念力の意味は、念力、英(psychinesis)、超能力の一つで、意思の力だけで物体を動かす能力のこと。念動力、概念動力とも言う。
「サイコキネシス」はサイコ+キネーシスという構成の語であり、英語で言えば「mind-movement)にあたり、心(念)による運動という意味の表現である。
サイコキネシスとほぼ同類に扱われることのある概念に「テレキネシス」がある。
離れて運動を起こすという意味の表現である。サイコキネシスとテレキネシス、サイキキックは、対象物の動かし方によって区別されている。
また、念力という言葉は、本来の意味から離れて「物体を動かす」という以外の「何かを心のままに操作する」という意味で使われることも多い。
日本では、それ以前は、SFで知られていた概念だったが、ユリ・ゲラーが1974年に来日した時に特集番組のテレビカメラの前でスプーン曲げを行い全国に放送されたので、よく知られるようになった。
それ以降に「念」=「超能力者」などと呼ばれるようになった。
私がこの「念力」に目覚めて、自覚できるようになったのには、切っ掛けがありました。それは、12年前のある朝方に霊的存在から憑依されて「霊的覚醒」に目覚めたことに始まります。
憑依した相手からの「愛の思念」を享けて、私の第4チャクラ(ハートチャクラ)が活性化したように、毎日のように胸から背中にかけて熱いものです。
そのパワーが源となり、私の掌から「遠赤外線」のような暖かな「波動」を発生させることが出来るようになりました。
それは「レイキ」と呼ばれているものです。
私の場合は、離れた人にも「レイキ施術」が行えるのは、テレパシーで送ることが出来るからです。その時に必要な能力が「念力」なのです。
私の念力は、物を動かしたりすることは出来ません。
例えば、本人確認のために写真などに手を翳して念じれば、レイキを送るだけではなく、癒しの波動や愛の波動も送ることが出来ます。
皆さんには信じ難いと思いますが、離れていても愛し合うことが出来る。但し、受ける側が理解、納得していない受けることは不可能になります。
つまり、共感し合う能力がないと癒されないし、痛みや不安などの緩和には繋がりません。
既に何十人もの人たちを私の「念(レイキ)」で癒し、痛みなどの緩和だけではなく、命を救って差し上げたこともあります。
私も人の子ですから、私のことを意地悪なことをしたり、虐めたり、悪口を言う人をもし、私が恨んだりしたらその人に「災いわ齎す」ことになるので出来るだけ、怒らない、関わらないように無視するようにしています。
逆に言えば、私に助けを求め、救って欲しいと願って頼ってくれる人のことは、離れていても守って上げることが出来ます。
それは、霊的な方法で誰でも出来る業ではありません。その人の「守護霊」にお願いして、私の代わりに「御守り下さいとお願いする」。念じることで可能になるものです。
また、不動明王御真言を唱えて護って貰うなどのことが出来ます。
こうして、私の念力は人の感覚を超越しているのは、私の「潜在的脳力」による賜物です。特殊な能力の一つでもあります。
だからと私は「超能力者」ではありません。
私の長年の感覚研究の賜物の「超感覚者」(超感覚知覚)と言う、人並み外れた能力を持っているからでもあります。
センスプロデュース研究所、荒木行彦