攻略失敗した久留里城

2021-12-13 00:00:50 | The 城
1週間ほど前、千葉県の中南部を旅行していた。ベースは御宿海岸のリゾートホテル。夏の間はサーファー専用のような造りになっている。冬でもサーファーはいるのだが他の部屋のことはほとんどわからない。

初日の金曜にアクアラインで木更津から千葉県に上陸し、高速道路沿いの観光をして、最近話題の養老渓谷には翌日に行こうと思っていたが、どうも週末の養老渓谷は箱根や日光並みの混雑という情報がわかってきて、急きょ初日に養老渓谷に行こうと考え直したわけだ。そうなると、途中に久留里城がある。道順的に行かないはずたったのだが千葉県お城ランキングのベスト10に入っている城を見逃すのはもったいないと城攻めを始めたが、軽く調べていただけで、地図上の場所はわかっても最接近した時の道がわからない。

一応、ナビ任せで近くまで行ったが道は曲がりくねり交通量も多く車を止めるわけにはいかない。と思っていると、正面に見えた山の上に一瞬小さな天守閣が見えた。見た感じは40~50メートル上。30分は歩かないといけないが、それでは先に進めなくなってしまう。

やっと上り道を見つけたが、舗装もあやしいし、幅が3メートルに満たないような感じだ。幅の広い車に乗っていることもあり(軽自動車でも同じだろうが)対向車が来たら、どうするのだろう。この上り坂をバックで下まで戻るということになると、一日が終わりそうだ。

ということで、チラッと見ただけの城ということになった。


久留里城は戦国時代末期には里見氏が北条氏に対抗して勢力を張っていたが、江戸時代になり黒田氏が入城して城郭を整備した。

現在の城は、昭和53年に旧天守台の脇に建てられた模擬天守。歴史的事実である旧天守台の上にフィクションの城をのせなかったのは一分の良心があったからだろうが、かつての天守閣とはまったく異なり、ワンサイズ大きくなっているようだ。復元された浜松城をモデルにしたと言われる。

ところが、復元された浜松城だが、こちらは実在していた天守閣とは異なり、相当小さく作ったそうで、天守台より天守閣の床面積の方が小さく妙なデザインになっている。

浜松城の復元は福井県の丸岡城(近世の天守閣が残る)を参考にしたと書かれたものがあるが、私は両方とも行ったが、似ていないと思える

この模擬天守の件だが、2009年5月号歴史読本「日本の名城」の中では、『結局は作り物である。本物の遺構のみが持つ価値や迫力という意味では、残念ながら(千葉県では)、本佐倉城や真里谷城にはかなわない。』と手厳しく書かれている。