零戦の系譜図(野原茂著)

2011-08-02 00:00:01 | 書評
「ゼロ戦」については、あらゆる角度から様々な立場の方が、出版をしている。そういう意味では、またさらに一冊増えた、ということなのかもしれないと著者の野原氏は書き、比較的特定の主張には偏らないようになっている。

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あえて言えば、第二次大戦の戦局の趨勢と零戦の立場がリンクしているようになっていて、零戦史を追うことが、すなわち日本の敗戦に向かう過程とパラレルになっているように感じる。そういう意味だと、大きな活躍を期待されながら、その威力を発揮しきれなかった戦艦群とは異なり、零戦には、成功の歴史があり、頂点があり、そして苦戦の時代が訪れるという、まさに戦史を総括的に語れるわけである。惜しむらくは、紙数が足りなかったか。文庫版の宿命で、ビジュアル化すれば、写真が増え、記事が減る。

まず、零戦の誕生だが、三菱重工の入社5年目堀越二郎技師が中心だった。28歳。昭和8年頃からチームを作って海軍にプランを提出。当時少将だった山本五十六の「航空自立計画」に沿った形で検討が進められた。それで、三菱重工と中島飛行機の二社が競い合った結果、昭和11年、零戦の原型と言える九六式艦上戦闘機が誕生する。

そして、日本は昭和12年に始まる日中事変に突入する。ソ連、中国に対しては無敵だったそうだ。

海軍はさらに、後継機として厳しい条件を三菱に要求。思えば、そのあたりにその先の未来が予測されたのかもしれない。

まず、小型エンジン。900馬力強のエンジンで、空力と軽量化で稼働性能を引き出さないといけない。日産リーフみたいだ。

結果として、高性能を絞り出すために、防弾装置や機体強度の限界など相応の弱点を持つことになる。

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そして、零戦が最大の威力を見せたのが、真珠湾攻撃。基本的には、零戦の設計のかなりの部分は、空母への艦載機となるべくサイズの設計だった。一機でも多く空母に乗せられるように考えられていた。

そして、その後、中国本土や南洋の島々では簡易滑走路から離発着を繰り返すことになる。だから、当初は無敵を誇った零戦も米軍にその弱点を知られるようになってからは、苦戦を強いられるようになる。なにしろ、一機種に頼り過ぎてしまった。そして昭和18年、天敵グラマンF6Fヘルキャットの出現で、一機に制空権を失っていったようだ。

そして、終戦直前には、カミカゼとなる。

戦後、残された機体も次々に廃棄されれ、現在、唯一飛行可能な零戦1機はカリフォルニア州チノにある私設航空博物館「プレーンズ・オブ・フェイム」が所有しているとのことである。