多度津城址を訪ねて・・とほほ

2014-01-29 00:00:10 | The 城
丸亀城へ行き、神戸に本社のある丸亀製麺ではない本物の丸亀のうどん屋で昼食を済ませた後、カーナビで近くの城址を探してみると、5キロほど離れたところに多度津城があることがわかる。しかし、カーナビの限界というべきか、この城がどういうものなのかを教えてくれることはない。

ここでスマホを使って下調べすると、14世紀の城跡で、香川氏の城だったようだ。香川県の元みたいなものだろう(同時期の武将に太田道灌がいるが、彼は名前を江戸の地名には残さなかった。大田区は全然違うし)。それ以上の情報は、5キロしか離れてないなら、行った方がいいと思った。

そして、カーナビらしく主要道路ではなく、細い裏通りを選択され、それでも指示通り走ると、海に面する小高い丘陵に近づいていく。およそわかるのだが、小さな丘陵に城がある場合、かならず頂上に城を造る。戦略上の理由だ。一方、背景に山岳部がある場所の城は、「山城」といって、頂上ではなく、尾根の上に立つ場合が多い。

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いずれにしても、難攻不落であり、21世紀の旅人の安易なチャレンジを拒む。そして、クルマはカーナビに従って走っていくのだが、途中で新興宗教的大寺院の前を通る。少林寺拳法の日本での練習場みたいだが、いったい、この場所で誰が何の練習をしているのだろう。少林サッカーか?そして、カーナビ上は、まだ先があるというのに、あぶなく柵に突っ込むところだった。これ以上先は四輪進入禁止だ。二本の足が頼りなのだが、何しろ先月腰を痛めて急坂や階段は苦手だ。会社で行っている近くにある金毘羅宮への初詣は、腰痛で欠席したものの、同じぐらい厳しい、丸亀城に登り、またも多度津城では、変ではないか。

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といっても、どこまで上があるのかわからないが、急な階段が続くわけだ。そして、もう限界と思った頃、今度は未舗装の坂道をなる。けものみち風だが、けものも怖いが、そろそろマムちゃんが起きだしているかもしれない。いずれにしてもゆっくりしか上がれない。「多度津城址」のような石碑もなければ表示もない。

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頂上に登るしかないのだが、そこで最終的にみたものは、真っ赤な四角状の巨大物体だった。これはいったい何なのだろう。近づいてみてもまったく見当がつかない。かなり高い場所で、風は強いし、そろそろ午後の気温はつるべ落としである。捻挫でもして動けなくなると、冷凍ボディの発見されるのは1か月後になり、ハゲタカや狼の餌になってしまうだろう。慎重ながら急いで退散する。

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さらに近くに天霧城というナイスな名前の山城があることがわかったが、年齢と相談のうえ、あきらめる。

帰宅後、多度津城についてネット情報を収集すると、やはり来訪者は赤い謎の物体の前で途方に暮れるらしい。石碑の一つもないし、かなり昔は石垣もあったそうだが、その石垣についてもネット情報では、目撃者がいないわけだ。

ところで香川の山城を資料で調べていくと、屋島城という古城があることを知る。無論、源平戦争の最終局面に近づいたころに海岸線で大戦闘が行われた場所なのだが、それよりも大きく古代にさかのぼり、白村江(はくすきのえ)の戦いで、唐・新羅連合軍に敗れた日本がその後の日本への侵攻を恐れて天智天皇が667年に築いた城である。そのうち、行く気になる可能性はある。