ソフト・ランディングできそうもないJAL

2009-09-15 00:00:57 | 市民A
jal手近なところに経営支援先が見当たらなくなったJALが、終(つい)に外資に支援を頼む方向で、手当たりしだい救助信号(SOS)を発信したところ、「興味あり」と応えた航空会社が複数あったというだけで、「デルタ」「アメリカン」「エールフランス・KLM」と提携というのは、かなり無謀な記事と思っている。

日本では、役所が息をかければ、なかなか断りにくいのが実情だが、海外企業には、まったく通じない。

最初に報じられた「デルタ」は、破綻寸前の「ノースウエスト」を救助したばかり。まだノースの尾翼のマークの書き換え代も払えない状態だ。デルタが提携に応じるとするなら、魅力は、JALと旧ノースが、ほぼ同じ路線で競合していること。ノースも成田を重要拠点にしていた。シカゴ・デトロイトとハワイ、成田、北京、シンガポール。この路線の削減を行って、競争を緩和すること。つまり航空券の値段が上がるわけだ。デルタとしては、JALが縮小化して、消えてなくなることが最高のシナリオだろう。

アメリカンは、逆に、JALの持つアジア路線を一手におさめて、自社の好きなように運営したいということだろう。一応、前向き発想だろうが、いずれのシナリオでもJALから期待するものは、「路線の縮小」または「路線の拡大」ということで、JALの経営体全体が欲しいわけではないだろう。何しろ、企業体全体が構造的赤字だ。

ということで、結局は、東アジア航空統合のような形で、大韓航空とか、シンガポール航空というあたりと対等関係で提携ということになるというシナリオもあるが、困ったことに、この2社の経営は健全であり、合併となると「救済合併」ということになる。


では、なぜ、赤字のJAL自体が主導的に動かず、所管省庁主導になったかというと、「過去の融資に政府保証枠がついている」ことではないだろうか。つい6月末に借り入れた運転資金1000億円には、政策投資銀行が700億を用達し、その80%を政府保証している。さらに、また追加支援となると、本当に政府保証が発生することになりかねない。(政策投資銀行が自分たちの民営化を阻止するために、無理に貸し込んだとも噂されたが、そうでもなかった。やはり融資は必要だったわけだ)

従来、政府保証というのは、「理論的には焦げ付くかもしれないが、実際には焦げ付かない」とされていた。なぜなら、焦げ付きそうになったら、法律や、行政指導を変えてしまい、その企業に有利な方向に仕組めばよかったわけだ。あるいは、本当に焦げ付きそうになったら、さらに政府保証の空手形を出して、追加で融資すればいい。

ところが、民主党ショックである。新大臣が椅子に座る直前に大慌ての図である。

さらに、所管省庁にとって、頭が痛いのが、「空港問題」。

まず、国内新空港では、静岡空港の便数確保を国内2社に要請しなければならないし、誰の為かよくわからない茨城空港が来年(2010年)3月にオープン。自衛隊百里基地の軍民併用になる。場所は霞ヶ浦と太平洋の間だ。これも、航空会社を探さなければならない。

そして、成田と羽田。どちらも新滑走路である。

成田は今年10月22日に、平行滑走路が2500メートルに延伸され、1日の発着枠を増やすことができる。

羽田では、沖合にD滑走路が完成するのが、来年(2010年)10月。こちらも大幅増便が可能である。

ところが、現在の状況では、世界的にも、増便どころではないわけだ。そのため、所管省庁が中心になって海外からの路線誘致を行っているようだ。パプア・ニューギニアと相互に路線を設けることになったらしいが、それほど多くの人が行き来をするのだろうか。もちろん、何らかの用事がある人は、今でも乗り継ぎで往来できるわけだし。そして、航空交渉は相互条約である。パプアニューギニア航空だけではなく、おそらくJALも航空路を持つことになる。ありがた迷惑だろう。


また、ある筋の情報では、ANAとJALが、来年10月の羽田D滑走路完成後、成田を見捨てて国際便を羽田に集約するという噂話がある。地方空港から海外に行く場合、羽田から成田までのアクセスに半日近くかかるという不便さがあったものを、一気に羽田をハブにして、国内+外航という通しチケットで割安感を打ち出そうということのようだ。

となれば、成田空港は外国航空会社中心になる。案外、東アジアでもっとも米国に近いハブ空港というコンセプトでコンパクトに生き残るかもしれないわけだ。

ところで、日本航空という会社、1980年代以降、長い間、「大学生の就職したい会社」の1番とか2番とかに位置していたはず。それならば、かなり優秀な人材がいるはずなのに、どうしてこういうことになったのだろう、と関係者に聞いたところ、
「優秀な人は、やめてしまう」
「優秀な人でも、優秀でなくなる」
といったところだった。

今でこそ、社長は生え抜き(といっても、財務畑)だが、ナショナルフラッグの美名の下に、所管省庁による「ヒト」・「モノ」・「カネ」の支配が長く続いていたわけだ。

その結果が、今の状態になったのだろう。