雲(くも)は大気中に固まって浮かぶ水滴または氷の粒(氷晶)のことを言う。
地球に限らず、また高度に限らず、惑星表面の大気中に浮かぶ水滴や氷晶は雲と呼ばれる。
雲を作る水滴や氷晶の一つ一つの粒を雲粒という。また、地上に覆われていると霧になる。
気象学野中には「雲学」という分野も存在する。これは、気象観測の手段が乏しかった20世紀前半頃まで、気象の解析や予測に雲の研究が重要視されていることを背景にしている。
気象衛星などの登場によって重要性が希薄になり雲学は衰退して来ている。
また、雨、雪など降雨現象の発生源となる現象であり、雲の生成から降雨までの物理学的な現象を研究する「雲物理学」というものもある。
私が雲に興味や関心を持つようになったのは、学生時代に山岳、山登りをするようになってからです。当時は短波ラジオを前日に「天気予報」を聴きながら「天気図」を手書き作成したものです。
そのことで、翌日の山の天候や風の強さなどを予測し、下山するかなどを判断したものです。雲の形や流れ方を観察していると二時間後に雨になるから天気がよくても下山させたこともありました。これらを知らない人からは、こんなに天気がよいのに、何故、下山しなければならないかと質問されて、傘雲が山頂にかかっていると二時間後にはどしゃ降りの雨になると皆さんは雨具の用意もしていないと「低体温症」になり、私一人で救助できなくなるからと告げ、下山してから山頂が大雨になっていると連絡があり、登山客からは感謝されました。これらを「観天望気」という天気読みという、天候を自然現象から予測する方法です。
よく「雲を消す事が出来る」と言う人がおられますが、私も出来ます。
よく雲を見ていると小さな雲なら、数分で蒸発するように徐々に消えていきます。手を翳し、念を送ったからと雲は直ぐに消えたりしません。雲は細かな水滴で出来ているから、高山などに登山し、雲の中に入ったことがある人なら分かると思いますが、顔に細やかな水滴が付きます。これが雲なのです。
ですから、誰でも雲は消すことが出来るのです。
高い空で見ているから「色々に雲の形」になるのです。
時には、雲の形が動物に見えたり、物の形に見えたりすることがあります。多くの場合は「錯視」によるものです。
但し、私のように満月に手を合わせてお祈りしたり、星々などに祈った時など、念じた時に「雲が変化」することがあります。これらが「念じて雲が変化」するという事です。
念じて雲が変化する。させることは普通では考えられない事であり、信じ難いことだと思います。
私には「念力」が強いので、雲が変化し、それが「メッセージとして現れたりも変化します」。その雲の形(メッセージ)を「クラウドメッセージ」と呼ばれています。
時には、お月様にかかる雲が緑色に輝いたり、ある生き物の形や人の横顔、以前には「龍の顔」がはっきりと写真に写りました。
また、天空からメッセージが降りて来たように「上空を見て!」欲しいとのメッセージのように感じて見上げると、十字架の様な方の雲が早いスピードで流れて来て、途中で「天使」のような形の雲が現れました。
これらは「天空からの私宛へのメッセージ」を享けているからでもあります。
多くの場合は人の目に見えない雲の形は写真に写した時にはっきりと分かります。
こうして「私と雲の関わり合いが深い」ことがご理解頂けたかと思います。
ですから、私は毎日のように雲を眺めながら「何時でもメッセージを享けられるように眺めています」。
人は念じる力の強い人には「雲の形を変える」ことさえも不可能ではないということです。
私がこうした能力(念力)が強くなったのは、十数年前にある方との魂同士の出逢い、繋がりをしてから「霊的覚醒」をし、魂の片割れ同士が出逢うツインソウル(双子の魂)の出逢い、繋がりをしてから念じる力が高まったものです。
その証拠が「念じて雲が変化」することなのです。
だから写真に写せば、不思議な写真が写る物です。加工して誤魔化したり、修正など一切手を加えていません。カメラは「真実のみを写しだします」。
私がこうして念じると雲の形が変わったりするのには、訳があります。天空からのメッセージだったり、使命の果たすためにエールを送られているものだと思います。
このような不思議なことは現実に起きています。科学では説明の出来ないこと、皆さんには信じ難いことも現実に起きています。
これらは「世の中を良くするためのメッセージ」なのだと私は信じております。
センスプロデュース研究所、荒木行彦、