「月の沙漠」の正体は

2021-12-21 00:00:45 | たび
御宿に3泊したのだが、御宿そのものは観光地ではなく、長期滞在型の保養地のような場所だ。海があり、魚が釣れて、イセエビ、アワビ、キンメダイが名物。繁華街に乏しいのが今一つだが、勝浦は近いし、そもそも東京からの特急電車が停車する。地震の時の津波対策は数あるリゾートホテルに逃げ込み屋上に上がって運命を待つ。

その中でも、観光の目玉と言えば、御宿の北側の海岸にあるオブジェと記念館。



『月の沙漠』だ。

月の沙漠をはるばると・・・という作詞と灯油の引き売りでおなじみのメロディである。
お姫様と王子様がラクダの背に乗り月夜の砂漠を歩いていく。金色の壺と銀色の壺を持っていて、その中身は明らかにされていない。

金、銀の壺の中に何が入っているか問題と言うのがあって、財宝とか貨幣ではないかという説と沙漠を歩くのだから壺の中は飲料水に決まっているという説があるようだが、どちらも決め手はない。そもそもラクダに乗って中東の沙漠を夜間に出歩けば、襲撃されて悲惨な結果になるはずだ。

そして、肝心の「なぜ、御宿なのか」という点がもっと怪しい。もちろん砂漠ではなく沙漠なので、サハラ砂漠のような場所ではなく海岸でも良いわけで、実際に鳥取砂丘にはラクダに乗れるアトラクションもある。

実は、御宿に縁があるのは、作詞家の「加藤まさお(1897-1977)」。画家であり詩人だった。1923(大正12)年に「少女倶楽部」という雑誌に、この詩と挿絵が掲載された。文系の女子学生を念頭においた雑誌だった。竹久夢二(1884-1934)路線だ。

この「少女倶楽部」にも数奇な歴史があり、1946年に「週刊少女フレンド」となり、どちらかというと漫画誌に変化していく。出版社は講談社なので安泰なのだが、1965年に「別冊フレンド」という月刊誌も立ち上がるが、その後、徐々に購読数が減っていき、1996年に廃刊となる。しかし、月間の「別冊フレンド」は現在も継続しているため、本家が途絶えた後の分家のような感じで「別冊」と称する雑誌だけが存在しているそうだ。

そして、加藤の作詞に曲を付けたのが佐々木すぐる(1892-1966)。生涯2000もの楽曲を作曲。もっとも歴史に残るのは『月の沙漠』だろうか。1932年にレコード化されラジオで流れてからポピュラーになっていく。


そして、加藤まさをは「月の沙漠」発表前の何年間か、結核治療のため、夏の間は御宿で療養をしていたそうだ。

そこで、御宿町は、密かに準備を進め、月の沙漠記念館を建設してしまう。一方、加藤の生地である静岡県側は、モデルは大井川周辺の海岸と主張している。加藤まさをは、記念館を建ててもらった御宿町の好意に応える形で、御宿に居住地を定めた上、「モデルは御宿」と言い始めたが、「詩は創作物なのだから具体的モデルはないのではないか」という説も有力だ。



実は、このオブジェに行ったのは朝であって、月の代わりに太陽を撮りこんで撮影してみた。王子と王女はそれなりだが、実はラクダの表現がすばらしい。本物と見分けがつかないほどリアルな彫像である。

ところで、「どこの沙漠」問題に大きな一石をなげたのは2018年8月23日に行われた雑誌「赤い鳥」創刊100年の記念行事の中で、女優の松島トモ子さんの発言。加藤まさを氏の生前にインタビューに行く機会があり、本人に「月の沙漠」のモデルを聞いたそうだ。

そうすると、加藤氏から思いもよらない答えがあったそうだ。

モデルは月面。誰もいない静寂な沙漠を歩くイメージで、人間が月面を歩く時代になってガッカリということだそうだ。

つまり、金と銀の壺の中身は、「酸素」であるはずだ。