不干歳ハビアン(釈徹宗著 宗教)

2021-12-10 00:00:32 | 書評
不干歳ハビアン。その名を知る人は、今、どれくらいいるのであろうか。

上の一文から始まる本著は、戦国時代後期に生まれ、禅宗を追求した後、キリシタンになるが、後に棄教。主たる著書は「妙貞問答」と「破堤宇子」の二巻。前者は仏教、儒教、道教の批判であり、キリスト教を称賛している。後者は後に棄教の頃の著でキリスト教を批判している。


棄教の当時、こともあろうにハビアンは修行尼とともに奔走してしまった。(そのうち現れる)そのため、遠藤周作氏や三浦朱門氏などは、キリスト教の不勉強に加えて女性との醜聞ということでハビアンを俗人と決めつけている。もちろん本人の耳には入らない。

もっともハビアンは二人の作家よりずっとずっと宗教上の身分は高く、経歴からして様々な宗教と関わってきたので、宗教家であると同時に比較宗教論者でもあったわけだ。キリスト教一筋の人と見解が合うわけはないだろう。

もう一つのポイントは、日本に来たキリスト教は、日本人向けに変形していて、デウスを最高の神とするもので、イエスキリストの権威を極小化したものだったので、そもそも物事を突き詰めると矛盾が多かった。

一方、彼は仏教や儒教の中に俗人的かつ打算的な匂いを嗅ぎ取っていたようで、さらにキリスト教の宣教師を見るにつけても違和感を持っていたのではないだろう。

行きついた先は、おそらく自然主義のようなものだったのだろう。日本的宗教。よく考えれば大陸から伝わったとされる仏教にしても、日本での各宗派の始祖は外国人ではなく日本人なのである。不思議の国日本にもいた不思議な宗教家といったところだろうか。