丸亀城再訪

2014-01-27 00:00:47 | The 城
丸亀城天守閣は、現存12天守閣の一つである。四国には内四か所がある。丸亀、宇和島、松山、高知。12の中には、弘前のように元々櫓だったものを格上げしたものもあるが、丸亀城の天守閣も小さい。

現在の天守閣は1660年に建ったもので、その前のものは焼失していたらしい。1658年からは京極氏の領地になっていて、転居して、すぐに新築住宅を建てたようなものだ。

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しかし、丸亀城には、人柱伝承が二種類もあり、棟梁を井戸の底の調査に向かわせ、上から石で埋めたという説と、通りがかりの豆腐屋を捕まえて埋めたという説がある。

なんといっても高石垣が特徴で、井戸に埋めたとすると、かなり深い井戸だったはずだ。

こういう登るのに難儀をする場所は、正面から急傾斜を登る「男坂」と裏側の緩傾斜を登る「女坂」のどちらかを選ぶようになっているが、ここはどちらも「男」である。後で調べると、元は裏(南)側から入ることになっていて、その後、北側から入るようになったようだ。だからどちらもキツイ。

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京極氏といえば、お市の方のこどもの三姉妹(淀、初、江)の次女の初が京極氏に嫁いだはずだと思っていたらやはりその後いろいろあって丸亀に転封になったようだ。

しかし、先月、腰痛になってしまい、階段が苦手だというのに下半身の関節がギシギシとなるわけだ。会社の初詣の金毘羅宮参りを遠慮したのに、これでは・・