成仏寺の同居人

2022-12-25 00:00:22 | 歴史
先日、横浜市歴史博物館で開催されている「活字」展で、幕末に来日した宣教師であるヘボンとブラウンの共同翻訳である聖書の日本語訳本が展示されていた。ヘボンとはヘボン式ローマ字の元祖で、日本最初の和英辞典を編んだことでも知られる。

記憶の片隅に「ヘボンとブラウン」というペアの名前があり、整理してみると、この二人は同居していたことがある。場所は神奈川宿の近く。旧東海道の街道の近くにある。

さらにヘボン博士が医師として開業していた場所もあり、確かめに行く。



まず、成仏寺。広くはないが、手入れが行き届いている。創建は1300年頃で四宗兼学であったが、豊臣時代に浄土宗に固まる。徳川家光が上洛の際に宿舎とするために境内を供出し、代替地として現在の場所に移転。幕末には外国人宣教師の居住地となる。

そして、年上のヘボンが本堂に住み、ブラウンが庫裡に住んだ。ブラウンは英語教師だった。

ところで、ヘボン博士だが、英語で書くと(Hepburn)となる。オードリー・ヘプバーンと同じだ。ではなぜ、ヘップバーンがヘボンになったかというと、そう聞こえたからだろう。Pが無声音だろうか。ヘッバーン=ヘボン。とはいえ、ペリー提督は当初ペルリと呼ばれているがペリーがペルリとは聞こえない。