生きて帰ってきた男(小熊英二著)

2016-06-29 00:00:51 | 書評
小林秀雄賞を受賞した一種の戦争文学だが、小林秀雄とはまったく異なる書き方だ。戦争被害者は著者の父である。

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北海道出身であっても父親は新潟で暮らし、本人は東京の早実に通っていた少年の元に赤紙が届く。まったく本籍には住んでいなくても部隊は本籍毎に編成され、少年は満州にわたる。

その頃、南方に向かった兵隊は飢餓と戦力不足と玉砕という方向に向かっていた。ビルマ方面では司令官不在の状況で作戦の大失敗で多くの者が亡くなった。

そして満州に行った兵士の運命は。

実際には、日ソ不可侵条約があったため、満州では戦争が起きないはずだったが、ソ連軍は突如侵入してきた。しかし、満州の大部分ではソ連軍と戦う前に8月15日がきたため、武装解除。

その後、日本に帰るまで長い抑留生活が続く。ようするに戦争末期に満州に行った者は、捕虜になるために満州に行ったようなものだ。

そして、多くの戦史は、ソ連の収容所の劣悪さと、帰国までの間に起こった収容所内の日本人同士の民主化運動の犠牲者の話を書いて終わるのだが、本書は違う。

収容所による死亡者の比率を分析し、ソ連だけではなく、日本でもドイツでも収容所では劣悪生活が続いていたことや、シベリアでの食料不足は、ソ連政府の配給がシベリアに届く前に横流しされるからだそうだ。

ここからが本書の特徴だが、帰ってきてもシベリア帰りは左翼思想に洗脳されたのではないかと国内では就職難だったそうだ。そして転々と職を変わるうちに、結核に冒され、5年間入院することとなった。

そして退院後は高度成長時代である。スポーツ用品店が当たり、そこそこの小金を持つことができ、マイホームを建てることになる。

そして、引退。

さらに父の命運は翻弄され、戦後補償問題にかかわることになる。

従軍慰安婦問題でもまったく日韓で論点がずれているが、基本的に韓国(プラス北朝鮮)、台湾の人は日本人だったのだから日本人と同じ、つまり国民のほぼ全部が苦難の道を歩いたわけなので、特定の人たちだけを国家補償することはできない、という主張だそうだ。