姫路城・市立美術館、かつての顔

2016-06-09 00:00:24 | The 城
竹田城からの帰り、姫路で途中下車、姫路城の方へ歩く。日本最大級の城が残っていてさらに美しく修復中である。全部修復が終わっているものと思っていたら、そうではなかった。竹田城とまったく極端に異なる観光地化している城は過去に何度もきているのだが、千姫がいた(軟禁?)三の丸の方に行きたいのだが、もう時間がないので、旧軍事施設だった姫路市立美術館の方に回る。

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そして、これから書く話は、私の身の回りにある太平洋戦争の記録に関係する。

一度、書いたことはあるのだが、おおた家の先祖は8代前に岡山県の山奥の方の本家から分れた。富士山が爆発した年だ。その本家は神主の家系で、現在が17代目なので、鎌倉時代の末か室町の始めから(1400年ごろ)だと考えられる。

17代目は90歳代の女性で、要するに結婚して姓が変わり、夫の家系の方に入ってしまったという事情で、ある時になれば家系は続かなくなることになる。それは、彼女の弟が戦死したことによるわけだ。それも終戦まで、あと約10日という時に、ビルマ(ミャンマー)で亡くなった。調べるとイラワジ河渡河作戦というのがあり、半数が亡くなったことになっている。生き残ったものは英国の捕虜となり、戦犯を除き帰国を果たした。

昨年のことだが岡山県出身の兵士の家族のための展示会があって、記録をみていると多くの人がビルマで亡くなっていることを知った。それらを読むと、召集されて向かった場所が姫路となっていた。姫路城の前に大きな広場があるが、そこが集合場所だった。

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城の右手前の方に、第十師団の碑があるが、姫路は陸軍歩兵第十師団として、兵庫、岡山、鳥取の3県で徴兵した兵士で構成されていた。その師団の行き先が、最終段階ではビルマだったわけだ。

指揮をしていたのが木村兵太郎陸軍大将。この人、最後までいたわけじゃなく、途中で前線から離脱してしまう。敵前逃亡みたいなものだが、理由は、早く逃げないと逃げられなくなるからというものだ。

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大将がいなくなったので、方針が立たず、大混乱となり、ビルマ戦線は日本軍が逃げ回ることになる。そして最後に大損失を出すことになった。

大将はA級戦犯として、巣鴨で死刑となったが、歩兵は誰も生き返らない。そんな戦争でよかったのだろうか。
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