ジャラール・ウッディーン・ルーミー(ペルシア語: جلالالدین محمد رومی、Mawlānā Jalāl ad-Dīn Muḥammad Balkhī-e-Rūmī; トルコ語: Mevlânâ Celaleddin-i Rumi、1207年9月30日 - 1273年12月17日)はペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人である。同時代のスーフィー・イブン・アル=アラビーと並ぶ、イスラーム神学、スーフィズムの重要な人物の一人と見なされている。「沈黙」を意味する「ハムーシュ」を雅号とし、ルーミーの父バハーウッディーンをはじめとする人々は、「識者」を意味する「ホダーヴァンデガール」と彼を呼んだ。
ジャラール・ウッディーン・ルーミーの像(トルコ・ブカ)ルーミーの思想の一つに、旋回舞踏によって「神の中への消滅」という死に似た状態に陥る神秘体験の実行が挙げられる。ルーミーの没後、コンヤのルーミー廟を拠点とする彼の弟子たちによって、コマのように回って踊るサマーウ(セマ)という儀式で有名なメヴレヴィー教団が形成された。メヴレヴィー教団では同教団の始祖と仰がれている。主な著書はペルシャ語の詩集『精神的マスナヴィー』(Masnavī-ye Ma'navī; مثنوی معنوی)。
ルーミの詩の中で、私の魂に響く詩をご紹介します。
善いとか悪いとか そんな観念を超えた場所がある
そこであなたと出会う
その芝生に魂が横たわるとき
世界は言葉では語り尽くせない
観念も言葉もどんな名言も 何の意味もなさない
この瞬間 この愛が 私のもとへ安らぎに来る
ひとつの 存在のなかに
多くの存在が訪れる
ひと粒の麦のなかに
千束の干草 針の目の内側に星々が輝く夜”
ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩は、著名人にも人気があり、詩集本は、大型本で18.000円もする高値が付いているほど人気があります。
私は、学生時代から詩が好きで、自身でも詩を書いたりしていましたが、当時はバレーボールに入部し、厳しい練習などにも耐えて頑張り、県大会優勝や全国大会などにも出場していました。
そんな私が詩をそれも、詩集まで自作で書いていたなんて、誰にも言えませんでした。
そんな時に、女生徒から手紙を貰い、そこには詩が書いてあり、私が詩が好きだなんて誰にも言ってなかたのに、察したように詩を書いてくれました。
それから、当時は文通が始まり、東京と神戸に在住の女子高生と文通、詩の交換が始まりました。
そんなことをクラスメイトにもバレてしまい、男子からは誂われ、落こんでいた時に、隣のクラスの女子から、慰めの詩を貰い、学校での友人は、男性より、ガールフレンドが多くなり、クラスメイトの男性からも羨ましがられました。
私は当時、ガールフレンドには恋愛感情などを持ったことがなく、常に共感し、同性のような付き合い方でした。
だからと私は中性ではありません。身体も心も男です。
感覚、センスがどちらかと言うと女性的だったので、女生徒と直ぐ仲良くなれたのです。
こうしたことから、男子の友人たちから、好きな人が居るんだけど、告白できないから、君と仲良くしている彼女が好きなんだ!告白出来ないから変わりに聞いて欲しいなんて何人からも相談され、自分から告白しないと、俺から伝えたら間違いなくふられるよ!と告げると当時の男子は諦めていました。
落こんだ彼に、詩人の愛の詩を読んだら、そして、その詩を引用してもいいからラブレターをかいたらきっと読んでくれたら上手く行くと思うよと告げると、お前が女子にモテる意味がわかったよ!俺も詩を読むと笑顔で本屋さんに行った彼を今でも思い出します。
最近は、色々なことがあったり、病気や離婚などしたこともあり、精神的な余裕がありませんでした。
音楽を聴いたり、映画を観たりすることはありましたが、詩人の詩を読んでいません。
この秋の夜長に、好きな詩人の詩を読み、最愛の人に捧げたいと思います。
センスプロデュース研究所、葛西行彦、