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七夕(たなばた)は、中国大陸・日本・韓国・台湾・ベトナムなどにおける節供・節日の一つ。五節句の一つにも数えられる。星祭り(ほしまつり)ともいう。
(七夕節句とはいうが、二十四節気に関連する節月ではなく、暦月の)旧暦7月7日の夜のことで、日本ではお盆(旧暦7月15日前後)との関連がある年中行事であったが、明治改暦(日本におけるグレゴリオ暦導入)以降、お盆が新暦月遅れの8月15日前後を主に行われるようになったため関連性が薄れた。
日本の七夕祭りは、新暦7月7日や月遅れの8月7日、あるいはそれらの前後の時期に開催されている。
日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。
「たなばた」の語源は『古事記』でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)又は『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」また、お盆の精霊棚とその幡から棚幡という。また、『萬葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)七夕の今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむなど七夕に纏わる歌が存在する。
そのほか、牽牛織女の二星がそれぞれ耕作および蚕織をつかさどるため、それらにちなんだ種物(たなつもの)・機物(はたつもの)という語が「たなばた」の由来とする江戸期の文献もある。
日本では、雑令によって7月7日が節日と定められ、相撲御覧(相撲節会)、七夕の詩賦、乞巧奠などが奈良時代以来行われていた。その後、平城天皇が7月7日に亡くなると、826年(天長3年)相撲御覧が別の日に移され、行事は分化して星合と乞巧奠が盛んになった。
乞巧奠(きこうでん、きっこうでん、きっこうてん、きぎょうでん)は乞巧祭会(きっこうさいえ)または単に乞巧とも言い、7月7日の夜、織女に対して手芸上達を願う祭である。古くは『荊楚歳時記』に見え、唐の玄宗のときは盛んに行われた。この行事が日本に伝わり、宮中や貴族の家で行われた。宮中では、清涼殿の東の庭に敷いたむしろの上に机を4脚並べて果物など供え、ヒサギの葉1枚に金銀の針をそれぞれ7本刺して、五色の糸をより合わせたもので針の穴を貫いた。一晩中香をたき灯明を捧げて、天皇は庭の倚子に出御して牽牛と織女が合うことを祈った。また『平家物語』によれば、貴族の邸では願い事をカジの葉に書いた。二星会合(織女と牽牛が合うこと)や詩歌・裁縫・染織などの技芸上達が願われた。江戸時代には手習い事の願掛けとして一般庶民にも広がった。なお、日本において機織りは、当時もそれまでも、成人女子が当然身につけておくべき技能であった訳ではない。
明治6年(1873年)1月4日、太政官布告第一号で神武天皇即位日と天長節の両日が祝日として定められると共に、徳川幕府が定めた七夕を含む「五節句」の式日が、次の通り廃止された。
全国各地で行われている「七夕祭」は、月遅れの8月7日頃から行われています。有名な所では「仙台の七夕祭」などが知られています。
私が好きな七夕祭は「平塚七夕祭」です。女性の人たちは「短冊」に願い事などを書き込んでいます。
「七夕物語」と言えば、天の神様の娘「織姫」がとても自慢でしたが、織姫もそろそろ年頃なのに、人のはたを織ってばかりでは可哀そうしゃ、そうだ、織姫に相応しい婿を探してやろう!
天の神様が天の川の岸辺を歩いていると、そこで牛の世話をしている若者と出逢いました。若者は「彦星」といい、畑仕事に精を出したりと、休む間もなくまじめに働いていました。
天の神様は織姫の結婚相手に彦星を選びました。
織姫と彦星はお互いに一目で好きになり、とても仲の良い夫婦になりました。
しかし、それからというもの二人は、遊んでばかりでちっとも仕事をしなくなり、怠けるようになりました。
心配した天の神様が注意しても二人は「はい、分かりました」と応えるだけで全く仕事をしようとしません。
「このまま放っておく訳になるまい」と怒った天の神様は「もうお前たち二人を逢わせる訳にはいかぬ」。織姫を天の川の西へ、彦星を天の川の東へと無理やり引き離しました。
別れ離れになり、お互いの姿を見ることさえ出来なくなったのです。
それからというもの、オリヒロは毎日、泣き暮らしてばかりで、全くはたを織ろうとしません。
困った天の神様は、二人に言いました。「お前たちが前のように毎日、真面目に働くなら、一年に一度だけ二人が逢うのを許そう」。
年に一度、そう「7月7日」の夜に逢えることを楽しみにして・・・
そして、織姫は前にも美しいはたを織るようになったので皆はとても喜びました。
この「七夕物語」こそ、魂の片割れ同士が出逢う「ツインソウル(双子の魂)」の出逢い、繫がりに似ています。
まさしく、ツインソウル(魂の繫がり)は宇宙で出逢うからでもあります。
そして、お互いに与えられた使命を果たすために、ソウル繋がりした関係であり、その使命を果たすために、お互いに「試練を与えられます」。
その試練を乗り越えて「お互いの魂を成長(高次の次元に進化)させることが目的となるものです」。
私たちもそうでした、出逢って一年もしない内に「決別」して離れ離れになりましたが、心と正反対に「魂は惹かれ合い、感じ合い」ます。
織姫と彦星のように一年に一度は逢えませんが、年月が掛かっても「魂の統合」があれば、再会するということです。
毎年、7月7日になれば、祈願することは「ツインソウル相手への想い」幸せを祈り、統合を願うものです。センスプロデュース研究所、葛西行彦