センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

六根清浄の悟り!

2020-01-22 00:00:30 | 感覚

六根清浄の意味は、Robata 六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすること。

六根とは、五感とそれに加え第六感とも言える意識の根幹である。

眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)のことである。

六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。「六根浄」ともいう。

 

今日、剣山では白装束に身を包んだ信者が登山の際の掛け声として連呼しており、また、落語の「大山参り」などではその様子が描写されている。現在でも扶桑教では富士への登拝中は「六根清浄お山は晴天」と歌っている。これは高山病にかかりにくくする効果もある。

登山の際に用いられた結果、音便化し「どっこいしょ」になったという説がある。

六根浄とも。仏教で,身心に功徳が満ち自在に働けるように,感覚と認識の基礎となる眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清浄にすること。真言宗や富士講では,登山などに際し,これを称して,安全を祈る。天台宗では《法華経》に基づいてこれを修行の位とし,六根清浄位という。

 

私が長年の「感覚研究」に取り組んでいるのは、この「六根清浄」が基になっています。人の五感という言葉は、仏語から来ている。五感という呼び方は日本だけであり、世界的には「感覚」(sense)センスと捉えます。

普通、皆さんが人の感覚と言えば「五感」であり、仏的には六根となります。

ところが、私のように長年の感覚研究に取り組み、日々、鍛錬(修行)して来た私は「人の感覚を超越」した(超感覚知覚)を持っています。

超感覚知覚とは、普通の人には、見えないことや聞こえないことを見たり、聴いたり感じたり出来る能力のことです。

私の六根清浄は皆さんと違い、眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(脳)そして、7根、感根(超感覚知覚)となります。

 

この7根の考え方は、私が造った俗語です。

人様の感覚を超越した、様々な体験を基に考え出された六根清浄の悟りです。

何故、私がこの7根清浄を提唱するかというと、私の私欲や邪心などからではなく、私に与えられた「天命を果たす」ことで多くの人たちを助けて参りました。今後、私のこの7根清浄で人助け貢献に努めて参ります。

こうした、人の感覚を超越した「脳力」を私が得られたのには切っ掛けでかあります。十数年前にある方から憑依を享けてから「霊的覚醒」をしました。

そのことにより「私の潜在的脳力が引き出された」。意根(潜在的意識)が研ぎ澄まされ、人一倍敏感になったものです。

超感覚知覚を持った人は日本でも大勢おられますが、私のようにこの世の人はもちろん、あの世の人(来世)に居る方にも幸せになれるようにと導いて、癒して差し上げています。既に此処十数年で何人もの方を来世へ導き、幸せになって貰いました。

また、現世では具合の悪くなった人との遭遇が日々、多くなりました。

これらも私に与えられた天命の「人助け貢献」の一つです。医療機器や薬を投与しなくても、意識のある人なら直ぐに良くなります。

これらの数多くの実績も能力も優れているのは、全て私の7根清浄の鍛錬(修行)の賜物です。

こうした考え方の実践を行っている人は、日本では稀だと自負しています。ましてや7根清浄などの俗語を作り提唱しているのは、日本では私だけだと思います。六根清浄の悟りの先駆者として今度も人助けに貢献と活躍したいと思います。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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