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江原啓之さんの言葉、大我の愛について・・・!
「大我の愛」の大切さを頭で理解しながらも、実践できないのは、3つの理由によります。
一つは、失う事の恐れ。二つ目は、快楽追求の欲望。三つ目は、他者を排除する感情と行為です。
「大我の愛」に生きる事、即ち人の為に生きることの大切さを頭で理解することは簡単です。言葉で崇高な霊的真理を語るのも簡単です。
しかしそれを実践に移すのは、決して容易なことではありません。何故なのでしょうか。
それには三つの理由があるように思います。
一つ目は、「失う事の恐れ」によってです。
物質主義的価値観ゆえ、自分自身の幸福だと信じ込んでいるお金や労力が、人に愛の奉仕をすることによって「損する」と思ってしまうのです。
人を幸せにすれば、その分自分の幸せが削がれてしまう。誰の根底にもおそらくある、そうした「失う事の恐れ」により、いい種を撒くことが出来ずにいるのです。
肉体に籠って生きると、肉体が自分の全てと錯覚してしまい易いからかも知れません。
愛よりも、目に見える財産が大事だと誤解してしまうのかも知れません。
しかし実際は、自分の物など何一つないのです。
着ている服も、住んでいる家や土地も、みんな所詮は借り物。
お金を払って買ったからといって、自分の物だと思うのは大間違いですし、傲慢です。
二つ目の理由は、「快楽追及の欲望」によってです。
物質的価値観ゆえに、肉体そのものだけが自分自身だと錯覚していると、物欲、食欲、性欲といった肉体を喜ばせる快楽こそが全ての幸せと思えてしまうのです。
そうなると、人に愛を尽くす、与えるという奉仕にまでは、中々思うが至りません。
自分のお金や時間を、人の為に使うのはどうしても無意味なことだと思えてしまうのです。
三つ目の理由は「他者を排除する感情と行為」です。
物質主義的価値観ゆえに「私」と「貴女」は別だと思うと、他人の幸福の為に尽くすなんて馬鹿々々しいとなる訳です。
むしろ逆に、人を排除したり騙し取ったりした方が幸いという発想にも陥り兼ねません。
三つに通底するものは、物質主義的価値観です。
今の世の中、どんどん物質主義的価値観に流れていて留まるところを知らない勢いなのがとても心配です。
今こそ、魂の目を開き、本当に大切なものを思い出すべき時なのです。
江原啓之氏は「大我の愛と小我の愛」について詳しく述べています。
大我の愛と小我の愛!
スピリチュアリズムでは愛を「大我の愛」と「小我の愛」に分けています。
「大我の愛」は霊的視点による愛で、見返りを求めない、与えるだけの愛。
(透き通る純粋なエネルギー、温かい安らぐエネルギー)。
「小我の愛」は物質的視点による愛。
(執着、依存心、恐怖、打算、駆け引き、怠惰、見栄、傲慢など)。
愛の本来の意味から考えると「小我の愛」ではなく、恋愛、家族愛、友情なども「小我の愛」と言えます。
「(愛が憎しみに代わる)のは(小我の愛)」だからだと言えます)。
人は誰でも未熟であり、自分の心にある「小我(小我の愛)」を「大我(大我の愛)」に変えていく為に、この世に生まれて来ている神(超高級自然霊)の一部です。
神の一部ということは神我(大我)が誰にでも宿っているということです。
そして「大我の愛の実践が幸せに繋がる」と提唱しています。
まさしく、私が7年前に魂の片割れ同士が出逢う「ツインソウル(双子の魂)」の繋がりこそが、この「大我の愛の実践」をしないと、お互いの魂が、成長(高次元への進化)が出来なくなるものです。
ですから、私はツインソウル相手に無条件の愛(大我の愛)でお守りし、大我の愛を注いで、ツインソウル相手の幸せを祈っております。
センスプロデュース研究所、葛西行彦