沈黙博物館(小川洋子著)、実は怖い小説だ

2009-03-29 00:00:27 | 書評
f46a4dca.jpg主人公の「僕」は、新しい博物館を立ち上げるスペシャリストである。作者の小川洋子は「僕」を郊外の小さな町の駅に置き去りにするところから筆を始める。

迎えにきたのは依頼主の超老婆の「若過ぎる娘(少女)」。

ここから、「僕」と「少女」と「老婆」と「家政婦」、そして「庭師」との奇妙な共同生活が始まる。

スポンサーである老婆が個人的に作ろうとしているのは、町の人たちが亡くなる時に、この世に残していく「形見」である。過去に集めたものだけでなく、博物館が完成に向かう間にも、次々に人々は亡くなっていくのだが、「僕」はその葬式に出るふりをして、故人の形見を失敬してくるわけだ。きたるべき博物館の完成の日には、それらの形見も博物館のショーケースに収められるはずだった。

ところが、町の中央広場を「僕」と「少女」が歩いている時に、爆発事件が起こる。二人は吹き飛ばされ、「僕」は無傷だったが「少女」は大けがを負い長く入院することになる。

そして、その後、連続猟奇殺人事件が始まる。殺された若い女性たちは、ことごとく乳首を切り落されてしまう。そして「僕」は殺された女性の形見を探して、事件現場を歩きまわっているうちに、二人組の刑事に疑われ始める。

さらに、町のはずれの山間にある「沈黙修道院」の見習修道士が登場する。

このあたりから、物語は、いたって不気味な基調に変わっていく。生と死、現実と夢想。そして、ついに「僕」は、連続殺人の犯人は、仲間である「庭師」であることを知ることになる。「僕」が集めた被害者の形見が、いつのまに切り取られた乳首の肉片におきかえられていたわけだ。

そして「僕」は、明け方の一番電車で町を脱走しようとするが、誰もいない駅には、なんらかの事情で、もう電車はこないわけだ。兄に出した手紙は、転居先不明で戻ってくるだけである。

季節は変わり、冬になり、老婆は亡くなるも、博物館は完成するのだが、この矛盾に満ちた物語を合理的に受け入れるためには、「爆発事件」の時に「僕」は死んでいて、その後は死霊による夢想なのか(映画シックスセンスの結末を思い出させる)、あるいは覚めることのない長い長い眠りの中の夢の物語なのか、ちょっと怖いのである。