センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

山下公園&港が見える丘公園!

2020-06-19 00:00:30 | 感覚

山下公園、関東大震災の復興事業として横浜市助役だった楢岡徹らが、市内の瓦礫などを使って海を埋め立て造成し、1930年(昭和5年)3月15日開園。面積は74,121m2。

開園当時は現在の沈床花壇部分が泊地になっており、その名残が氷川丸の横にある小さな橋に見られる。

開園後40年にわたり、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、後に東の隣接地に山下埠頭が造成された。現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている。

 

幕末に横浜が開港した際に、イギリス軍とフランス軍が当地に駐留した。日本初のフリーメイソンのロッジも置かれた。その後、太平洋戦争後も、アメリカ軍など進駐軍がこの地を接収した。接収が解除になってから、横浜市が公園用地として手に入れ整備し、1962年(昭和37年)10月25日に風致公園として一般者が立ち入ることができるようになった。

山下公園と並んで、横浜市の観光地の公園の一つで、横浜港を見渡せる高台に位置する。ただし、見える物はあくまで本当の意味の「港」であり、横浜ベイブリッジを除くと、横浜の代表的な観光地であるみなとみらい21や関内といった地区を見下ろすことはできない。

山手地区に近く、雰囲気も山手と似ているので、家族連れやカップルも見られる。

終戦直後の1948年(昭和23年)にヒットした流行歌『港が見える丘』に因んで命名され、1962年5月8日の開園式には同曲が流れる中、横浜市長によるテープカットがなされた。園内には『港が見える丘』の歌碑が建っている。公園の一角には大佛次郎の記念館もある。

また、1969年(昭和44年)に累計150万枚以上を売り上げ、横浜の代表的なご当地ソングとなってい。]いしだあゆみの楽曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』は港の見える丘公園から見た、横浜と川崎の工業地帯の夜景をイメージしたものだという。

 

自粛規制が緩和されてから一週間が過ぎましたが、山下公園では、バラの花のピークは過ぎましたが、昨年よりは、人出が少ないです。一部の場所では規制もあります。

山下公園を撮影した後は、徒歩で「港の見える丘公園」に行き、こちらもイングリシュガーデンという、バラ園がありますが、こちらもピークは過ぎて、数は少ないですが、奇麗に咲いています。

私もマスク着用していますが、天気が良い割に、昨日のような蒸し暑さがないので楽です。人と密にならないように花々や風景を撮影しています。

港の見える丘公園の周辺には、外人墓地が異人館どおりなど、横浜市の観光地なので予想はしていましたが、混雑しておりました。

葛西行彦

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