和泉式部(コレクション日本歌人選)

2012-09-10 00:00:19 | 書評
和泉式部日記を読んでから、どうも彼女の和歌にはまっているようで、最近、笠間書院が全60巻で発刊したコレクション日本歌人選第6巻を読むことにした。彼女の代表作50首を高木和子さんが解説している。

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和泉式部の歌風については、同時代の紫式部からは、感情が勝り、古典の教養がないと批判されているが、まさに当たらずも遠からずといったところだ。実際には、紫よりも和泉の方が世の男から好まれていたのだが、それが知性と感情の差なのか、美貌の差なのか、今や知るすべもない。道長は、どちらも好んでいたようで少なくても紫とは「かなり親しい関係」だっただろうと推測する学者は多い。

和歌を作ることを分解して考えて、その必要要素を思えば、「古典教養」「音感」「情熱」「感性」そして「機発」というようなことになるのだろうが、和泉の才は、音感・情熱・ひらめき型発想といった方向に特に強い。そして歌全体に枯渇感が漂う。

紫の本職はストーリーテラーなので、古典、感性、発想の深さといったことだろう。物語はダイナミックに展開し、読者に予断を持たせない技巧がある。

そして、生きている間は「好色多情」のレッテルを貼られて、からかわれ続けていた和泉だが、彼女にとっての最大の至福は、約二百年後に生まれた歌壇史上最高の巨星である藤原定家が、小倉百人一首の中に選んだ一首が、彼女にとっての最高傑作の一つであったことだろう。

あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな

(高木和子解釈)もう間もなくあの世に行っていなくなるこの世の思い出として、いま一度あなたに逢うことができたらよいのになあ。

(参考:大岡信氏『百人一首』解釈によれば、「あの世に行ってからこの世を思い出す時の思い出として、今、逢っておきたい」としている)

高木和子さんによれば、『情熱的に恋に生きた和泉式部の人生を象徴するような歌であり、紛うことなく代表作の一つである』。

さらに定家は、和泉の実娘である小式部内侍と親子で百人一首に入集させていて、和泉ファンであったことを後世に知らしめているが、紫とその実娘である大弐三位も入集して、なんとなく照れ隠しにバランスを取ったのではないかと窺わせるものがある。