「非まじめ」思考法(森政弘著)

2012-09-24 00:00:57 | 書評
himajime非まじめとは、まじめと不まじめを統合するような概念だそうだ。なんというか、考え方というのは多面的でなければならないとし、絶対的に正しいものは存在しないというような論理である。著者はロボット工学の第一人者である上に、仏教にも詳しく、そういう科学と哲学の交差する部分を、例を挙げて様々に考察する。

本書は1984年に刊行されたものだが、それ以降、彼が予測したロボットに関する人間の感覚で非常に面白い未来予測があるのだが、「不気味の谷」という考え方がある。ロボットが、徐々に人間に近づいていくと、徐々に人間はロボットに親しみを感じていくのだが、ある段階までそっくりになると、急に嫌悪感を感じるだろうという予測である。たとえば、スイッチをoffにすると、人形ではなく死体のように感じるとか、人間そっくりの考え方をするのだが、感情を感じない宇宙人みたいな気持になるとか、そういう不気味な感じが増してくる。しかし、さらにロボットが人間そっくりになってくると、再び親しみの感情が生まれてくるだろうということ。

なんとなく、チンパンジーより犬の方がペットにふさわしいというのと似ているかもしれない。

それで、本書の中に機械の効率という話があって、たとえば自動車の設計で、エンジンだけの性能がすばらしくても、ボディの寿命が先に終われば、エンジンは無駄な頑丈さということになるし、タイヤの交換回数にしても、タイヤは何回か交換するものだが、交換してすぐにクルマの寿命が尽きるというのは無駄がある、といったことが論じられる。

ここから先は、私が続きを考えてみたのだが、人間の寿命を考えると、不老不死というわけにはいかず、全身の筋肉、骨格、内臓・・と、老化は進んでいくのだが、すべての老化がXデイに向かって衰えていくのかという謎がある。

もちろん、毛根とか生殖器とか、寿命全体からいうと早々と失われる人もいる(根源的に生物は生殖適正期を過ぎたら、集団のゴミということかもしれない)。

ただし昨今は80歳程度の方は大勢いるわけで、よく考えれば、脳とか心臓というような重要部品は、先にガタが来るように思える。まあ、心臓が動かなければそこまでなのだろうが、脳が動かなくなって体だけ動くのは認知症ということになり、脳が動いても体が動かないのが寝たきり。いずれも具合がよくない。まあ、酒ばかり飲んでいれば、全部一緒にダメになるから案外効率的ということなのかもしれない。

ところで、森先生だが、1927年生まれ。この本は1984年の刊行なのだから、67歳の頃。現在は2012年なので85歳ということである。効率的にやっているのだろうか。