大多喜城のハイライト

2021-12-29 00:00:23 | The 城
大多喜城と通称するが、正確には「千葉県立中央博物館 大多喜城分館」という。「城」とか「城址」とかではない。どうも千葉県ルールは苦手だ。県内の多くがご天領だったこともあって、県立とか国立と言った言葉が大好きのようだ。

さて、久留里城は山の下から運転中に一瞬見上げただけだったが、大多喜城は整備されているので模擬天守にも入れる。もっとも大多喜駅の横を通過するときに、撮り鉄何人かが駅の外側から撮影していたのは、いすみ鉄道の黄色の列車と小湊鉄道の赤い列車が並んでいるところで、帰りにカメラを準備してそこに行くと、撮り鉄もいないし列車も黄色だけしかないし、並んでいたとしても駅の中にカメラを持つ手を伸ばして撮影したに違いないだろう。



そして、運よく大多喜城では『兜とカブト』という企画展が開催されていて、戦国武将たちの特徴的なカブトが紹介されていると同時に通常展示の古文書類なども展示されていて、よく解説されていた。



門から天守閣に行く途中には7体の大型の武者人形が立つが、特別展用なのか常設展示かは不明。もっとも屋外なので、イミテーションでプラスティック感もある。



資料を読んでいると、どうも房総史というのがあって、房総半島内での陣取りの歴史というのは結構面白そうな感じで著書もいくつかあるようだ。

ところで、城に歴史ありというのはよく言われるが、大多喜城の城主は初代が本多忠勝。德川四天王の一人だ。大物だが、城の歴史としては、1609年に御宿に流れ着いたドン・ロドリゴフィリピン臨時総督を城内でもてなして、その後、江戸城に送ったという事件があった。

その一行による記録には城内には籠城用の田畑があったと書かれ、堅牢な造りと金銀の装飾のなされた城郭に驚いたことが記されている。

もう一つの歴史は幕末のこと。本多、阿部、青山、稲垣と城主は変遷し最後の城主は大河内正資。鳥羽伏見の戦いでは幕府軍の総督を務めている。どうもこの城には「総督」という因縁の文字があるようだ。