相撲博物館で江戸相撲を想像する

2011-07-03 00:00:03 | 美術館・博物館・工芸品
スターバックスの株主総会が両国国技館で開かれたついでに、国技館の一角にある「相撲博物館」をのぞいてみる。

「大相撲あれこれ」という展示で、まず「横綱」。



どうも横綱ということばは、地位としての横綱を指す場合と、現物の綱を指す場合があるようだ。江戸時代後期の横綱である秀ノ山雷五郎の横綱が、昭和の双葉山の横綱とともに展示されていた。横綱の横綱。



そして、江戸時代後期の木村庄之助の譲り軍配。木村庄之助というのも営々と続いているわけだ。ただ、本来の軍配の目的は戦場で大将が自軍を、「あっちに行け、こっちに戻れ」といったように作戦を視覚的に伝達する道具だったはず。行司というのは、どちらかというと、両力士よりも格下なのだから、軍配を振り回して、「押せ!」とか「投げろ!」とか「逃げろ!」とか指示を出すようなものじゃないわけだ。あくまでも勝負の結果を判定する係員というわけだ。



そして最強横綱である谷風の横綱免許証。吉田司家が免許証を発行することになっている。第三者委員会みたいなものだ。例えば将棋の免許は日本将棋連盟という、引退棋士の会が発行している。

で、この谷風だが黎明期の第四代横綱、谷風、小野川、雷電の三人がほぼ同じ時代に競い合っていた。谷風×小野川、雷電×小野川。やや雷電が上回るものの場所の看板だった。

では、なぜ、谷風×雷電戦がないかといえば、雷電は谷風の弟子だったそうだ。当時より同部屋対決はなかったそうだ。変わらぬ世界だ。免許証には、顔写真は不要なようだ。

でも、よくこの1枚が現在に残っていたものである。

そして、館内には初代横綱から現在に至るまでの顔写真(あるいは似顔絵)が残されているが、揃って筋肉質で強そうである。これを見ると、現代日本では、相撲のことを国技といい国技館という格闘場で勝負を行っているのだが、単に見るだけのショー・スポーツなのだろうと思ったりするのである。