、通学途中の大学生が地元の人達とのトラブルやマナーの悪さから迷惑をしている人達が多いのである。
例えば、駅から大学のキャンパスまで近道で便利だからと駐車場の中を横切ったり、学校が指定している通勤路から離れ、小道を自転車で飛ばし、通学途中の子供達に接触したり、学校の近くの公園の駐車場を占領したりと好き勝手なことをしているのである。
日々、このような考え方の大学生達が、幾ら知識が高くても社会に出て通用しないし、ましてや世界で活躍できるなどとは到底思えないのである。
大学生の人達に聞くと、一人ではないと答えるのである。駐車場を横切ったり、小道を自転車で飛ばしているのは、自分だけでなく、みんなやっているから自分は悪くないと言うのである。
まるで「赤信号みんなで渡れば怖くない」の考え方である。
大学側も注意を促し、対策をしているのだが効果は上がっていない。
私は、7月から千葉県内のある大学の薬学部の模擬患者として参加する予定だが、私は専門的な指導よりも、これらのマナーやモラル教育の実施を日本の大学関係に強く提唱している。
つまり、ヒューマンコミュニケーションである。最近においてこのヒューマンコミュニケーション学科なる新たな取り組みがあり、重要性を提唱している。
現在の大学生の多くがこの人との関わりの能力、コミュニケーション能力が極端に低下している。
これらの教育の実施で同時にマナーやモラルなどの教育も実施出来ればと願っている。
海外では「哲学」として学んでいるが、日本の大学では基本的な学問が中心でカリキュラムが組まれており、特に医療関係では国家試験などに合格することが目的であり、この人との関わりやコミュニケーション能力まで学ぶ機会や教育も少ないのが現状である。
幸いなことに3年前から薬学部でも4年制の大学から6年制に改善され、学ぶ機会も時間も増えたのである。
出来れば、私を受け入れてくれる大学が有れば、コミュニケーション学科で非常勤として学生に指導したいと考えている。
人の言葉は時には、人を癒し、人を励まし、勇気づける。またきつい言葉で人の心を傷つけもする。
これらの人への思いやりが欠如していれば、マナーやモラルの低下にも繋がるのです。
私は現在の学生達に指導するのは「社会力」という言葉を良く口にする。
社会力とは、社会に出れば色々な法律、規則などある。社会に対応する能力のことであり、若い学生達にはこの社会対応能力が欠如している人達が多いのである。
人に迷惑を掛けても、自分や自分以外の人達がやっているから平気とか、私だけが悪いのではない。集団的な行動パタンーと私達は脳科学で解明するが、日本人にはこの集団行動が特に目立つのである。
幼い頃からわがままに育ち、我慢を知らず、何不自由なく育ってきた生活環境も影響していると私は考えている。
私が子供の頃のようにハイテクな物もなく、国民が貧乏だった時代は、子供の頃から我慢を覚え、絶えてきました。
また、厳しく社会のルールを親から教えられました。
私達の脳内には前頭葉に我慢中枢が存在しており、この前頭葉で判断するのです。
私達の脳は五感からの外的情報(インプット)~計算~判断~行動(アウトプット)します。このよう一連の思考性に異変が起こり、計算は出来ても正しい判断が出来ないので、行動まで異常を来すことになるのです。
つまり、前頭葉の発達不足、刺激不足を私は危惧している。社会力の欠如やモラルの低下も、つまりは脳の低下、前頭葉の正しい判断が欠如している現れなのです。
今後、私共は海外の大学を誘致構想している。千葉県内に誘致したいと構想しており、医学薬科大学、附属病院、生命科学研究所の設立を構想している。
これらの施設で多くの学生達が学ぶことになると思うが、哲学とヒューマンコミュニケーション学科に力を注ぎ、モラル教育に取り組みたいと考えている。
これらの実施で大学自体のレベルも向上するし、卒業生の為なのである。
人に迷惑や嫌われるような若者に成って欲しくないのである。
今一度、大学生は自分の行動や言動に責任を持ち、学問だけではなく、人間として困った人が居れば、手を差し伸べ優しい声を掛けて欲しい。
これらの思いやりがきっとその後の人生に役立つはずである。
私共は君たちを陰ながら応援している。
五感教育研究所、主席研究員、荒木行彦