センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

青梅に救われる!

2024-06-08 00:00:30 | 感覚心理

今月の15日で、千葉から青梅に引っ越して丁度、1年になります。本当に一年があっという間でした。 

5年前に離婚したことを機に、それと定年退職を5年延長したこともあり、それまでは丸の内に約40年勤務、通っていました。 

離婚してからも千葉に住み続けなければならなかった時は、本当に辛かったです。本来ならば他府県に住みたかったのですが、会社勤めもあり、丸の内に通うのには仕方がありませんでした。 

それも、昨年の5月で通勤しなくて済むことから、千葉から引っ越すと決めていました。 

それも、知り合いもいるし、何度か訪れている青梅の森に憧れもありました。そんなこともあり、躊躇することも無く、昨年の6月15日に青梅に引っ越しました。 

引っ越しの荷物も片付け、翌日には市役所などへの手続等でニ、三日は動けませんでしたが、四日目には、行きたかった青梅の森に出掛け、カメラとレンズを持って出掛けました。 

6月は梅雨の時期なので、天候の良い日にと思ったら偶々、出掛けたいと思った日が天気が良かったので、少し蒸し暑い中出掛けました。 

野鳥はこの時期は少ないので、何か動物はいないかと探したら、カモシカの親子に逢いました。それも、子供は、角が生えていない、生後二ヶ月ほどだと分かる幼いカモシカの子供でした。始めて近くでニホンカモシカを見て、一人で興奮していました。 

但し、何か青梅の生き物たちは他の地域の生き物たちと違うなと感じました。 

それは、目の前にカモシカが居ても、逃げません。それどころか近寄って来ました。 

本来、野生の動物は、子供を護るために、子供に近づいた人のことを襲ったりします。 

それなのに、カモシカの親は平気でした。 

 

撮影後の二か月後に、青梅の森の急坂の斜面から転がり落ちたのか転落死と知らされた時はショックでした。とても悲しかったです。 

昨年の夏には、青梅で花火大会があり、夜にはカメラを持って一人で見ていました。翌日に青梅の森に出掛けなければと急に思い出したように出掛けたくなりました。 

但し、不思議だったのは、無意識でしたが朝からではなく午後からと、洗濯ものが溜まっているし、部屋も汚いから掃除しなければと思い、午前中は掃除、洗濯をして、昼食を済ませてから眠気が起きて、昼寝をしてしまいました。 

そうだと、青梅の森に出掛けようと思ったのが14時30分過ぎでした。夕方からの生き物を撮影しようと青梅の森に入りました。 

何時もは太陽の子広場と、坂を上らなくて済む場所に行くのに、その日に限り、永山公園に上り、そこから青梅の森に入り、いるす口というルートで下りました。もしやカモシカがいるかもと、その場所こそがカモシカの親子を撮影出来た場所でした。 

カモシカがいないかと思い、探していたら森の中から焦げ臭い臭いがして来ました。最初は誰かが焚火しているのかと思いましたが、そんな危ないことをする人は居ません。 

急ぎ足で下りて行ったら、二本の杉の木の間から火柱が視えました。走って現場を見たら、杉の木が焦げていました。その辺に有った大きな枝で火を叩いて、土を被せて消化出来ましたが、周りが焦げて何時、発火する分からないのでその場から消防署に山火事の通報をしました。そして、山火事を防ぐことが出来ました。 

 

不思議だったのは、その山火事の現場こそが、親子のカモシカが現れて、私と初対面なのに、じっと見つめていた幼いカモシカの子と親が撮影できた直ぐ近くでした。 

翌日にもその場を訪れた時に、不思議なことが起きました。 

目の前にヒラヒラと蝶々が舞い降りて来たように、私が手を出せば触れるほどの近さでした。細い木の枝に止まり、何か私に伝えたいメッセージがあるのかと思えるほど不思議な蝶々でした。逃げるでもなく、写真に写してとばかりに羽をゆっくりと開いたり、閉じたりしていました。 

自宅に戻り、写した写真を拡大して見たら、テングチョウという蝶々の種類なのに羽の模様が冠を被ったクイーンのように見えます。 

そして、驚いたのがテングチョウの羽の裏に小さな(妖精)が冠を飛ばされないように両手で押さえる様子が写っていました。 

メッセージを感じたのは「森と生き物たちを護ってくれてありがとう!」と伝わりました。 

私に山火事だから来て欲しい!助けて欲しいと無意識に伝わったのは、ニホンカモシカの子供が亡くなってから何日も経って居ませんでした。 

親子が一緒にいた近くで火事だから、私に知らせてくれたから、偶然に山火事を消せたのではなかったのです。 

青梅に引っ越してから二か月後には、大勢の人たちに感謝され、感謝状まで授与され、私のことを受け入れて呉れました。 

千葉に住んでいたころは、家族がいても、孤独で淋しかったし、離婚する前から辛い日々でした。よく鬱病にならなかったと、耐えて来ました。そんな辛い場所から引っ越したかった。逃げたかったが本心でした。 

そんなことも、青梅に引っ越したら人生が変わったように救われました。辛い思いも、苦しい日々もありません。 

そんな幸運を齎して呉れたのは「青梅の森に住む生き物たち」が私に「勇気と幸運」を齎してくれたものです。センスプロデュース研究所、葛西行彦 

 


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