センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

白い生き物と神使!

2020-01-07 00:00:30 | 神秘

神使は、神使(しんし)は、神道において神の使者(使い)もしくは神の眷族で神意を代行して現世と接触する者と考えられる特定の動物のことである。「神の使い(かみのつかい)」「つかわしめ」「御先(みさき)」などともいう。時には、神そのものと考えられることもある。その対象になった動物は哺乳類から、鳥類・爬虫類、想像上の生物まで幅広い。

 

特定の動物が神の意志を伝えるという説話は日本神話の中にも見られる。日本書紀の景行天皇記には、伊吹山の荒神(あらぶるかみ)が大蛇に化身して日本武尊の前に現れたのを、尊は「大蛇は荒神の使いだろう」と言ったという記述がある。紀の皇極天皇記には、猿を「伊勢大神の使」として、その声で吉凶を判じたという記述がある。また同崇神天皇記では、大物主神自身が蛇の姿で妻問いに訪れるくだりがある。

時代が下ると、神使とされる動物は、その神の神話における記述や神社の縁起に基づいて固定化されるようになり、その神社の境内で飼育されるようにもなった。さらには、稲荷神社の狐のように、本来は神使であるものが祀られるようにもなった。これは、神とは無関係に、その動物自体が何らかの霊的な存在と見られていたものと考えられる。

 

全国の仏閣には、白い生き物に纏わる神話があります。例えば「白狐、白蛇、白鼠、白熊、白梟」などがあります。

鎌倉の八幡宮では「白鳩」がそうです。私の地元の浅間神社では「白鯉」というように各地のお寺や神社に白に纏わる生き物が祀られていたり、実際に存在していたりします。

私が白い生き物に良く遭遇したり、接しているのは「白い野鳥」です。

白い鳥と言えば、コサギ、ダイサギ、ハクチョウ、ツル、ライチョウ(冬羽)などシロフクロウなどが知られています。

特に、私には「コサギ」と不思議な出逢いなどもあります。

最近では、白い錦鯉が地元の神社の池におります。私が参拝後に池を覗き込むと、水の中から顔を出して、餌をねだります。

 

何か縁起がよくて、可愛く思います。

白色の意味は、白色は表面に現れた意識を意味します。

白色は黒色の対局にある色であり、黒色の闇に対しての「光」を表します。光は意識の思考力、または洞察力を表します。

黒の死は、“闇に向かう”というイメージで“死んでいく”状態そのものを表しますが、白色の死は“光へ向かう”というイメージで「再生」のための死を意味します。

白色は、間違ったものをもう一度まっさらな状態にするというイメージで、「リセット」や「切り離し」という意味が出てきます。また、自分のニーズを切り離すことは「禁欲」となります。

全ての色が含まれた白色は「明るい」感じだけになり、「完全性」や「神性」を感じさせます。完全ということから「正しい」「真実」「悟り」という意味になり、完全になる、汚れが無い状態になるということから「浄化」という意味も出てきます。

真っ白く、何も書かれていない紙のようなイメージとして「純粋」「無垢」「素直」という意味が出てきます。また、「処女」を意味します。しかし、白色が“乳”のイメージを持つと「母」という意味にもなります。乳の白さは乳児がまだ目を開けない頃から口にするこの世の始めの飲み物であり、「誕生」「起源」と「目覚め」という意味が出てきます。

白色の輝きからは「新しさ」を感じさせます。整理整頓され、スッキリとした「シンプル」で「清潔」な感じがあり、そこから「頭が良い」「クール」「気高さ」「無欲」というイメージが出てきます。しかし、清潔も強すぎると「潔癖」となってしまいます。

 

白色は、何色にも染まらないなどから「明るい、安全性、神性、真実、悟り」などのイメージを享けます。そのことにより、白い生き物たちを昔から「神使(神使い)で縁起のよい生き物とされて来ました。

私が数年前に不思議な体験をしました。それは、都心の公園の小さな池で野鳥撮影していたら、頭上から「コサギ」が舞い降りて来たように、私の側(1m)ほどの距離で近寄って来ました。本来は野生の生き物なので、人が近寄ると警戒して逃げてしまいます。それなのに、このコサギは、私のことを分かっていたように接近してカメラを構えても逃げません。

それどころか、私のことを見つめるようにこちらを向いています。私はドキドキしながら、じっとしていました。

50年以上、バードウォーチングをして人生初の出来事に驚きと、神秘性を感じたものです。

そのコサギは普通のコサギではないと感じたのは、白い羽がレース状になり、まるで白いドレスを着た!私が12年前にソウル繋がりした方を彷彿させるものでした。

きっと、コサギにソウル繋がりした方が乗り移ったのではないと思ったほど美しかったです。

本来は、野鳥を撮影する時には、絶対距離という10数メートル離れて、超望遠レンズを装着して撮影するのが普通なのですが、私は、普通のレンズで、レンズ交換無で撮影出来たことは「奇跡に近い」ものです。

手を差し伸べたら、触れる距離まで近づいて来ても、逃げません。コサギのメスは、私のことを分かっている!特別な人だと感じていたのだと分かりました。

センスプロデュース研究所、荒木行彦


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