「大我の愛」は霊的視点による愛で、見返りを求めない、与えるだけの愛。
(透き通る純粋なエネルギー、温かい安らぐエネルギー)。
「小我の愛」は物質的視点による愛。
(執着、依存心、恐怖、打算、駆け引き、怠惰、見栄、傲慢など)。
愛の本来の意味から考えると「小我の愛」は愛ではなく、恋愛、家族愛、友情なども「小我の愛」といえます。
(「愛が憎しみに代わる」のは「小我の愛」だからだといえます)。
人は誰でも未熟であり、自分の心にある「小我(小我の愛)」を「大我(大我の愛)」に変えていくために、この世に生まれてきている神(超高級自然霊)の一部です。
神の一部ということは神我(大我)が誰にでも宿っているということ。
だから、人は「大我」と「小我」を持ち合わせており、善人といわれる人も必ず「小我」があり、悪人といわれる人も必ず「大我」があるのです。
(ただ善人といわれる人は「大我」の割合が大きく、悪人といわれる人は「小我」の割合が大きいといえます。大我の愛、小我の愛、ホームページより、抜粋引用。
大我の愛の実践は、江原啓之氏が提唱している「大我の愛の実践」です。
江原さんの著書の中に大我の愛を「人生を幸せへと導く魔法はただ一つ、それは大我の愛の実践」と述べています。
私はこの大我の愛「無条件の愛」を実践すべく努めております。
決して見返りを求めず、私と関わり合いのある人、ましてや魂(ソウル)同士で出逢った人なら尚更です。
この大我の愛を実践しないとお互いの魂が高次の次元に進化せずにこの世で苦しみ続けることになるからです。
ですから愛する人を大我の愛で護って上げる、支えて上げることが大切なのです。
私は魂の片割れ同士が出逢った人や時空の人ともソウル繋がりをしているので、お互いの幸せのために「大我の愛の実践」をしているものです。
また、大我の愛を理解もしております。
皆さんがこれら大我の愛を理解され、実践されたなら「愛欲や欲望」などから愛する人とのトラブルや別れなどから、相手を憎むことなどは無くなります。
人が人を愛することは、相手を憎むことではありません。
「自分より大切な人が居たらそれが(愛)です」と提唱しています。
魂同士で繋がると大我の愛も理解出来るようになります。
センスプロデュース研究所、荒木行彦